で、結局プッチ神父は何がしたかったのか。

プッチ神父ジョジョの奇妙な冒険

難解すぎるプッチの目的と人間性を解剖する。

つい先日、Youtubeでジョジョ6部の一挙放送が完結しました。

私は20年来同作品のファンでありながら、
これまで6部アニメは未視聴であり
今回の一挙放送はチャットで他の人の反応も
みながら楽しめる良い機会でした。

そのようなわけで1話から最終話まで追いかけたのですが、抱いた感想としては以下のようなものでした。

  • 、動きがついたことで原作でわかりづらかった描写がかなり改善されているように感じた(特にジョンガリAやミューミューなど)
  • 作画や演出のクオリティは可もなく不可も無くといった感じ。現代の一般的なアニメの範疇だと思うが、正直言うと期待を越えるような驚きはなかった。
  • 声優さんの演技やハマり具合は良かったと思う。特にプッチの高慢さやゲスな本性はよく表現されていた。
  • ストーリーはノリやライブ感重視。途中で若干視聴者を置いてきぼりにしてしまっている感は原作と変わらなかった。

こう書くとなんだか否定的に思われるかもしれませんが、そもそも6部自体がジョジョ全体の中でもニッチな人気の部であり、それが20年越しに映像化されたことだけでも十分大きな意義があったと思います。

さて、ここからが本日の本題になりますが、6部のラスボスであるプッチ神父とその目的についてです。

Youtubeのチャット欄を見ますと、やはりといいいますか
主に初見の視聴者の間でプッチ神父の目的がよくわからない、
(悪としても)共感できる部分が少ないといった意見がちらほら見受けられました。

確かにプッチ神父は過去のボスキャラクターたちと比べても
その行動同期や目的がわかりづらい部分が大きいかと思います。

例えばディオなら人間を超越し支配者になること
吉良吉影なら平穏な生活を維持しつつ趣味(殺人)を楽しむこと
ディアボロならリスクを最小限にして絶頂に君臨し続けること
といった具合に、その動機は主に欲望に根ざしたものでしたので
共感はできなくとも、多少なり理解できる部分があったかと思います。

一方でプッチ神父はといえば…

  • 親友(DIO)の敵討ちが目的かと思えば、真の目的は『天国』に到達することだった
  • その『天国』が示すものも曖昧でよくわからない
  • 全ての人類が未来予知能力をもつことの何が天国なのか?
  • そもそもなぜそんなに自信満々なのか?

私が漫画を最初に読んだ時にも思ったことですが
正直初見でプッチの目的や思想を
十分噛み砕いて理解できた人はごく少数だと思います。

せいぜい訳のわからない独善的な理屈を吐いて
周囲の人間を不幸に巻き込む迷惑な人物
だから倒すべき悪、といった程度の印象に
大体の人が収まってしまうのではないでしょうか。

ですが、作中のエピソードやプッチ神父の言動、
ジョジョという作品に通底するテーマ性などを踏まえてを改めて掘り下げてみると
また一味違ったプッチ評が見えてきます。

本記事では、そうした方針のもと
プッチ神父の本当の目的はなんだったのか
なぜそのような思想に至ったのかを
僭越ながら解剖する試みです。(基本的に1ファンの妄想ベースの話になりますことを最初にご容赦ください。)

プッチ神父のやったこと

論を進めるにあたって、まずは作中でのプッチ神父の足取りを振り返っておきましょう。

過去編:DIOとの出会いと「天国」への執念(1987年〜1989年)

1987年(16歳):DIOとの運命的な出会い

  • 生まれつき足が不自由だったプッチは、教会の床下で休んでいたDIOと出会う。DIOの謎の力(スタンド)によって足の障がいを治され、彼から「矢」を1本授かる。

1988年(17歳):運命の歯車とスタンドの発現

  • 生き別れの双子の弟(ウェザー・リポート)を巡る悲劇が発生。妹のペルラを自殺で失った絶望から、プッチのスタンド「ホワイトスネイク」が覚醒。同時に、弟のウェザーの記憶をディスクにして奪い取る。

1989年(18歳):DIOの館での日々

  • エジプトのDIOの館を度々訪れ、彼と語り合う親友となる。ここでDIOから「天国へ行く方法」の概念を聞かされる。
  • 同年末、DIOが承太郎たちに敗北して死亡。プッチは「天国へ行く方法」が書かれたDIOのノートを承太郎が焼却したことを知り、承太郎の記憶を狙うようになる。

刑務所編:承太郎のディスク強奪と「緑色の赤ちゃん」(2011年10月〜11月)

グリーン・ドルフィン・ストリート(G.D.st)刑務所の教誨師として潜伏し、計画を静かに実行に移した時期です。

  • 2011年10月:空条徐倫の収監と承太郎の誘き寄せ
    • ジョンガリ・Aらと共謀し、空条徐倫に無実の罪を着せてG.D.st刑務所へ収監。娘を救いにやってくる空条承太郎を誘き出す。
  • 11月上旬:承太郎からディスクを強奪
    • 面会室に現れた承太郎を襲撃。彼の「スタープラチナ(記憶とスタンド)」のディスクを抜き取り、植物状態にする。
  • 11月中旬:スタンド使いの刺客を放つ
    • ディスクを奪還しようとする徐倫を阻むため、サンダー・マックイィーンやミラション、ラング・ラングラーらにスタンドディスクを与えて刺客として送り込む。
  • 11月下旬:DIOの骨の覚醒と「緑色の赤ちゃん」の誕生
    • 承太郎の記憶ディスクから「天国へ行く方法」を解読。実行のために刑務所内の「厳正懲罰隔離房」へ赴く。
    • スポーツ・マックスの能力で具現化させた「DIOの骨」を使い、囚人たちの魂を吸収させて「緑色の赤ちゃん」を誕生させる。
    • 徐倫やアナスイの妨害を退け、緑色の赤ちゃんに「14の言葉」を囁きかけて肉体を融合させる。これにより、プッチの体(およびスタンド)に変異が始まる。

脱獄・天国到来編:ケープ・カナベラルでの決戦(2012年3月)

刑務所を脱獄し、天国の条件である「新月の時と場所」を目指して一気に加速する最終局面です。

  • 2012年3月17日〜20日:刑務所脱獄とケープ・カナベラルへの移動
    • 肉体の融合を終えたプッチは刑務所を脱獄。DIOの息子たち(リキエル、ウンガロ、ヴェルサス)と接触し、彼らの能力を目覚めさせて徐倫たちの足止めに利用する。
  • 3月21日:ウェザー・リポートとの決着
    • 記憶を取り戻し暴走する弟ウェザーと再会。凄惨な死闘の末、ヴェルサスの乱入を利用してウェザーを殺害する。
  • 3月21日(夜):新月の地にて「C-MOON」への進化
    • 目的地であるフロリダ州ケープ・カナベラル(NASA宇宙センター)に到着。
    • 重力の異変により、スタンドが重力を支配する「C-MOON」へと進化。駆けつけた徐倫、エルメェス、アナスイ、そして復活した承太郎と交戦。
  • 3月22日(新月):究極のスタンド「メイド・イン・ヘブン」の覚醒
    • 「新月の重力」を利用して地球の引力と完全に一体化。ついに時間を無限に加速させる究極のスタンド「メイド・イン・ヘブン」を発現させる。
    • 圧倒的なスピードで承太郎、エルメェス、アナスイ、徐倫を次々と殺害。
  • 時の加速の果て(宇宙の一巡):プッチ神父の最期
    • 宇宙を一周させ、全人類が自分の未来(運命)をあらかじめ知って覚悟できる世界「一巡した世界」を完成させる。
    • 新世界での因縁を完全に断ち切るため、生き残ったエンポリオ・アルニーニョを殺害しようとするが、エンポリオが引き継いだウェザー・リポートのディスク(純粋酸素の猛毒)によって敗北。
    • プッチの死亡により彼が作った新世界は崩壊し、プッチという存在自体が消滅した「別の新しい世界」へと歴史が再構成された。

まとめ 長い歴史を持つシリーズに一つの終止符を打った重要な存在

ここまで振り返ったように、プッチ神父は6部まで続いたジョジョシリーズの世界を一旦終焉させ、7部以降は直接歴史がつながらないパラレルワールドの物語となりました。

これは実質的に6部単体というよりもそれまで続いたジョジョシリーズの総決算に当たる大ボスでもあったということになり、それゆえにプッチ神父について理解することはジョジョという作品全体への理解を深めることにも役立つものと私は考えています。

なぜ私たちはプッチ神父の思想に共感できないか

時系列を振り返ったところで、次はプッチ神父の思想を見ていきましょう。

その手掛かりとなるのは第一にプッチ自信の発言であり、
第二に彼の最後のスタンドである『メイド・イン・ヘブン』が引き起こした一連の事象です。

人の出会いとは「重力」であり
出会うべくして出会うものだからだッ!

そして人類は未来の全てを体験して
この世界へ到達した!

たとえば5年後の未来何が起こるか?
人類全員がそれを知っている

『加速した時』の旅で
自分がいつ事故にあい
いつ病気になりいつ寿命が尽きるのか?

すでに体験してここに来た

人といつ出会い…
そしていつ別れるか?

戦争がいつ起こり
時代がいつ変わるのか?

自分が誰を恋し誰を憎むのか?

自分はいつ子供を産み
子はどんな成長をするのか?

誰が犯罪を犯し
誰が発明や芸術を生むのか?

頭脳や肉体ではなく
精神が それを体験して覚えて
知っているのだ!

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 17巻より

既読の方はご存知のように、『メイド・イン・ヘブン』の能力によって
人間を含む全ての生き物は未来の出来事をあらかじめ知っている状態になりました。

つまり、例えばあなたが今30歳だとして、35歳で結婚し、37歳で子供ができて、60歳で病気なり、80歳で死ぬ…といった未来のスケジュールが確定事項として既にわかっているという状態です。

さてここで想像して欲しいのですが、
もし本当にそうなったらあなたは一体どう感じるでしょうか。

中にはプッチの言うように未来を覚悟して生きられる人もいるかもしれませんが
おそらく多くの人は未来への希望を失い
『絶望』や『諦め』の心に陥ってしまうのではないかと思うのです。

少なくとも私は全ての人類が幸福になれるとはどうしても思えません。
せめて嫌なことや辛いことを回避するチャンスがあるならまだしも
わかった上でそれを受け入れなければならなと言うのは
まるで死刑を待つ死刑囚の気持ちのようではないでしょうか?

ちなみに余談ですが、医療の世界ではSPIKESモデルというものがあり、
仮に余命に関わる重大な病気が発覚した場合でも
患者の感情に寄り添いつつ、段階的に少しづつ事実を伝えていくことが推奨されているそうです。

プッチの天国は言うなればその真逆であり、
残酷な事実をただ事実として伝えた上で
あとは自分で乗り越えろと突き放すという
極めて大雑把で残酷なやり方のように思えます。

ですが当のプッチは一点の曇りもなく、
それこそが人類にとっての『幸福』にとって必要なことなのだと
信じきって疑わないのだから驚きです。

この人間の自然な感覚に反した発想とそれに対する絶対的な自信が
プッチというキャラクターに対する共感の難しさの正体であり
その評価を難しくしている最大の要因なのではないでしょうか。

なぜ『覚悟=幸福』なのか?

それでは、プッチがこうした思想に至った理由を
論理的に紐解くことは可能なのでしょうか?

可能だとすれば、そのカギが実弟ウェザーと実妹ペルラの間に起きた悲劇のエピソードにあることは間違いないでしょう。

この点に関しては以前別の記事で詳しく説明しましたので
詳細はそちらに譲りますが、重要なことはこの悲劇が
複数の要因が絡み合ったまさに運命の悪戯によって起こったということです。

赤ん坊をすり替えた母親、プッチが神父の道を目指したこと、
母親の懺悔を聞いたこと、ウェザーとペルラが恋に落ちたこと、
人種差別主義者の何でも屋に別れさせ工作を相談したこと…

どれも決定的な原因とは言い切れず、
この件を通じてプッチが運命に対して
強烈な疑念を抱いたとしても不思議ではありません。

ただ、個人的に重要だと思うのは
少なくともペルラの私の直後までは
プッチは強い自責の念に駆られていた、ということです。

くそっ!
ペルラの命だけは奪わないでくれッ!

ペルラに罪はない……
ペルラは恋をしただけなんだ

命を返してくれるなら
なんでもするぞ

呪われるべきは
このわたしだ!

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 15巻より

この言葉からして、プッチのペルラへの愛は本物であり、
自分の軽率な行動(何でも屋への依頼)が
原因の一つであったことも自覚していたのでしょう。

さて、ここで一つの問いですが、
もしあなたが自分の行動の結果として
大切な人を失ったとしたらどうするでしょうか。

おそらく多くの人は自分を強く責め、
何度も何度も自分を責めるのではないかと思います。

そして長い時間をかけ現実を咀嚼し、
過ちを経験に昇華して
それでも前に向かって生きていくのではないかと思います。

ですがプッチはそうはしませんでした。
妹のみに降りかかった不幸は運命だったと思考停止し、
自分の罪に向き合うことから目を背けたのです。

そして目を背けた自分自身を正当化するために
『運命は覚悟して乗り越えるものである』
という自らの思想を全ての人類に
押し付けるという選択をしたのでした。

もっとも現実世界ならば
そのような極端な思想を持ったところで
せいぜい宗教や出版の形で
小規模に広めるのが関の山でした。

ジョジョ作中の世界にとって最大の不幸は
それ現実のものとする手段(スタンド能力)が実際に存在し、
なおかつDIOを通じてプッチの手に
渡ってしまったことだったのではないでしょうか。

天国はプッチの現実逃避だった!?

ここからはさらに妄想色が加速してしまい恐縮ですが、プッチが覚悟=幸福の思想に入れ込んでしまった理由をもう少し深掘りしてみようと思います。

先ほど述べたように、私はプッチが極端な思想に取り憑かれた理由を過去の自分の罪からの逃避反応だと解釈しています。

実際、ペルラの事件を振り返ってみるとプッチ単独でも悲劇を避けられた可能性は十分にあったように思えます。

  • そもそも計画の肝である別れさせ工作を人任せにすべきではなかった。自分が汚れ役を買って出ても秘匿性と確実性を優先すべきだった。
  • 別れさせ工作をするにしても、依頼する相手の素性をもっとよく調べるべきだった(人種差別の残る街で、かつウェザーは黒人の家の子だったのだから尚更)
  • 妹に真実を伝え、説得する道も考慮すべきだった(神父には守秘義務があるとはいえ、家族の幸福より大事なことだろうか)

もちろんこれらの仮定は全てたらればでしかなく、どちらにしても悲劇は避けられなかったのかもしれません。

ですが、ここで大事なのはたとえ避けられない悲劇だったとしても、見方を変えれば学びの機会とすることもできたという点です。

古人の箴言にも『人は苦しみからのみ何事かを学ぶ』という言葉があります。

痛みを多く経験した人は、痛みを知らずに生きてきた人より深い智慧に到達するチャンスを得ているのです。

特にプッチには神父と言う立場があったのですから、過ちから学ぶことで同じような道から他の人を救うこともできたかもしれません。

ですが実際にはプッチは自らの過ちに向き合うこともなく、ただDIOの幻影と自らの思想の実現に執着する人生を選びました。

それを思う時、私は人にとって大切なことはいかに悲劇を味わわないかではなく、悲劇にあった時にそれをどう受け止めるかではないかと自問せずにはいられなくなるのです。

ジョジョの歴史を終わらせる大ボスになれた理由

プッチのパーソナリティについて妄想した後は、シリーズの大ボスとしてのプッチの立ち位置を考えてみましょう。

結論から申しますと、私はプッチがジョジョの歴史を一旦終わらせる大役を担ったことはある種必然だったと考えています。

まず作中では主に4部後半あたりから『運命とそれに対峙する人間』と言うテーマが繰り返し描かれてきた事実があります。

4部のバイツァ・ダストや5部のローリングストーンズにアバッキオの同僚のエピソード、7部のボールとネットの例えなどがその代表的な例ですが、それ以前でも3部のトト神や1部のディオの『俺たちほどよく計算された運命も...』発言などにもその萌芽をみて取ることができます。

『運命は最初から決まっていて、人の努力では変えることができない』と言う思想は一般的に宿命論や決定論と呼ばれるもので、宗教論の方向に目を向けますと、カルヴァン派の予定説などが思い浮かぶかと思います。

こうした思想について、荒木先生が漫画作品を通じて自信なりの答えを表現しようとしていたことはコミックスの著者コメントなどからも読み取れます。

『連続』—音楽のすばらしさは連続する音の美しさであり、モーツァルトは『音符一つとしてカットできない』と皇帝に向かって言ってたし、生命も連続するDNAという鎖でできている。

そう考えると、この世には連続するどうすることもできない「運命」というものが存在するのを認めざるを得ない。

しかし一方で「運命」で決定されているとなると、努力したり喜んでも仕方ないという考えも生まれてくる。

そこなんですよ。
人間讃歌を描いていて悩む点は。
答えはあるのか?

ジョジョの奇妙な冒険 63巻 著者コメントより

それで、具体的にどのような答えが提示されたか、一例として五部のエピローグに当たるローリングストーンズのエピソードに目を向けてみましょう。

この話の中では最初にブチャラティたちが死ぬという未来が提示され、実際に作中ではその通りになったわけですが、作中ではブチャラティたちの『黄金の精神』が生き残ったもの(ジョルノやミスタ)。に受け継がれ、生き続けるという形で物質的な限界を超えた運命への克服が表現されています。

つまり、アバッキオの同僚の警官が述べたように『結果ではなくそこに向かおうとする意思こそが重要』ということを、補強するエピソードでもあったわけですね。

一方でプッチ神父の思想に戻ってみると、こちらは『決められた運命を事前に知り、覚悟することで幸福になれる』というものでした。

運命に立ち向かうという意味では同様にポジティブな印象が感じられるかもしれませんが、ここで重要なのはこれが対象の自発的な意思ではなくプッチの強制によるものだということです。

たとえ覚悟で幸福になれたとしても、それもまた別の誰かの意思で強制されたのであればやはり『運命の奴隷』に過ぎないのではないでしょうか?

そのくせプッチ自信は自分だけは『運命』から自由で、他人の運命を変えられる『神』のような存在になろうとしていました。

これは自分にとって都合の悪い運命だけを『吹っ飛ばして』なかったことにする
ディアボロのキング・クリムゾンの本質をさらに発展させたものといえるかもしれません。

詰まるところプッチは『メイド・イン・ヘブン』の能力を通じて
この世を支配する『運命』そのものになったのです。

であれば、『運命を乗り越える』というテーマを持つ
ジョジョにおいて最大の強敵となったのも納得がいきますし、
最後に主人公の徐倫ではなく、黄金の意志を受け継いだもの=エンポリオに倒されたのも
重要なのは運命を超越する人間の精神であるという
作者からのメッセージだと考えれば全く当然の帰結だったと納得できます。

作中描写から見るプッチの人間性

ここまででプッチの思想について
私の言いたいことは
だいたい言い切ってしまったので
ここからは作中の描写から
プッチの本質に迫ってみたいと思います。

平気で他人を利用し、踏み付けにする性根

DIOやカーズと比較するとまだ小規模ですが
プッチは関わる人間をことごとく不幸にしています。

パッと思いつくだけでもこんな感じ

  • 承太郎の記憶DISCを奪い廃人にする
  • 仲間だったジョンガリ・Aを口封じのため暗殺
  • F・Fを利用しDISCに近づいたものを無差別に殺害
  • ヤドクガエルの毒で瀕死の看守を(自分の手駒として利用しておきながら)見殺しに
  • 特別懲罰房にサバイバーのスタンド使いを送り込み殺し合いを誘発
  • 実弟のウェザーを殺害
  • 用済みになったヴェルサスを殺害
  • ケネディ宇宙センターでの大量殺戮
  • 宇宙一巡に伴う事故での大量殺戮

全体に共通するのは、自分の目的達成のためなら他人がどれだけ犠牲になろうがかまわない、という強い意志です。

一方でペルラに対する愛情や、ウェザーに対しては1度は記憶を奪うだけで命まではとらなかったなど、身内に対しては甘さがあるのが興味深いポイントです。

やけに小物くさいホワイトスネイクの言動

スタンドは精神の発現であり、能力や振る舞いには本体の人間性が色濃く反映されます。

とりわけプッチの最初のスタンドであるホワイトスネイクは明らかに自我を持っているような描写が多々あり、プッチの内面を考察する上で重要なヒントになります。

では具体的にどのような性格をしていたかといえばこれが
プッチの冷静で、大物ぶった態度とは真逆のなんとも小物くさいもので
そのギャップに驚かされた人も多いかと思います。

徐倫にいっぱい食わされた際には『なめんじゃあないぞ』と吼え、
スポーツマックスの能力でDIOの骨を蘇らせた時には
手に穴が開くという予想外の事態に狼狽して
(自分から依頼したくせに)スポーツマックスの胸ぐらを掴んで捲し立てるみっともなさ。

これがプッチの本性かどうかは不明ですが、
荒木先生はDIOの頃から悪党の性根はしょうもない
という描写を一貫してやっている人ですので
十中八九意図的な描写だと睨んでいます。

思想に対する真剣さは本物

宗教家の悪党キャラクターというと
思想や信仰はハリボテで
中身は欲望に塗れた俗物…というのは典型ですが
少なくとも天国への理想に関しては
プッチは最後の最後まで真剣でした。

それがわかるのがプッチの死に際の
エンポリオに対する命乞いの発言内容です。

「神」のご意志だッ!

「神」が望んだ能力なのだッ!

中略

ケープカナラベルの後なら
いくらでも命を捧げようッ!!

わたしがここまでやって来た事が
起こらないという事に変わってしまうんだッ!

人々は時の旅で見た運命を見なくなる!
覚悟を知る事がなくなるんだッ!
『覚悟こそ幸福』という事を思い出してくれッ!

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 17巻より

『覚悟こそ幸福』という事を思い出してくれッ!ってあんた、まるでエンポリオが以前はあんたの思想に同意していたみたいな物言いをするんじゃあないよ(笑)

まぁ、この時はまさにプッチにとって土壇場だったので
上辺を取り繕う余裕もなかったはず。
全ての言葉は心からでた真実と考えるのが自然でしょう。

ちなみにアニメではさらにこの命乞いに「ほざくな小僧ォ…」という
謎セリフが追加されていたのが面白すぎて思わず笑ってしまいました。

絶対に上司にしたくない陰湿さ

プッチの性格を語る上でもう一つ外せないのが
親友DIOの息子の一人であるヴェルサスとの掛け合いです。

掛け合いというか、徐倫たちと戦っているヴェルサスに
プッチ神父が後ろから一方的に言葉をかける形だったのですが
その内容がいくらなんでも…というものばかりでした。

スタンド能力に目覚めたばかりの君と違って
空条徐倫は刑務所での経験で鍛え上げられている…

ちょっとした百戦錬磨ってやつだ…

今ので上出来だヴェルサス
徐倫がこの『穴』から逃げたいなら逃しておけ

徐倫の反撃でダメージを受けたヴェルサスに対して。
一見何気ないセリフですが、さりげなくヴェルサスを下げて
敵の徐倫を上げているのがミソです。

さっさと墜落させることは出来ないのか?
さっきから「ウェザー・リポート」のやつを感じている
穴の上に来てるというわけではないが……

これも何気ないセリフですが
見てるだけの相手から結果を催促されるのは
想像以上に癪に触るもの。

これにはヴェルサスも
「ごちゃごちゃうるせーんだよ」と
思わず愚痴がこぼれてしまいました。

空条徐倫は刑務所で鍛えられている…
おまえへの攻撃が失敗する場合のことを予測していた

このために飛行機の外へ出たんだ

彼女は警官を待っていた
警官が無線で連絡しながら来ることをな

仲間に連絡されるぞ

徐倫が機転で外部への連絡手段を得たタイミングで、
ご丁寧に状況説明をしてくれたプッチ神父のセリフ。

この辺りからヴェルサスは
イラつきを抑えられなくなっていきます。

あれが空条徐倫だ

ああやって自分の道を切り開いてくる……

さて…
それでおまえに
ちゃんとやりとげられるか?

ヴェルサス

個人的ウザポイントNo.1のセリフ(笑)

ヴェルサスのことを心底見下していなければ
こんなセリフは出てこないでしょう。

…………
…………

おまえの勝利だなヴェルサス

だが子供は3人だったぞ
1人余計だった
おまえに罪悪感はないのか?

紆余曲折を経てようやく勝利した(と思われた)挙句にこのセリフ。
プッチはとことんヴェルサスがお気に召さなかったようです。

ところでプッチ神父にだけは
罪悪感云々言われたくないと思うのは私だけでしょうか??

最後に

思ったより長くなってしまいましたが
プッチ神父の考察、いかがだったでしょうか。

ここまでずっとマイナス面ばかりクローズアップしてしまったので
最後にちょっとだけ擁護もしてみます。

まずプッチはDIOや吉良吉影と違って
根っからのサイコパスではなかったのではないかと思います。

ペルラを失うまでは純粋な心を持っていたこと、
妹への愛は本物だった事がその理由です。

ですので、もしあの悲劇がなければ、
そしてDIOと出会う事がなければ
善良な神父として一生を送る事ができたかもしれません。

そういう意味では彼もまた、
『運命の犠牲者』の一人に過ぎなかったのかもしれないですね。

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