季節は巡り、今年もまた夏が訪れようとしています。
夏といえばレジャーに観光にと楽しみの多い季節ではありますが、
私たち日本人にとっては否応なく
8月15日の終戦記念日を思い起こさせる季節でもあります。
だから、というわけではないのですが
本日は第二次世界大戦中の日本軍を扱った
「日本はなぜ敗れるのか」という本をご紹介します。
この本を私が最初に読んだのはもう10年以上前ですが
そのあまりにリアルで容赦のない内容に
心底慄然とした記憶があります。
食べ物も医薬品も圧倒的に不足した敵地で
次々と仲間が敵軍や現地ゲリラに殺されていく、
それどころか極限状況に陥るにつれ、
仲間だったはずの日本兵が最も危険な存在へ変貌していく。
従軍経験を持つ著者による残酷で救いの無い戦場の描写は
極限状況に陥った人間の真理を恐ろしいほど克明に描き出しています。
しかしながら本書の更に素晴らしいところは
そうした表面的な戦争の惨さを伝えるだけにとどまらず
人間性と精神構造の「文化・心理論」のアプローチから
「日本はなぜ敗れたか」という複雑な問いに対して
本質的な答えを導き出そうとしている点です。
同じテーマを扱った有名な本として
『失敗の本質』がありますが、
あちらは複数の学者によるマクロな鳥の視点の分析であり、
一方でこちらは元兵士によるミクロな虫の目による分析です。
つまり、この『日本はなぜ敗れるのか』は
私のように日本人の文化的性質や心理、
人間の生々しい本質に関心のある方にとっては
きわめて多くの学びを得られる一冊なのです。
そのような訳で、当記事では
私が本書を通じて特に強く心に残った部分を
ごく一部ですが抜粋してご紹介させて頂きます。
戦争という、日頃の当ブログの内容からすると
やや重いテーマにはなりますが
時には少し足を止めて、私と一緒に
人間の本質について思いを馳せてみませんか。
小松真一氏と『虜人日記』
本題に入る前に本書のスタイルについて触れておきます。
本書は評論形式であり、
軍属として招聘されフィリピンへ派遣された
小松真一という人物という人物が捕虜生活中に記した
『虜人日記』への評論という形で話が進められていきます。
小松氏は東京農業大学農学部農芸化学科を卒業した理系畑の人物であり、根っからの軍人というわけではありませんでした。
1944年にブタノール(※アルコールの一種)生産のためフィリピンへ派遣されることとなり、その後米軍に捕らえられて捕虜となった収容所内で自身や他の捕虜の話を纏めた虜人日記を書き上げました。
虜人日記の史料価値
山本七平氏は数ある戦時中の日本軍についての記録資料の中でも、小松氏の虜人日記には一級の史料的価値があると断じています。
小松氏が立場上軍のしがらみから自由であったこと、かつ記録内容がリアルタイムで同時性を損なっていないことがその最大の理由です。
本書は、まずその材料が、その内容の「同時性」と「現地性」を余すところなく証明している。この点、昭和五十年に東京で印刷された記録とは、その価値が違う。
氏は軍に所属し、従ってその内部でつぶさにその実情に接していながら、軍隊という組織に組み込まれていない特異な地位にある技術者であった。従って組織への配慮、責任の回避、旧上官、旧部下、同期生、軍関係学校たとえば中野学校の先輩後輩といった関係等への思惑、部下の戦士に対する釈明的虚偽や遺族のための"壮烈な戦死"という名の創作等々からすべて解放されている。
これは私も多いに賛同するところです。
組織内の常識や利害関係にどっぷり漬かっていれば組織に対して公平な分析、批評を行えなくなるのは当然ですし、記録のリアルタイム性というのも記憶の思い違いや混同を無くす上で重要なポイントです。
また、小松氏が科学者であり観察と分析能力に優れた人物であったことも大きかったでしょう。
しかしながら一番の奇跡は、そうした素質に恵まれた人物が仏師の乏しい収容所内で詳細な記録を行い、かつそれを紛失せず日本まで持ち帰れたことだと思います。
日本の敗因21箇条
虜人日記において、
小松氏は日本の敗因を分析し、
以下の21箇条にまとめました
- 精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物資に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
- 物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
- 日本の不合理性、米国の合理性
- 将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
- 精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
- 日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
- 基礎科学の研究をしなかったこと
- 電波兵器の劣等(物理学貧弱)
- 克己心の欠如
- 反省力なき事
- 個人としての収容をしていない事
- 陸海軍の不協力
- 一人よがりで同情心が無い事
- 兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
- バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
- 思想的に徹底したものがなかった事
- 国民が戦いに厭きていた
- 日本文化の確立なき為
- 日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
- 日本文化に普遍性なき為
- 指導者に生物学的常識がなかった
どうでしょうか。
一目でそうだと同意できるものもあれば、
逆に素直に同意できないもあるのではないかと思います。
少なくとも私もこの内容を見ただけでは
すぐには納得できないものがいくつかありました。
本書ではこれらの項目1つ1つに対し、
山本氏が自身の知見と戦争体験を踏まえた解説を加えています。
以下ではその中から、私に特に強烈な印象を受けた内容を
いくつか抜粋してご紹介させていただきます。
日本の行き過ぎた「芸」至上主義
山本氏は、当時の日本軍、日本国民の中に蔓延していたある種の「術・芸」至上主義の存在を指摘します。
言うまでもなく零細小企業は、規模・資本その他のすべてが極端にまで制約された企業であり、この制約の中で”芸”だけで他と競争して生き残ることを要請されている。これはちょうど、武器を日本刀のみに制限し、この制約の中で、”武芸”だけで優劣を争う行き方と似ている。
われわれは、非常に長い間、この一定制約下に「術」乃至は「芸」を争って優劣をきめるという世界に生きてきた。この伝統はいまの受験戦争にもそのまま現れており、ちっとやそっとで消えそうもない。
そしてこの「術・芸」絶対化の世界に生きていると、この「術・芸」が、それを成り立たせている外部的制約が変わっても、同様の絶対性を発揮しうるかの如き錯覚を、人びとに抱かすのである。
その実態を表す好例の一つとして、本書では当時の射弾観測訓練の内容を挙げています。
射弾観測とは火砲から発射された砲弾の着弾地点を計測し、
そこで得られた数値をもとに目標に対する位置や方向のずれを修正することです。
射弾観測と言えば「一言」だが、実際には、炸裂する砲弾があげる白煙の基部を瞬時に観測して、眼鏡内の目盛りで、目標との誤差を測らねばならない。煙はすぐに消え、また風で移動するから、文字通り「瞬間的な」「カン」で把える。
さらにこれが、短延期榴弾ともなると、もっと複雑である。これは、地表に落ちた砲弾がはね上がって、空中で炸裂するようにできているので短延期信管とよばれる信管だが、この場合は、砲弾が接地したときの土煙で観測せねばならない。これは、私のような素人には手におえない。いわば”名人芸”を要請される観測である。
P190より
まさに職人芸、というわけですね。
当時の日本軍は兵士にひたすらスポ根的訓練をさせてこのような「術・芸」を極めた人間を作り出すことに注力していたわけです。
毎回同じルールで戦うスポーツや盤上競技の世界であれば、確かに1つの「術・芸」を極めることが勝利への定石となり得ます。
ですが、戦争においてはその依拠すべき前提すら目まぐるしく変化し、時間をかけて身に着けた「術・芸」も状況次第で容易く無力化されてしまいかねない「危うさ」があります。
だが、このようにして受けた訓練、その結果による”芸”が果して役立ったであろうか。私はもちろん名人ではなく、”名人芸”は持ってはいなかった、しかし、たとえもっていても、すべてが無駄であったろう。というのは、ジャングルに砲弾が落ちたら爆煙は見えない。たとえ何やらそれらしきものが見えても「基部」は不明である。では、そうなったとき、いったいどうすれば良いのか。この「前提の一変」は”名人芸”ではおぎない得ない問題であり、これだけはいくら”芸”を磨いても解決がつかない。
このように、本質的にもろい存在である「術・芸」を絶対視し、それが常に普遍性を持つと錯覚したことが日本の致命傷になったと山本氏は結論づけています。
日本の不合理性とアメリカの合理性
本書では、、同じ射弾観測の問題に対してアメリカ軍がどのような解決を図ったかについても言及されています。
アメリカ軍はこの問題を、いとも簡単に解決した。彼らはわれわれが「垂直発煙弾」と呼んでいた砲弾を開発した。そして、この構造は、何も難しいものではなかったのであり、日本側でも”芸”に熱中していなければ、すぐに出来るしろものであった。
個人の「術・芸」に頼るのではなく、「誰でも結果を出せる」仕組みを作る。
これはまさに小松氏が21箇条のその1で指摘していた点に他なりません。
精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物資に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
かつてある米軍兵士が日本軍捕虜を評して「教育はあるが教養がない」といったのは、まさにこういうことなのでしょう。
教育(知識の詰め込みや学歴)はあるが、教養(多角的な視点や人間的な成熟)がない。
これはあくまでも当時の日本軍捕虜に対する詩的であり、現代においては少なくともかつての軍国主義的な思考停止の教育からは大きく脱却できているのではないかとおもいます。
ですが、近年ではクイズ番組やビジネス教養本などによる知識の消耗品化、他人にマウントを取るための道具としての「教養」、短期的利益 = タイパ重視による歴史、文学などの人文学の軽視など時代を経ることによる新たな問題も生まれてきています。
効率性や正解を素早く追い求めるあまり、物事の本質や他者への想像力がおざなりになるようでは、「教育はあるが教養がない」状態から脱せていないと言われても反論できないかもしれないですね。
現代に残る日本的弱み
本書で指摘された日本軍の弱さとは「与えられたルールの中で100点満点を目指す努力は一流だが、ルールそのものを変える、あるいはルールが変わったことに気づくのが決定的に遅い」というものでした。
そしてこれは現代の日本でも、まま見られる傾向です。
例えばIT分野をとってみても、ブラウザやOS、クラウドサービス、AIなど日本からはグローバルスタンダートとなるプラットフォームが生まれにくく、米国をはじめとする諸外国にイニシアチブを取られ続けている実情があります。(例えば、日本の多くの企業や政府機関はAWSなどの莫大なインフラ費用を毎月米国のテック企業に支払っていて、それがいわゆる「デジタル赤字」として問題視されています。)
そこには言語の壁やリスク許容度、根強いSIer構造などの複雑な要因が絡み合っていますが、日本人の精神の根底にある「職人技を磨き上げることへの執着、完璧主義、仕組みづくりの苦手さ」もまた無視できない一要因になっているのではないかと思うのです。
かつて、世界における日本人のイメージは「勤勉、真面目、誠実」であり、戦後からバブル期にかけては(当時の世界情勢の風向きもあり)実際にそれで成功する事ができました。
ですがそれが現代のグローバルで流動的な社会でも同様に通用するとは限りません。
私たちが先達の失敗から何事かを学ぶ事ができるとすれば、私たち自身の根底にある文化、歴史的な精神性と向き合い、その良さは残しつつも良さを自覚し、その罠に陥っていないかを常に自問し続ける事ではないかと私は思います。
第二次世界大戦と西南戦争の類似性
次に私が興味深く感じたのが
西南の役の西郷軍と第二次世界大戦の日本軍との類似性についての言及です。
日本人の行った最初の近代的戦争は、「西南の役」である。この戦争の中に、実は現代に至るまでのさまざまな問題が、すべて露呈していると言って過言ではない。従ってわれわれが、本当に西南戦争を調べて反省する能力があったなら、その後の日本の歴史は変わっていたであろう。
ここでの論点は主に以下の3つ。順番に見ていきましょう。
- 精神力優位の盲信、自己の過大評価
- 虚報による「鬼畜西郷軍(鬼畜米英)」の虚像作成
- 近代戦における火力と補給の問題の軽視
精神力優位の盲信、自己の過大評価
まず軍事力の相対的計算である。西郷側はこれが全くできず、一に精神力的優位の盲信、大西郷の声望に依存していた。「西郷ひとたび立てば…」天下は慴伏するであろうと。これは、大日本帝国一たび立てば全アジアは慴伏するであろうといううぬぼれに通ずる。そして自分たちは武士であるから、官軍の百姓兵などはじめから問題外と考えていた。
西郷軍の士族たちには、「自分達が大義(天皇を惑わす奸臣を除く)のために立てば、全国の不平士族が立ち上がり、政府軍など恐れて降伏するはずだ」という信念がありました。
これと同じ構図が、大戦時の日本軍に見られます。「皇軍(天皇の軍隊)が一たび立てば、アジアの民衆は解放者として熱狂的に迎え入れ、欧米列強はおそれをなすはずだ」という精神主義です。
どちらも、「自分達は正しいことをしているのだから、敵や周囲は屈服するはずだ」という主観的な願望を、客観的な情勢分析よりも優先させている点で精神構造が完全に一致しています。
近代戦における火力と補給の問題の軽視
西南戦争において、西郷軍の主力は剣術(示現流)を収めた士族個人の武勇や抜刀隊の戦闘力でした。
ですが、政府軍の近代的な装備(火力や弾薬、電信や蒸気船による素早い補給)の前に敗れ去る結果となっています。
大戦中の日本軍もまた、アメリカの圧倒的な生産力や暗号技術、レーダー技術、そして兵站(補給)の重要性を軽視し、「大和魂」や「白兵突撃」 でカバーできると思い込んで敗れた事実があります。
ブーム化に基づく虚報、妄動
戦争中の、「鬼畜米英」、戦後の「鬼畜日本軍」の祖形ともいうべき西郷軍残虐物語の創作記事は、実に、読むのが気恥ずかしいほど出ている。そして、これによる視点の喪失、ブーム化に基づく妄動こそ、西郷側にも官軍側にもあった、日本的欠陥の最たるものであった。そして、それへの反省は未だになされていないのである。
第二次大戦中、いわゆる大本営発表による情報の歪曲や言い換えが行われていたことはよく知られている話です。
これは単に国民を騙して安心させるだけにとどまらず、発信している側(大本営)も自分達の嘘に縛られ、現実の戦況を見失って自壊していったことを考えると極めて有害な過ちだったと思われます。
自分達に都合の悪い言葉を言い換えるということは、すなわち失敗から目を逸らすことと同じです。
撤退を転進と言い換えればあたかも「作戦目的を達成し、自発的に次の戦地へ進撃した」かのように思われますが、実際はこれにより、「なぜ撤退せざるを得なかったのか(補給の失敗、情報不足など)」という敗因の検証を行う貴重な機会を失ってしまいました。
あるいは全滅を玉砕と言い換えることで死を美化し、人命軽視の作戦を加速させることにも繋がりました。
自分達に都合の悪いことは、言わない、信じない、知らせない。敵のことは悪い面だけ取り上げて過小評価し侮る。
こうした結果を招いた当時の指導層、およびメディアの罪は極めて重いものだったと言えるでしょう。
まとめ
第二次大戦における日本軍の欠点が、すでに西南戦争の西郷軍の実態に表れていた。
これは実に興味深いテーマだと思います。
また、西南戦争と第二次世界大戦との関連性を考える時に外せないのが第3代内閣総理大臣 山縣有朋の存在です。
西南戦争での西郷軍の凄まじい精神力と強さに恐怖した山縣有朋は「予算も資源もない日本が、欧米列強(あるいは地続きの大国であるロシア)と戦うにはこれしかない」という冷徹な計算の果てに、意図的に精神主義を日本軍のシステムとして組み込んだ話は有名です。
そして、この山縣システムが最も華々しい成果を挙げたのが1904年の日露戦争でした。
圧倒的な大国ロシアに勝利し、近代戦において初めて欧米列強に勝利した有色人種の国家となった日本は、しかしその成功体験が強すぎたために精神主義の檻から抜け出せなくなってしまいました。
その弊害が一気に噴き出したのが第二次世界大戦の開戦判断、そして大敗だったのだと思います。
このように考えると歴史は全ては繋がっていると言いますか、過去から学ぶことの重要性を痛感せずにはいられないですね。
バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
突然ですが、日本軍が敗戦に向かった直接のターニングポイントはどこであったと思われますでしょうか。
一般的にはミッドウェー、レイテ、インパール、沖縄などの名が挙げられるかと思いますが、
本書において小松氏と山本氏は揃ってバアーシー海峡(現 : バシー海峡)の名を挙げています。
このバシー海峡というのは台湾とフィリピンの間にある100km~150kmほどの海峡であり、当時から日本と南方を結ぶ重要なルートでした。

それは米軍側も承知であり、ここに潜水艦を待ち構えさせて通行する輸送船などを次々に撃沈させていました。
しかし、そのような状況で日本軍がどういう対応を取ったかといえばただひたすらに物量(船数、人員数)を増やすことだけだったのです。
ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこに来るといえば、これまた反射的にそこへ兵力をもっていく。そして沈められれば沈めれるだけ、さらに次々と大量に船と兵員を投入して「死のベルトコンベア」に乗せてしまう。
そして、さらに戦慄するのは小松氏が記録した当時の輸送船の様子です。
人が、まるでコンベアに乗せられた荷物のように、順次に切れめなく船艙に積み込まれ、押し込まれてぎっしりと並べられていく。そうやって積み込んだ船に魚雷が一発当たれば、今そこにいる全員が十五秒で死んでしまう——。この悲劇は、架空の物語でなく現実に大規模に続行され、最後の最後まで、ということは日本の船舶が実質的にゼロになるまで機械的につづけられ、ゼロになってはじめて終わったのだった。
そしてこの「押し込み率」は、その計算の基礎は『私の中の日本軍』で記したがら再説しないが、ナチの収容所の中で最悪といわれたラヴェンスブリュック収容所の中の、そのまた最悪といわれた狂人房のスペースと同じなのである。おそらくこれは、これ以上つめこんだら人間が死んでしまうぎりぎりの限界である。
こちらの記録を読んで、あなたはどのように感じられたでしょうか?
1畳に10人を超える人間が鮨詰めにれ、臭気と湿気が立ち込める薄暗い船室の中で、いつ敵の魚雷に撃沈され暗い海に投げ出されて溺死する運命が訪れるか分からない時間をじっと過ごす…。
私なら想像しただけでも吐き気が込み上げてくるような恐怖を感じますが、こんなことが実際に、ほんの80年前に私たちと同じ、それまで普通の生活を送っていた、ただ召集されただけの人々の身に降りかかっていたのです。
日本人の持つ組織的欠陥
では、なぜ当時の日本軍の指導層は多大な犠牲が出ると知りながらも同じ方法を延々と続けてしまったのか。
その背後にあるものは「ある方法が一度決まると、それが完全に破綻していると分かっていても、同じ方法を一方向に、あらゆる犠牲を無視して極限まで繰り返してしまう」という、日本人が持つ恐ろしい組織的欠陥でした。
ではなぜこのように、全く成果のあがらないことをするのか。言うまでもなくそれは、成果があがらないとなると、その方向へただ量だけふやして、同じことをくりかえすことが、それを克服する方法としか考えられなくなるからである。
それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探求し、それに基づく組織を新たに作り直そうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。
一方、私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。同じ型の突撃を馬鹿の一つおぼえのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船舶団を同じように繰り返し送り出して自ら大量「死のベルトコンベア」をを作るようなことは、しなかった。
昨日も今日も船が沈められたのに、明日もまた同じ様に無防備な船を突っ込ませる。この「思考停止の反復」こそが、山本氏が最も恐れ、告発した日本の組織の病理だったのです。
余談ですがこれを書いている今、ふと頭によぎったのが映画「日本の一番長い日(1967)」の中で海軍中将大西瀧治郎(特攻の考案者)が叫んだ「あと二千万の特攻を出せば日本は必ず勝てる」というセリフです。
この一見狂気的な発想の裏にあるのは、「今辞めたらこれまでの犠牲が全て無駄になる(だからやり続けるしかない)」というコンコルド効果です。
しかしながら本当に恐ろしいのは、今こうして記事を書いたり読んだりしている私たちもまた、状況が変われば同じような思考に陥らない、とは言い切れないことです。
故に過去の事例を知り、自分たちにはそう言う側面もある、という自覚を持つことが何よりの自衛となるのではないでしょうか。
助かってもまた地獄
バシー海峡の恐ろしさはよく分かった。では、その恐ろしい道のりを超えてきた兵士たちは十分に日本の勝利のために活かされ得たのでしょうか。残念ながら答えはNoでした。
砲なき砲兵、自動車なき自動車隊、航空機なき航空兵、それらが、「死のベルトコンベア」からこぼれ落ちたように比島に到着してみれば、最初に兵站でうける挨拶が「何だって大本営は、兵員ばかりこんなにゾロゾロと送り込んで来るのだ。第一、糧秣がありゃしない、宿舎もない、兵器!とんでもない。そんなものがあったら、すでに到着した部隊を兵器なしで放り出しておくわけがあるまい。当分、シナ人墓地ででも宿泊してろ」ということであった。
命懸けの航海を終えて戦地についてみれば、何もやることがないというこの皮肉。当時の日本軍の無計画ぶりが伺えます。
そして彼らの多くはいずれ、武器も、食料も、衣類も、圧倒的に不足したジャングルの中で、戦う前に飢餓や病気で命を落とす運命を辿ったのでした。
なぜバシー海峡の知名度は低いのか
戦争を知らない私たちの世代でも、レイテ島の戦いやガダルカナル島の戦いは教科書などで耳にした機会があるかと思います。
一方でバシー海峡の一般的知名度はそれらに比べてはるかに低いと言わざるを得ません。(私も本書を通して初めて知りました。)
犠牲者数だけ見ればレイテ、ガダルカナルにも劣らないにも関わらず
今一つバシー海峡の世間的な知名度が低い背景には
それが「戦闘」ではなくドラマ性が低かったことに加え、
軍上層部にとって最も隠したい大失態であったことが関係しています。
前線での華々しい戦闘や悲壮な玉砕は「英霊の奮闘」として戦中・戦後も語られやすいのに対し、「組織の無能によって兵士をただ犬死にさせた記録」は、軍の責任者たちにとって最も隠蔽したい、直視したくない最大の汚点でした。そのため、公式な記録や戦後の総括でも、大きくクローズアップされにくかった背景があったのです。
まとめ
われわれが「バシー海峡」と言った場合、それは単にその海峡で海没した何十万かの同胞を思うだけでなく、この「バシー海峡」を出現させた一つの行き方が、否応なく、頭に浮かんでくるのである。従って小松氏が、敗因の中にこの海峡の名をあげたのは、当然過ぎるほど当然であった。太平洋戦争自体が、バシー海峡的行き方、一方法を一方向へ拡大しつつ繰り返し、あらゆる犠牲を無視して極限まで来て自ら倒壊した行き方そのままであった。
バシー海峡は日本の組織的な欠陥が最も最悪の形で露呈したロールモデルでした。
そしてこの欠陥は今もしばしば見られる現象です。
2015年の東芝の不正会計問題、みずほ銀行の大規模システム障害の連鎖、コロナ禍における行政や医療現場のデジタル化の遅れなどなど。
これらの失敗に共通するのは個人レベルでは「これはおかしい」と気づいている人がいても、「組織の方針だから」「波風を立てたくないから」という理由で問題が黙殺され続けた結果、取り返しつかなくなった段階で初めて爆発したという点です。
そしてこれは、何も大企業に限った話ではなく、中小企業やもっと小さな友人同士のグループなどでも日常的に見られる光景であり、私含め身に覚えある方がほとんどであろうと思われます。
誰も責任を取らない、みんなが空気の顔色を窺い、誰も中止の決定を下さないまま破滅へと突き進む。
それを避ける道があるとすれば、私たちを支配する「空気」の存在を知り、今自分がそれに呑まれていないか、過ちに加担していないか常に自戒するということかもしれないですね。
さいごに
「日本はなぜ敗れるのか」、いかがだったでしょうか。
当記事で触れたのは本書のほんの一部であり、他にも多くの学びと発見のある一冊です。
特に、私たちが日頃縛られている空気の正体や日本人特有の思考、判断の癖を知りたい、興味があるという方にとってはお値段以上の価値ある読書体験になること間違いなしです。
それでは、またの機会に。


