仗助を目にした母が...
私の脳裏に今でも残る、10年ちょっと前の母との記憶がある。
20歳をちょっと超えたあたりの頃、当時まだ家族と同居していていた私は自分の部屋に好きな漫画のキャラクターのフィギュアを10体くらいずらっと並べていたりした。
そんなある日、母が私の部屋のフィギュアの一体を目にして急に顔色を変えたことがあった。
そのフィギュアとはジョジョの奇妙な冒険4部主人公の東方仗助。

仗助の存在を認めるなり、母は眉間に皺を寄せながら「それは見えるところに飾らないでほしい」と私に言った。
基本的に母は私の趣味に口出しするタイプではなかったので、その時も最初は冗談半分で言ったのだろうと思い、「見た目は不良だけど漫画の中ではいいやつなんだよ」的な釈明をしたように思う。
しかし母の嫌がりようはかなり真剣で、これはまずいと察した私は結局買ったばかりの仗助フィギュアを棚にしまうより他に手がなくなってしまったのだった。
と、こう書くと別にオチもない平凡な話なんだけれど、あれから時が過ぎた今になって思い返してみるとこれはヤンキー文化の「記号性」と「世代記憶」が交差する、かなり象徴的な一幕だったんじゃないかと思えてきた。
まず、なぜ母は数あるフィギュアの中でも東方仗助にだけあれほど過剰な反応を示したのだろうか。
母自身はその理由を説明しなかったし、私もあえて聞かなかったのだけれどそれはほぼ間違いなく、仗助のトレードマークである、あの立派なリーゼントにあったのだと思う。

私の母は1950年代半ばの生まれであり、青春を送ったのは1970年代ごろの計算になる。
私はこの時代を生きていないので聞き齧りでしか語れないのだけれど、1970年代といえば校内暴力全盛で、ポマードでガチガチに固めたリーゼントの不良が本当に存在してた時代でもあったはずだ。

だとすれば、その時代に女学生だった母にとってのリーゼントツッパリとは学校や街で威圧してくる、近づかれたくない、場合によっては実害の記憶がある存在であり、であれば太い眉、鋭い目つき、がっしりした体格、そして強烈なリーゼントを備えた東方仗助のフィギュアに嫌悪感を示したのも無理からぬことだったろうと思う。(単純に4つ下の弟の教育に良く無いからという理由も考えられるけれど、あの時の母の顔に浮かんだ嫌悪は十中八九個人的な体験に根差したものだったと私は確信している。)
一方で90年代初頭生まれの私にとって仗助のようなリーゼントに改造ガクランのヤンキーというスタイルというのはもはや記号化されたパロディの対象以外の何ものでもなくそこに個人的な脅威や不快感が入りこむ余地はない。
リーゼントのヤンキーキャラといえば仗助だけでなく、HUNTER×HUNTERのナックルやワンパンマンの金属バットなど見た目は怖いが心は優しい面白系キャラというある種の脳内記号化が完成してしまっている。
そうした世代間のギャップが互いのズレとして表出したのが今回のエピソードだったのではないだろうか。
個人的ヤンキー恐怖体験から母の視点を考える
母の体験をそのまま追体験することはできないけれど、似た体験を通じて擬似的に追体験することならできる。
というのも実は私も中学生の頃、ヤンキーに関してとても恐ろしい体験をしたことがあるのだ。
あれは中2の梅雨ごろの放課後のことだったと思う。
部活動が終わりさっさと家に帰ってゲームをやりたかった当時の私はやや早めのスピードで自転車を飛ばしていた。
通学路というのは通常一つの決められたコースを使うように指導されるものだと思うけれど、当時の私は気分によってルートをアレンジすることがあり、その日は普段あまり使わない慣れないルートで帰っていた。(思えばそれが最大の過ちだった…)
そろそろ家までの距離が半分は過ぎたかという頃、狭めの歩道を走っていると前方に自転車に乗った工員風の3人組が先行しているのが見えて来たのだが、比較的ゆっくり走行してたため抜かして先へ行かせてもらうことにした。
そのまま普通にすり抜けて少し経った頃、不意に誰かが叫んでいるような音が私の耳に聞こえてきた。
(さっきの3人組だろうか、何かあったのかな?)
そう思いつつ何気なく振り向いてみると、目に飛び込んできたのは明らかに私を標的として鬼のような形相で怒号を上げながら全力で迫ってくるヤンキー3人組という、あまりにも恐ろしすぎる光景だった。
おそらく私が追い越す際に雨が跳ねてしまい、彼らのズボンか何かを汚してしまったのではないかと思う。
ここでもしかすると、だったら素直に悪気がなかったことを話して謝れば良かったのではないかと思われる方がおられるかもしれないが、はっきり言って自分より2回りも大きな不良三人が殺すぞなんだのと叫びながら迫ってくるのを目にしたならそんな冷静な思考など働くわけがない。
追いつかれたら殺される。本能が告げる絶対的なメッセージに追い立てられ、私は足がちぎれるほどに自転車をぶっ飛ばして逃げ続けた。
10分ほどのチェイスの後、相手も根負けしたのかようやく撒くことが出来たのだけれどその後もしばらくは心臓がバクバクで生きた心地がしなかったし、トラウマでその道は二度と通れなくなり、それから数年にわたってこの体験を悪夢として何度も繰り返し見る羽目にもなった。
...というのが私の恐怖体験なんだけれど、この体験を踏まえて思うことがある。
もしこの時追ってきていたのが70年代のリーゼントヤンキーだったら果たして私は東方仗助のフィギュアを購入したり、飾ったりする気になれただろうか。
あるいは仮に私が親の立場で、子供が私を追いかけたヤンキーと似た服装のフィギュアを部屋に飾っていたとしたら、やはり私も母と同じような不快感を感じるのではないのではないだろうか。
そうやって自分の身に置き換えて振り返ってみると、過去のトラウマ的体験が理屈じゃなくて
- 見た目
- 声の調子
- 服装
- 雰囲気
といった「断片的な記号」に強く結びつくというのが良くわかる。
だからこそ母は「仗助は見かけによらず根は優しい」という、当時の私の理屈での説得に納得することができなかったのだろう。
最後に
これも今思うとだけれど、あの時母が仗助のフィギュアを「捨てて」ではなく「見えるところに飾らないでほしい」と言ったことには大きな違いがあったように思う。
私の趣味を尊重しつつも、自分の心の平穏を守るための最低限のお願いとしての「見えるところに飾らないでほしい」だったのだろう。母はそういう人だった。
しかしそんな母も7年前に大腸がんで亡くなってしまった。
もし生きていれば、当時の話を(もちろん当人が話したいと思える範囲で)聞くこともできたかもしれない。
これを読まれている皆さんも、目上のご家族が健在であればなるたけ早いうちに気になることは全部聞いてしまうことをお勧めする。
今回の仗助の話のように、なんでも無いような日常の中に貴重な気づきが埋もれていることもあるだろうから。
余談
母とジョジョのフィギュアにまつわるエピソードと言えば、昔東京へ家族旅行へ行った時に、夕食後にノリで立ち寄った玩具屋でアバッキオのフィギュアを見た母が「この人かっこよくない?」なんて言っていたことがあった。
それを聞いた当時の私は酒が入っていたこともあり、すかさず「その人後輩にイジメでおしっこ飲ませるけどね」とありのままの真実を伝えたところ苦笑いで返された良い(?)思い出がある。
