はじめに
サイコパス。
精神医学的には反社会的パーソナリティ障害といい、良心、共感性、罪悪感の欠如を特徴としています。
いわば生まれつき良心のブレーキが壊れているようなもので、この特性を持つ人間は、普通の人なら良心が咎めるような決断でも躊躇いなく自分の利益になる判断を下すことができます。
彼らは社会における捕食者であり、それ以外の大多数の人々にとっては傍迷惑極まりない存在ではあるのですが、一方で創作においてはこれほど美味しい存在もありません。
知能が高く、良心を持たないサイコパスは物語の悪役としてうってつけですし、居るだけで次に何をするかわからないという緊張感も生まれます。
日頃、常識や道徳、倫理にがんじがらめになっている私たちからすると、そうした縛りを軽々とこえて唯我独尊を貫き通すその姿にある種の痛快さ、憧れを感じてしまう側面もあるのかもしれません。
本日ご紹介するのは、そんなサイコパス的な性質を持つ…と私が勝手に判断した漫画、映画などの創作上のキャラクターたちの中でも、特に私の心に強烈な爪痕を残した面々です。比較的有名な作品からの選出が中心となりますが、漫画や映画が好きな方は、自分の知ってるあのキャラが紹介されるか予想しながら楽しんでもらえればと思います。それではどうぞ。
浦上(寄生獣)

岩明均が描く「眼」の怖さ
トップバッターを飾るのは、岩明均の名作SF漫画、「寄生獣」より浦上です。
浦上が初登場するのは物語も終盤に差し掛かろうかというタイミング。
浦上には人間に擬態した「パラサイト(=人喰いの怪物)」を見抜く動物的なカンがあり、その能力を調査する研究機関において主人公である新一と対面することになります。
当初は女性の被験者の目の前でいきなり自慰を始めるなどふざけた態度をとっていた浦上ですが、新一と目があった瞬間に態度が一変。

岩明均 『寄生獣』 より
この眼!初見時は本気でビビった。
新一は完全なパラサイトではないのですがある事情で体内に寄生生物の断片が混じっており、その違和感を浦上は感じ取ったんですね。
幸いこの時は違和感止まりで新一の秘密は守られたわけですが、新キャラクター浦上の顔見せとしてはこの上ない印象を残す一場面でした。
浦上に超人的な"カン"が宿った理由
浦上が超人的なカンを身につけた理由について、当人は「人間でたくさん遊んだ」からだと述懐しています。


岩明均 『寄生獣』 より
この表現から、浦上が他人を自分が遊ぶための「モノ」としか見ていないことが分かりますね。
パラサイトとの対比としての浦上
浦上の最後にして最大の見せ場(?)となるのが作中のラストエピソード。
最強のパラサイト、後藤を倒し平穏な日常が戻ってきたと思った矢先、紆余曲折を経て自由の身になった浦上が再び新一の前に現れ、恋人である村野 里美を誘拐します。
里美の首にナイフを当てつつ、人と「パラサイト」の中間の存在である新一に「本能に正直に生きる俺こそが本当の人間だよな」と問いかける浦上。
その後の顛末は省きますが、この問いを受けて新一が出した答えは寄生獣という作品を締めくくるにふさわしいものでした。
ある意味で浦上は、寄生生物という作品に有終の美を飾った功労者だったと言えるでしょう。
さりげない暴力の怖さ
もう一つ浦上について印象深かった点と言えば、不意に繰り出される暴力のさりげなさです。

岩明均 『寄生獣』 より
まるで服の埃でも払うような感覚でサッと殺してしまう。
そのさりげなさには、個人的にキタノ映画に通じる乾いた暴力のセンスを感じます。
なんというか、「人を殺す」と言う選択肢が違和感なく日常の選択肢に含まれている感じがとてもリアルで怖いんですよね。
まとめ
ミギーや田宮玲子のように人間のような心を獲得するパラサイトがいるなかで、肉体は人間でありながら獣のような心を持つ浦上の存在は鮮烈なコントラストでした。
逆説的ですが、どこまでも利己的な浦上の姿を通じて、「寄り添い生きる獣」としての人間の素晴らしさを教わったような気がします。
二郎三郎(殺し屋1)

一目で"それ"とわかる本物感
間違いなく面白いんだれどできれば自室の本棚には置きたくない漫画ランキングを作ったらベスト3を争うであろう漫画、『殺し屋1』より二郎三郎です。
本作の主人公はタイトルが示すように殺し屋のイチなる青年なのですが、二郎三郎はイチのヒロイン敵役となる暴力団員の垣原の援軍として物語中盤から登場します。
詳細は省きますが、ざっくり説明すると最初にイチを含む新宿のはぐれ者グループが垣原の組の金と組長の命を奪い、垣原は復讐のためイチたちを追うものの、自身の向こう見ずな言動のせいで離反者が続出した結果手ゴマが足りなくなり、かつて古巣の組でつるんでいた二郎三郎を助っ人に呼び出した、と言う流れです。
そもそも今話に出てきた垣原(ドM)やイチ(ドS)の時点でかなり常軌を逸した変態的なキャラクターではあるのですが、その中でも初見時のインパクトと言うか、読者に植え付けたトラウマの度合いで言えばやはり二郎三郎の右に出る者はいないでしょう。
原始人を思わせる屈強なガタイに感情の読めない細い目、鏡写しのように瓜二つの外見。
見た目からしてヤバさMAXなこの2人ですが、本当に恐ろしいのはその内面にこそあるのです。
トラウマ必至の初登場シーン
殺し屋1は先述したようにほとんどやばい人しか出てきません。
イチは生粋のドSで人を殺した後にオ⚪︎ニーをするド変態ですし、垣原は逆に自らがMすぎるあまりに凄惨な拷問を顔色ひとつ変えずにできてしまうほどのド変態です。
そんな変人達が既に登場している中で、中盤から加入した二郎三郎が存在感を発揮するために披露(?)したのが既読者には有名なかの「地獄の問答」でした。
作中、態々加勢に来てくれた双子に対し、垣原は普段は富裕層を相手にしている高級ホステスを2人呼び出してあてがいます。
双子と女性たちはしばらくホテルでハッスルしたのち焼肉へと移行。
和気あいあいと焼肉をつまみつつ、先ほどまでのプレイの話で盛り上がる中、ふと話の流れで三郎が女性の片方にこう尋ねます。
「俺と兄貴、どっちが良かった?」
少し逡巡したのち、「弟さんかな!」と答える女性。
するとその瞬間、それまで楽しそうにしていた二郎の顔色が急変。
女性の髪を掴んでおもむろに力を入れ出したかと思いきや…

まさかの強制脱毛サービス。
キレられた女性は女の命とも言える髪の毛を根こそぎむしり取られて、部屋の隅で泣きじゃくるより他にありません。
この時点でもかなりの恐怖なのですが、本当に凄まじいのはここから。
目の前で起きた惨劇に対する恐怖で動けないもう一人の女性に対し、今度は二郎が「君はどっちが良かった?」と尋ねます。
女性は髪をむしられた相方をチラ見した後、同じ轍は踏まぬとばかりに「お兄さんの方がよかったです」と涙目で返答します。
…その後に女性の身に起こったことはあえてここには記さないでおきましょう。
一つ言えることは、どちらを選んでも地獄。まさに問われた時点で逃げ道がないというのがこの問答の恐ろしいところ。
双子の異常性と危険性をまざまざと読者に知らしめた漫画史に残る凶悪シーンでした。
まじでハンパじゃない双子の拷問
のっけから読者を恐怖のどん底に突き落としてくれた二郎三郎ですが、それ輪をかけて怖すぎたのがイチの仲間である龍への拷問シーンです。
龍はヒモを生業とする中国人で、水商売で働く彼女(ミユキ)がいるのですが、垣原らの罠にハマって二人とも捕まってしまいます。
事務所に連れて行かれた二人に待ち受けていたのは二郎三郎によるセックス&バイオレンスの拷問フルコース。
双子の片割れが龍を拷問し、残りがミユキを犯すという作業分担なのですが、恐ろしいのは初登場シーンで垣間見られた双子同士の競争心がここでも遺憾なく発揮される点。
「アニキのいたぶり方は甘い」と三郎が龍の足の親指にドスをブッ刺したかと思えば、二郎は二郎で「よくコイツの悲鳴聞いとけよ」と宣言した上で龍の耳を素手で引きちぎり…といった具合に互いの暴力が際限なくエスカレートしてく様子はまさに地獄絵図。

そんなこんなで最終的に龍はミユキの目の前で命まで奪われてしまうわけですが、その直後にすらどっちの拷問が上だったかの言い争いに終始する始末。(おまけに殺してしまったものだから情報を引き出すという本来の目的を達成できていないという…)
兄弟揃って共感性が下限を突破した正真正銘のサイコパスツインだと言えるでしょう。
まとめ
今回セレクトした中でも、単純なトラウマ度でいえばこの双子がナンバーワンかもしれません。
何より他のキャラクターと違って舞台が現実の日本かつSFやファンタジー要素が入り込まないリアル志向の作風なので、もしかしたら自分の身近にも潜んでいるかもしれないと思わせる妙なリアリティがあるのが嫌すぎます。
それでも最後は兄弟揃ってイチに始末され、少しでも読者の溜飲を下げてくれたのは本作の数少ない良心かもしれないですね。
佐藤(亜人)

佐藤さんに始まり佐藤さんに終わった漫画
人間そっくりだが「死なない」という特徴を持つ「亜人」が存在する世界を舞台としたSF漫画『亜人』に登場したのがこの佐藤さんです。
佐藤さんもまた亜人の一人ではあるのですが、彼が他と一味違うのはそして何事に対してもゲーム感覚で、なおかつ自分の命にも他人の命にも全く関心を持っていないという点です。
亜人の特性を活かしすぎた戦術の数々
個人的に佐藤さんの活躍シーンで一番印象に残っているのはやはりフォージ安全ビルで見せた手羽先ワープですね。
厳重なセキュリティに守られたビルの中にどうやって潜入するのかという場面でしたが、佐藤さんはこれを亜人のあるルールを利用して解決します。
それは「死亡時に復活するのは肉体の最も大きな断片のある場所になる」というルール。
事前に自分の手首から先を切り落として(!)油で揚げて手羽先に紛れ込ませたものをビル内部へ郵送しておいた上で、到着したタイミングを見計らって木材破砕機に自ら飛び込み(!)、手羽先の場所、つまりビルの内部への侵入を果たしてみせたのです。


こうやって文章にするとシンプルですが、常人であればまず手首を切り落とす時点で躊躇してしまうでしょうし、それ以上にたとえ復活するとしてもその前後での自己同一性の問題があり、およそまともな神経で実行できる作戦ではありません。(作中でも、亜人にとって首切りはタブーと説明されています。)
当時の自分も、この場面から「この漫画は面白い!」と確信した記憶があります。
まとめ
その後も作中で大暴れを繰り返し、登場人物と読者を引っ掻きまわし続けてくれた佐藤さん。
その末路については、実際に漫画を読んで確かめていただければと思います。
ただ一つ亜人という作品に対して個人的にちょっと惜しいなと思ったのは、最初から最後まで佐藤さんが暴れまくったために、他の部分の印象が若干薄れてしまった感があった事ですね。
冷徹に見えて実は厚い部分もある主人公とかも魅力的だった気もするのですが、蓋を開けてみれば終始佐藤さんに振り回され続けた印象でした。
果たしてそれが最初から計算通りだったのか、それとも「キャラが一人歩きした結果」だったのか。作中での暴れっぷりを思い出すと、なんとなく後者だったような気がしてなりません(笑)
董卓(蒼天航路)

暴君という言葉を絵に描いたようなキャラクター
蒼天航路は正史三国志を題材にした大ヒット漫画で、2009年にはアニメ化も(出来はともかくとして…)果たしています。
漫画における主人公は「乱世の奸雄」と評され後に魏国の丞相となる曹操孟徳なのですが、この董卓は魏国建立の前段階にあたる、まさに時代の変わり目において非常に重要なポジションを担いました。
曹操や董卓が活躍した後漢末期、前漢から数えれば400年以上続いてきた漢王朝はしかし宦官と外戚の権力争いや黄巾の乱(184年)による国家の動揺を受けて滅亡の危機に瀕している状況でした。
漢帝国が健在の間は北部涼州の中郎将として牙を研ぎ続けていた董卓でしたが、当時の皇帝である霊帝が死没したタイミングで皇帝の外戚である大将軍の何進の命により、それまで権力を牛耳っていた宦官の排斥を目的として当時の都である洛陽へと呼び寄せられます。
一方都では宦官の大粛清が進む中、宦官の元締め的存在である張譲が二人の天子を連れて都からの脱出に成功します。
この張譲というのがまた食えない人物で、董卓登場までは曹操に対する最大の壁として何度も目の前に立ちはだかり続けてきた存在でした。
そんな張譲の狙いは二人の天子を駒として再び権力の座に返り咲くこと。
しかし、現状ではそれを実現するための武力が足りない。ではどうするかと思案していたところで、都へ向かう途中の董卓軍と邂逅します。
老獪な張譲はこれ幸いと董卓を焚き付け自軍へ引き込もうとしますが、董卓の返答は張譲の想定を遥かに超えたものでした。

「お前の頭から皮を剥ぎとり、足からは一寸刻みに肉を削ぎ、長い時間をかけて死に至らせる。そして男根の痕跡を人目にさらし、苦と惨と悲をからめて地獄に落とす!」
もうこの1コマで掴みはバッチリ。曹操があれほど辛酸を舐めさせられた張譲をゴミのように片付けて董卓が新たなボスの座に着くという、あまりにも完璧すぎるエピソードでした。
散りざまがカッコ良すぎる!!!
幼い皇帝(劉協)を盾にとり専横の限りを尽くした董卓でしたが、権力掌握からわずか2年後の初平2年(191年)、ついに年貢の納め時がやってきます。
有名なエピソードなのでご存じの方も多いかもしれないですが司徒の王允、そして部下だったはずの呂布に裏切られ、長安で壮絶な死を迎えることになるのです。
その最後の場面を蒼天航路は次のように描きました。

「天下万民!! 我を尊ぶべし!」
「贅の限りを尽くし善悪さだかならぬ果てに届いてこそ尊重な王となる」
「我はその王の姿をかいま見たに過ぎぬ!!」
…いやー、傲岸不遜もここまで突き抜けるともはやある種の清々しさというか、神々しさすら感じられてしまいますね。
蒼天航路の董卓が今なおしばしば語種となるのは、こういった最後までブレない格好よさが多くの読者のハートを掴んだからこそでしょう。
まとめ
董卓は他のサイコパスキャラと比べると、権力や影響力のある立場だった分、周りへの迷惑度が頭一つずば抜けている印象です。
しかしながら董卓が敵役を演じてくれたからこそ、後に敵同士となる曹操、袁紹、袁術、公孫瓚、孫堅、(漫画では)劉備らが一度は味方同士でチームを組むという胸熱展開が実現したわけで、作劇的には実にありがたい存在だったりもします。
典型的な、遠くから見ている分には面白いがリアルでは絶対に関わり合いになりたくないタイプの人物ですね。
アントンシガー(ノーカントリー)

この世の理不尽の象徴みたいな存在
最後は趣向を変えて、映画「ノーカントリー」からハビエル・バルデム演じるアントンシガーです。
ノーカントリーはアメリカのテキサス州を舞台としたクライム映画で、シガーはギャングの金を火事場泥棒した主人公のモスを追う殺し屋として登場します。
初見時はその奇妙なヘアスタイルに目が向きがちなシガーですが、その本質は理不尽な死や暴力、恐怖の象徴です。
復讐や快楽のためでもなく、金銭のためでもない。
人を殺すという行為に個人的な感情がほぼ介在しない点こそが、私たちがシガーに対して恐怖を感じる最大のポイントだと思います。
生死を決めるコイン・トス
劇中でシガーが幾度となく行うコイン・トスには、彼の哲学が示されています。
「殺すのは自分(シガー)の意思ではない」「運命の積み重ねが最終的な結果を決める」
普通、創作に登場する殺人者にはそうならざるを得なかった過去や動機がセットで描かれるものであり、だからこそ我々は無意識的に「理由があるのだから、自分が犠牲者になったり、殺人者になったりする道を回避する方法もあるはずだ」と合理的に納得して安心することができます。
しかしシガーにはそれがない。人の生死をコインの表裏という確率だけで決めてしまう理不尽さ。
これはある意味非常に現実的で、実際に病気や事故はその人の属性(善悪とか能力とか)に関わらず降りかかってくるものです。
人間の意思や努力とは無関係にどう足掻いても、絶対に回避できない宇宙の法則としての苦しみ、不幸。
シガーはその象徴であり、だからこそあれほどに私たちを戦慄さしめるのです。
なぜシガーの武器はキャプティブ・ボルト・ピストルだったのか
シガーを象徴するもう一つのアイテムが、彼が仕事を行う際に使用するキャプティブ・ボルト・ピストルです。
これはガス圧で金属製のボルトを発射する銃器もので、本来は本来牛の屠殺用の道具なのですが、なぜシガーにこのような武器があてがわれたのでしょうか。
私が思うに、これはおそらくシガーの行う殺人の「作業感」を強調するための仕掛けの一つだと思います。
牛を屠殺するように、人間も殺す。
あくまで淡々と決められたスケジュールをこなすように殺人を行うシガーにとって、これほどお似合いの武器も他にないでしょう。
また、通常の銃のように派手に血が飛び散らない点も、かえって不気味なリアル感を増す効果につながっていたように思います。
まとめ
これほどまでに恐ろしいシガーですが、映画のラストでは道を渡ろうとしたところで縁もゆかりもない一般車両に轢かれて重傷を負ってしまいます。
シガーもまた、理不尽な死からは逃れられない人間の一人に過ぎなかったということでしょうか。
しかし、シガーはそれでも死なず最後は自力で立ち上がって何処かへと去ってしまいます。
もしここでシガーが死んでいたら、それこそ本作は旧来のありきたりな勧善懲悪、因果論の枠組みに収まってしまうことになり、作品としての深みを損なう結果になっていたでしょう。
あそこでシガーが死ななかったからこそ、今の社会が「旧来の物語的な正義が存在しない」方向に向かっているのではないか?(あるいはもうそうなっているのではないか?)という作品のメッセージが鮮やかに強調されたのです。
これはまさに原題の「No Country for Old Men(老人たちの居場所のない国)」の意味するところであり、そのメッセージ性の深さも含めて本作が高く評価されるに至ったのだと思います。
しかし地味に恐ろしいのがこの映画の時代設定が1980年代であるということ。そこから数えると早40年が経過したわけですが、世界はノーカントリーで描かれた「理不尽な暴力が支配する社会」から少しでも離れることができているのでしょうか、それとも…?
惜しくも? 選外になった方々
ライオス(ダンジョン飯より)
魔物を食べることに情熱を傾けすぎるあまりに仲間からもそこはかとなくサイコパス扱いされてしまっている青年。
確かに偏った部分はありますが、今回セレクトした面々と比べると共感性はまだ十分にあるように思えたので選外としました。
彼の場合はサイコパスというより、発達の傾向じゃないだろうか、と勝手に思ったり。
童磨(鬼滅の刃より)
上弦の弐であり、氷の血鬼術を持つ鬼。
一見愛想が良く屈託なく笑うものの、本当は怒りや恐怖、悲しみなどの一切の感情がなく、表に現れるのは全て"フリ"に過ぎないという典型的なサイコパスキャラ。
一つのサイコパス像としては秀逸でしたが、怖さという意味ではベスト5の面々には及ばない印象だったので今回は選外としました。
有賀研二(銀と金より)
福本伸行のギャンブル漫画『銀と金』より、主人公 森田鉄夫への試練としてあてがわれた連続殺人鬼。
ぼーっとした優男風の外見と凶悪な本性のギャップは魅力的でしたし、例の鏡のシーンはページをめくった瞬間に思わず声が出たほどまじでゾッとしたものでした。
ただし1エピソード限りのキャラということもあり、全体的に評価材料が乏しかったため今回は惜しくも選外となりました。
シビル・ウォーの赤グラサン男(シビル・ウォー)
映画、シビル・ウォー アメリカ最後の日より。
無政府状態になったアメリカで、一般人を虐殺していたヤバすぎる男。
こいつが登場したあたりで映画の空気感が一気に変わったのは面白い体験でした。
インパクトは十分でしたがやはり登場シーンの少なさから選外に。
最後に
こういうテーマの記事って、どうしても話題が陰惨になりがちなので最初は書いていたら気が滅入るかな、とも思っていたのですがいざ書き始めるとむしろいつもより筆が乗って楽しく取り組めました。
私がかつて彼らからもらったトラウマを文字にして相対化することである種のリハビリになったのかもしれませんね。
まぁ、こんな記事ばっか書いててもあれなので、ほどほどにせねばとは思いますが…
