なぜここ10年でインターネットは急速につまらなくなったのか

エッセイ

「昔は良かった」なんて言いたくはないけれど

最近インターネットがつまらない。

正確にいうと、「ネット検索」がつまらない。

具体的にどうつまらないかといえばそれは、
「中身の薄いキュレーションサイトや
まとめサイトばかりが検索上位化されていて
本当に読みたい情報にすぐにアクセスできない」
ということに尽きる。

何か知りたいことがあって検索を掛けても
上位表示されるのは
「〇〇が〇〇という悪評は本当?評判などをまとめてみた」
「〇〇の出身地は?身長は?彼女は?学歴がすごかった!」

といった感じの判で押したようなタイトルの薄っぺらい記事や
ブログ記事にかこつけて情報商材を売りつけてくる
詐欺まがいのコンテンツばかりで
ため息交じりにページをそっ閉じする毎日。

これは専門系のコンテンツでも例外ではなく、
例えば私の専門であるプログラミングの分野で言えば
侍エ○ジニア塾などは
技術系記事でやたら上位化されている割に
・自社サービスへの誘導が多く、デザインがごちゃごちゃして見辛い
・まともなサイト(Qiitaなど)なら3行で済ますような内容をひたすら水増しして文字数を稼いでいるために欲しい情報がすぐ手に入らずイライラする
・プログラミングスクールを運営しているくせに記事に載っているコードに初歩的なミスが少なくない

という三重苦で、
多くのプログラマーから熱いヘイトを受け続けている。

(参考:お前らはまだ、侍エンジニア塾の凄さを知らない - Qiita)

だが今回ここで話題としたいのは
今挙げたようなサイトの是非をとやかくいうことではなく
こうしたネットの汚染が
ここ10年ほどで急速に
進んだように感じられることだ。

体感的には2010年代に入ってからだろうか、
スマホやSNSやYoutuberなどが台頭し、
猫も杓子もネットと繋がる時代になったことで
ネット全体の質が明らかにそれ以前とは
変質してしまったように思える。

かつて存在していた
純粋に自分の趣味や技術を突き詰めた
ニッチな個人サイトや
胡散臭いアングラサイトは
インターネットの表通りから姿を消し、
代わりに先ほど挙げたような
まとめサイトやキュレーションサイトが大量になだれ込んできた。

こうしてネットの世界は飛躍的に
安全で、クリーンで、健康的になり、
そしてその見返りにひどく退屈なものとなった。

一体なぜ、こうなってしまったのだろうか。

本当にこれが私たちの望んだ
ネットのあるべき姿だったのだろうか?

「SEO対策」はクソである

私はSEO対策という言葉が嫌いだ。

そしてブログ運営者として
その大嫌いなSEO対策を行わざるを得ない自分自身も嫌いだ。

本来、こんな小細工に頼らなくても
本質的に優れた記事が検索上位に来ることが
Googleにとっても利用者にとっても最善であるはずだ。

SEO対策に関する問題点の一例
・SEO知識がなければ土俵にすら上がれない状況が出来てしまっている。
・Googleのサイトの重要な評価基準の一つが「サイトのコンテンツ量」であるため、結果として文字数だけ多くて内容が薄っぺらく価値の低い記事が量産されることを助長している。
・ネットがカネになることに気がついた大手企業の参入により資本力のない個人ブログが駆逐され、結果として検索結果の多様性が損なわれている。
・PVを稼ぎやすいランキング記事やおすすめ記事の粗製乱造を助長している

それでもなぜ「SEO対策」なる言葉が今なお存在し、
もてはやされているかといえば、
それは単にGoogleを始めとする
検索エンジンが不完全なものであるからに他ならない。

SEO対策とはいうなれば
検索エンジンの不完全性を突くハックであり、
もし検索エンジンが本質的に優れた記事を
確実にピックアップできる完全なものであれば
この世からSEO対策という言葉は消滅し、
ひいては私たち利用者も
魅力的なタイトルにつられて
リンクをクリックするたびに失望してため息をついたり
ゴシップサイトブロッカーのような
自衛手段をとる必要もなくなる。

だが、検索エンジンの性能については
個人の立場でいくら文句を言っても仕方がないだろう。

「じゃあお前が代わりに完璧な
検索アルゴリズムを作れよ」と言われても
私にはできないし、
そもそも「本質的に優れた記事」なんていうのは
ひとそれぞれで定義が違うものであって
Googleのアルゴリズムがどれだけ進歩しようが
所詮プログラムには「良さ」だとか「面白さ」だとかの
人間的な感覚を正確に扱うことができないのだから。
(でも、もしかしたいずれブレイクスルーが起きて
AIが人間の感覚すらも理解できる日が訪れるかもしれない…)

金儲け主義の弊害

検索エンジンが不完全なのは仕方がないとして、
では一方で記事を作る人間の側には問題はないのだろうか?

そう考えた時、
原因として真っ先に考え付くのが「金儲け主義の弊害」である。

昔はごく一部のギーク層の遊び場だったネットに
金になることに気づいた大手資本が
潤沢な資金力と法外な低賃金でライティングを受注する※
ソーシャルワーカーを使役して
文字数はそこそこだが低品質な記事を大量投下させた結果
ネットに低品質な記事があふれかえったとする論法だ。
(※発注する企業も悪いが
低賃金で仕事を請け負って自らの市場価値を貶めるライター側にも責はある)
(参考:クラウドソーシングのライティング報酬単価が下げ止まらない件)

これはまさに2016年に大炎上した
今は亡きデタラメ医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」事件の
構図そのものなわけだが、
あんな事件があったにもかかわらず
同類のキュレーション系サイトは今なお数多く存在している。

とはいえ私は金儲け自体が悪いと言いたいわけではない。

金銭が画期的なクリエイティブやイノベーションの
インセンティブになることは珍しくないし
人の役に立つ優れたコンテンツを提供した人には
それだけの対価が与えられてしかるべきだと思う。

だが問題なのは
今のネットでは金銭がむしろ
先に述べたような負のスパイラルを
生み出す原動力となってしまっていることだ。

大企業がその資本力を背景に
安い賃金で雇ったワーカーに書かせた
薄っぺらい記事を大量投下し、
それらの記事を検索エンジンが
高く評価することで利益に繋がり、
さらにその利益を上乗せして
さらなる記事の量産に励むという終わりのない連鎖。

この負の連鎖は大手サイトに留まらず、
それ以外の個人ブログもPV獲得競争に生き残るために
大手サイトと同じように
扇情的な記事タイトルを付けるようになり、
結果、検索結果には型にはまった
個性に欠けるコンテンツが溢れかえるようになる始末。

こうして
「自分の知識をもっと多くの人に共有したい」
「自分の情熱をネットで表現したい」
という
黎明期のネットには多くいた純粋な書き手は
検索エンジンを見限って別の場所(SNSやnoteなど)
に活躍の場を移し、
ネットには金のために
記事を書く人間ばかりが残ったことで
「クリーンで安全でつまらない」
場所になってしまった。

金銭欲という人間の根源的な欲求に根差した
この悪循環を抜け出すことはとても困難で、
もし解決できるとすれば例えばそれこそ
SEOのような小手先のテクニックに騙されず、
「本当に本質的に優れた記事は何か」
見極めることができる
画期的な検索アルゴリズムの登場を待つことになるだろう。

そんな都合の良いものが
あればの話だが…

懺悔

さて、ここまで好き勝手書き散らしてきたが
これまでに行ってきた批判の大部分は
かくいう私自身のこのブログでの
これまでの活動の大部分にそのまま当てはまる。

正直に申告すれば、私は今まで
自分のサイトのPVを増やすために
無数のまとめ記事を作り、
いかに扇情的でPVを集めやすい記事タイトルを
思いつくかに頭を振り絞り、
調子の良いときは月に30万PVを超える
PVを記録する程度の結果を出してきた。
(今はその半分もないけれど)

だがある時ふと疑問に思った。
「本当に自分のやりたかったことはこういうことだったのだろうか?」と。

そしてその答えは明らかにNOだった。

それどころか、自分がネットつまらないものにする
悪事の片棒を担いでいる気までしてきて、
だんだんと自分で自分の事が恥ずかしくなってきた。

PVや収益率といった数字ばかりを気にするようになり、
本当なら楽しいはずのブログ運営を
心から楽しんで行えないようになっていた。

今回この記事を書いたのは
そんな心のもやもやを吐き出す意味もあってのことだった。

とはいえ私はすぐに
このブログをやめることは出来ないだろうし、
記事タイトルだってやっぱり
多少なりともクリック率を意識した
大げさなものになってしまうだろう。

私もやっぱりお金は欲しいし、
それに自分が書いた記事が
たくさんの人に読んでもらえているのが分かると
素直に嬉しいからだ。

そしてまだ書いていないことで
いくつか書いてみたいこともある。

今回書き出したことも含め、
直すべき部分は確実に直しつつ、
自分にとってブログ運営が
どういう意味を持つのかを常に問いかけながら
自分のペースでブログ運営を続けていければと思う。

おわりに ~未来のインターネットはどうなっているのだろう?

インターネットの世界は
急速に変化していて、
今後の10年も今までの10年に
劣らない速度で変化していくものと思う。

個人的には個人ブログや
キュレーション系サイトは少しづつ衰退して※
Qiitaのような金銭以外の目的で記事が執筆される
不特定多数参加型のサイトが
投稿頻度と信頼性のバランスが良いことを理由に
支持を得て伸びていくのではないかと思う。
(※後者に関しては完全に希望的観測)

あるいはドラマ「シリコンバレー」の
主人公がやろうとしていたように
もしかしたら全く新しい
別の形の「インターネット」が生まれるかもしれない。

未來がどう転ぶにせよ、
私は私の主体性を失わず、
何かに固執することもなく
その時その時で必要とされることを
実行していければ幸いだ。

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