エシディシばりに泣けるジョジョの感動シーンベスト5

ジョジョの奇妙な冒険

はじめに

本日は私が
ジョジョを読んで思わず涙を誘われた
珠玉の感動シーンをベスト5にてご紹介します。

それではどうぞ!

【ご注意】当記事にはジョジョの奇妙な冒険シリーズに関するネタバレ要素が多分に含まれます。

第5位 : 第二部 シーザーの死

かっこ悪くてあの世に行けねーぜ
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第二部 カラー版 5』集英社 より引用)

ジョジョの奇妙な冒険 第2部 カラー版 5 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョの奇妙な冒険 第2部 カラー版 5 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョにおける『死』には
現実と同じ重さがあります。

「筋◯マン」や「ドラゴ◯ボール」
「魁!◯塾」など、同時代の
他の人気作品のように
作者の都合でキャラクターを
簡単に死なせたり蘇らせたり
ということをしません。

思い返せばジョジョでは
ツェペリさん、ジョナサン、
アヴドゥル、イギー、花京院、
重ちー、ブチャラティ、ドッピオ、
FF、ウェザー、ジャイロなど
数多くの脳裏に焼き付く散り様が
描かれてきました。

しかしその中でも
私にとって特に強烈だったのが
第二部に登場した
シーザー・ツェペリの死亡シーンです。

『キザなライバル』から『生涯の友』に

『キザで嫌味なやつとして初登場した
ライバルキャラが敵との戦いや
修行を通じて主人公と無二の親友になり、
最後は主人公のために命を散らす』

この筋書き自体は
少年漫画にありがちな、
言ってしまえばベタな展開かもしれません。

しかし、私が初めて
シーザーの死の場面を読んだ時に受けた衝撃は
数日の間その余韻が頭から抜けなくなるほど
強烈なものだったことを記憶しています。

なぜ、当時の私は
このシーンからそれほどまでの
衝撃を受けたのでしょうか?

そこには後述する
3つのポイントが大きく関係しています。

なぜ、あれほど心動かされたのか

1.シーザーとジョセフの最後が喧嘩別れであったこと

シーザーとジョセフの今生の別れは
悲しいことに喧嘩別れでした。

ワムウ戦の直前、
言葉の弾みで先祖の復讐という
シーザーにとって最も重要な動機を
否定してしまったジョセフに対し
シーザーが激昂して殴りかかり、
その勢いで敵の根城に単身で
突撃してしまったのです。

その結果シーザーはそこで命を落とし、
二人が和解する機会は
永遠に失われてしまったのでした。

これはジョセフの視点から見ると
自分たちがシーザーを引き止めなかったために
見殺しにしてしまったと感じてもおかしくない状況です。

そうした一連の流れの中で
後のジョセフとリサリサの
涙のシーンを読んだとき、
私は二人の感じたであろう後悔を思って
一層の衝撃を受けたのでした。

2.シーザーを殺害したのがワムウであったこと

シーザーを殺害したのは
柱の男の中でも
武人としての美学を持つワムウでした。

ワムウはシーザーに勝利した後、
その強さを認め、シーザーがジョセフに遺した
解毒剤リング入りの血のシャボンを、
破壊しようと思えば容易くできるのに
あえて見逃すという行動に出ています。

そしてこうしたワムウが相手だったことは
読者にシーザーの最後の戦いが
全力を出し切った悔いのないものだった
という印象を与え、また後に
ジョセフが親友の仇のワムウに対し
友情を感じその死に敬礼までするという
二部屈指の名シーンを生み出すことにもなりました。

これが例えば
合理的で冷酷なカーズの手でシーザーが
罠にはめられて殺されていたりしたならば
私はシーザーの死やその後の展開に対しても
あれほど強い感動は受けなかっただろうと思います。

3.リサリサ先生たばこ逆さだぜ

シーザーの死に涙した多くの読者にとって
最も心揺さぶられた瞬間といえばやはり、
それまで鉄面皮を貫いていたリサリサ先生が、
岩の下から流れ出るシーザーの血を目にして
ついに感情を抑えきれず落涙した
あのひとコマだったのではないでしょうか。

鉄面皮を貫くリサリサ

リサリサ先生たばこ逆さだぜ

リサリサ落涙
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第二部 カラー版 5』集英社 より引用)

1.ジョセフが血のシャボンでシーザーの死を確信
2.リサリサは表面上は冷徹な態度、ジョセフもその意を汲んで悲しみをこらえる
3.岩の下からシーザーの血が流れているのを見つける
4.リサリサ先生が思わず泣き崩れる
5.ジョセフ号泣
6.ナレーション「ここは敵地〜」

この一連の流れがあまりに秀逸すぎて、
普段漫画で泣くことのない私ですら
ついに涙を禁じ得ませんでした。

こうした映画的な演出を描かせたら
荒木先生の右に出る作家はいませんね。

まとめ

以上が、私がシーザーの死を
第5位に選んだ理由です。

このシーンには初読時と
アニメ放映時の2度泣かされました。

第二部の終盤に向けて
一気に読者の意識を引き締めてくれた
最高のエピソードでしたね。

第4位 : 第四部 『ぼくも… パパが帰ってからいっしょに食べるよ』

僕もパパが帰ってから食べるよ
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第四部 カラー版 18』集英社 より引用)

ジョジョの奇妙な冒険 第4部 カラー版 18 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョの奇妙な冒険 第4部 カラー版 18 (ジャンプコミックスDIGITAL)

あなたは10歳の頃、
神様にどんなお願いをしたでしょうか?

『足を速くしてください』でしょうか?
それとも『ゲームボーイをください』でしょうか?

しかし第四部に登場した10歳の少年
川尻早人の『お願い』は
『どうか僕に人殺しをさせてください』でした。

あの展開を、一体誰が予測できただろうか?

ジョジョの醍醐味は
絶対的な力の差を機転と発想力で覆す
頭脳戦の駆け引きです。

しかしながら、スタンドも波紋も
持たない10歳の子供(しかも根暗)が
無敵の「バイツァ・ダスト」を
たった一人で打ち破るだなんて、
一体誰が予想できたでしょうか?

しかも早人の活躍はそれにとどまらず、
その後も吉良と戦う仗助のサポートをこなしたり、
スタンドを見ることすらできないのに
バイツァ・ダストの能力を承太郎たちに
説明する秀才ぶりを発揮したりと
仗助でなくとも「本当に小学生か?」
と疑ってしまいたくなるような
大活躍を見せました。

あまりに切ない1セリフ

しかし、そんな早人も
吉良が死に、全てがいつもの日常に戻っていく
第四部のエピローグでは
10歳の子供らしい素顔を見せます。

自分がときめいた夫が殺人犯と入れ替わっていたことも
息子(早人)が父の仇を討ったことも知らない母しのぶの
呑気な呼びかけに対し、涙ながらに
「ぼくも…パパが帰ってから……いっしょに…食べるよ」と呟く早人。

ジョジョの魅力はバトルだけじゃないと
改めて気付かせてくれた
思い出深いワンシーンです。

第3位 : 第七部 ジョースター父子の和解

ジョニィと父ジョージの再会シーン
荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第七部 カラー版 23』集英社より引用

ジョジョの奇妙な冒険 第7部 カラー版 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョの奇妙な冒険 第7部 カラー版 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

『血統』をテーマとするジョジョには
一部のジョナサンとジョージ1世、
四部の仗助とジョセフ、
五部のブチャラティとその父、
六部の徐倫と承太郎など、
親子の絆をテーマとした
エピソードがいくつも存在します。

しかしその中でもとりわけ
私の心に残っているのは
第七部のジョニィ・ジョースターと
その父ジョージ・ジョースターの
決別と和解のエピソードです。

最も口にしてはいけなかった言葉

このエピソードの何が私を
そこまで感動させたのか。

そのひとつの理由は
ジョニィとジョージが決別した
過去のエピソードの重さにあります。

SBR読者にとっては不要かもしれませんが
改めて事のあらましをおさらいしましょう。

没落した貴族の末裔、
ジョースター家の当主ジョージは
かつて三冠レースを制覇した
優秀な調教師であり、
また裕福な牧場主でもありました。

ジョージには
兄ニコラスと弟ジョニィという
二人の男の子供がいて、
中でも兄のニコラスは
ジョッキーとしての類まれな才能があり
父のジョージもその将来を嘱望していました。

またニコラスは性格も良く、
例えば弟のジョニィが厳格な父に隠れて
こっそり白ねずみを買っていたことがばれ、
自分の手で溺死させることを命じられた際には
学校の実験室のネズミの死体とすり替えて
ジョニィのネズミはこっそり森に
逃がしてやることを提案するなど
ジョニィにとっても憧れの心優しい兄だったのです。

しかしそんなニコラスは
ある時練習中の落馬事故※によって
突如としてこの世を去ってしまいます。
(※この事故は幼少期のディエゴが
細工して仕組んだ疑いあり)

そしてニコラスの死から数年後、
かつての兄と同じくらいの年齢に成長し、
自らもジョッキーになったジョニィは
レース直前に自分の乗馬ブーツが
壊れている事に気づき、代わりに
ニコラスが使っていたブーツを拝借しようとします。

しかしそれを父ジョージが発見し、
強引に止めようとしてきます。

未だニコラスの死から立ち直れないジョージは
「お前にニコラスの形見を使う資格はない」と言い
ジョニィの手から無理やりニコラスのブーツを
奪い取ろうとしたのです。

このジョージの行動に対し、
いつまでも自分を認めてくれない父に
反感を抱いていたジョニィの怒りがついに爆発。
暴言と共に父を突き飛ばし、
ガラスを破ってけがを負わせてしまいます。

首から血を流し、
ジョニィから目を背けて涙を流すジョージ。
そして彼はとうとう最も言ってはいけない
ひと事を口にしてしまいました。

『神よ、あなたは連れていく子供を間違えた』

この言葉にしばし呆然とするジョニィ。

しかしジョージは間髪入れず
ジョニィに家を出て行くよう宣告し、
こうして二人はそれ以降
完全な絶縁状態となってしまったのでした。

物語も佳境を迎えた頃にまさかの…

上記のエピソードを踏まえて
私が感動した第二の理由は
それが全く予想外に起きたことです。

ジョージは作中中盤から
ジョニィの回想に登場してはいたものの
それはあくまでも回想の中のみの登場であり、
初読時の私はジョージがそれ以上の役割を
与えられるだなんて欠片も想像していませんでした。

しかし、SBRレースも大詰めの8thステージ、
ジョニィとディエゴとのデッドヒートの最中に
ジョージが不意に見物客の中から姿を現したのです。

ジョージの演説
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第七部 カラー版 23』集英社 より引用)

そしてこの演説シーン。

前述のエピソードもあり
ジョージにはただただ『非道い父親』
という印象しかなかった私にとって、
このエピソードは全くの予想外であり、
それだけに鮮烈な衝撃がありました。

ジョージに気づいたジョニィが
言葉を返すわけでも無く、
静かに涙を流して駆け抜けていくのも泣かせますね。

また、私がこのシーンの
ジョージのセリフで最も印象深かったのが
『たった一人ぼっちで』という言葉選びですね。

ご存知のようにSBRの道中、
ジョニィは本当は『一人ぼっち』
ではありませんでした。

ジョージは知らなかったことですが、
ジョニィにはジャイロという無二の親友が
ずっと傍についていたのです。

しかしそのジャイロは
大統領の手によって殺されてしまい、
ジョニィは再び『ひとりぼっち』に
戻ってしまいました。

ジョージは正確な事情を知らずに
『一人ぼっち』という言葉を使いましたが、
図らずもそれが
ジャイロを失ったジョニィの悲しみを、
改めて私たち読者に思い起こさせる
役割を果たしてくれたわけですね。

ジョジョは"人間"を描いた漫画だ

第七部終盤はジャイロの死、
ACT4覚醒、大統領の死、
ディエゴの復活、SBR優勝者決定など、
怒涛の展開の連続でした。

そんな中で、別に無くても
物語自体は成立するこのエピソードを
わざわざ描いたのは、
もしかしたら荒木先生自身が
子供を持つ父親となったことが
背景にあったのかもしれません。

格好良いスタンド能力や名セリフ、
派手なバトル等が注目されがちなジョジョですが、
こうした繊細な人間描写の巧みさもまた
長年にわたって根強い読者を惹きつけ続ける
大きな魅力のひとつです。

第2位 : 第五部 いまにも落ちてきそうな空の下で

大切なのは『真実に向かおうとする意思』だと思っている
荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第五部 カラー版 12』集英社より引用

ジョジョの奇妙な冒険 第5部 カラー版 12 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョの奇妙な冒険 第5部 カラー版 12 (ジャンプコミックスDIGITAL)

第四部終盤のバイツァ・ダストのエピソードを境に
ジョジョでは『決定された運命とそれに抗う人間の意志』
という哲学的なテーマがしばしば
強調されるようになっていきます。

中でも五部中盤に描かれたアバッキオの死は
そのテーマに対する荒木先生なりの答えを
見事に描き切った珠玉の名エピソードでした。

大事なのは"真実に向かおうとする意志"だ

第五部中盤、
アバッキオがボスの手によって
命を落とした次の回は
なぜかそのアバッキオがレストランで
食事をとっているシーンから始まりました。

テーブルにつき、パスタを
フォークに絡めているアバッキオは
自分の足元から『ガチャン ドシャン』
『パリーン ガチャン!』という
妙な物音が聞こえることに気づき、
テーブルの下を覗き込みます。

そこにいたのは
テーブル近くのビン捨て場に屈み込み、
割れたガラス片をひとつひとつ
ピンセットで回収する警察官の姿でした。

『そんなとこで』
『…なにしてんだい?』
『おまわりさん』

思わず訪ねたアバッキオに警官は
昨晩この近くで強盗事件があったこと、
そしてその際に犯人が握っていた
ビンに付着した指紋を探すために
ビンの破片を集めていたことを話します。

それを聞いたアバッキオは
さらに質問を続けます。

いや…
その
参考までに
聞きたいんだが

ちょっとした
個人的な
好奇心なんだが

もし見つから
なかったら
どうするんだい?

いや…
それよりも
見つけたとして

犯人が
ずる賢い
弁護士とかつけて
無罪に
なったとしたら

あんたは
どう思って
………
そんな苦労を
しょいこんで
いるんだ?

警官の行動に対し、
素朴な疑問を投げかけるアバッキオ。

それに対し警官は
ファンの間では有名な
次の名セリフで応えます。

大切なのは『真実に向かおうとする意思』だと思っている

(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第五部 カラー版 12』集英社 より引用)

そうだな…
わたしは
「結果」だけを
求めてはいない

「結果」だけを
求めていると
人は近道をしたがる
ものだ…………
近道した時
真実を見失う
かもしれない

やる気も
しだいに
失せていく

大切なのは
『真実に向かおうとする意思』だと思っている

向かおうとする意思さえあれば
たとえ今回は犯人が逃げたとしても
いつかはたどり着くだろう?
向かっているわけだからな
……………
違うかい?

この言葉を聞いたアバッキオは
「うらやましいな……」と呟いた後、
昔自分が警官になりたいと思っていたこと、
そしてその夢を自分で
ダメにしてしまったことを話します。

そして自分が話していた警官が
かつて自分が賄賂を受け取ったせいで
殉職した警官であったことに気づき、
バスで仲間の元に戻ろうとしたところで
場面は急転換、アバッキオの遺体の周りに
集まるブチャラティたちの場面に変わり、
今までの光景が現実のもので
なかったことが読者に明らかにされたのでした。

『努力』に意味はあるのか?

人間に自由意志はなく、
この世に起きるあらゆる出来事は
あらかじめ決定されていると考える
決定論という思想的立場があります。

私たちの多くは
未来をより良いものに変えられると信じて
日々の勉強や仕事に励んでいますが、
しかしこの決定論の立場を突き詰めると
その人が努力して成功できるかどうかは
遺伝的要因や生まれた時代、環境など
本人の意思とは無関係の条件で決定されるため
結局は『努力もまた才能の一種である』という
なんとも夢も希望もない結論に陥ってしまいます。

しかし荒木先生は
そうした悲観的なニヒリズムを
このアバッキオのエピソードをはじめとする
数々のエピソードを通して強力に否定します。

第一部のジョナサンのセリフ
『人間に不可能はない
人間は成長するのだ』に顕著なように、
一貫して人間賛歌を描いてきた荒木先生にとって
この決定論の問題はいずれ必ず
乗り越えなければならない壁だったのでしょう。

荒木先生のメッセージが
成功したかどうかは
私たち一人一人の受け取り方に委ねられますが、
少なくとも私にとっては、
日々の虚しさに立ち向かう勇気をくれる、
心のお守りのような名シーンとなっています。

第1位 : 第六部 『僕の名前はエンポリオです』

大切なのは『真実に向かおうとする意思』だと思っている
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 カラー版 17』集英社 より引用)

ジョジョの奇妙な冒険 第6部 カラー版 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョの奇妙な冒険 第6部 カラー版 17 (ジャンプコミックスDIGITAL)

正直に言うと、
私は六部があまり好きではありません。

五部のレクイエム戦あたりから
感じられていたスタンド能力の複雑化と
決着の納得のいかなさがピークに達し、
その上肝心のストーリーも超展開の連続すぎて
読んでいて置いてきぼりにされている感が
どうしても否めなかったからです。

しかしながらもし私がジョジョで
最も感動したシーンを問われれば
この六部ラストシーンを推すでしょう。

宇宙は一巡した

第六部は良くも悪くも
プッチ神父が好き放題する物語でした。

在りし日のDIOの親友だったプッチ神父は
DIOの遺志を継ぎ、DIOが残した
「天国に行く方法」を実践しようとします。

特別懲罰房の囚人の魂を生贄に
DIOの骨から緑色の赤ん坊を誕生させ、
自身のスタンド『ホワイト・スネイク』と融合、
重力を反転させるスタンド能力、
『C-MOON』へと進化させました。

さらに『C-MOON』は
ケープ・カナラベルにて
新月の重力の影響を受けて
『メイド・イン・ヘブン』に進化。
ついにプッチ神父が求めた
『天国に行く方法』が完成します。

そうして完成した
『メイド・イン・ヘブン』の能力は時の加速。

その戦闘能力は圧倒的で
承太郎、アナスイ、エルメェス
そして徐倫を次々に殺害、
子供のエンポリオ一人を残して
主人公チームをほぼ壊滅させるという
前代未聞の大番狂わせを起こしました。

しかし、『メイド・イン・ヘブン』の
真骨頂は強さなどではありません。
その真の目的は時間の進み方を
極限まで加速させることで
最終的に宇宙の終わりまで時を進めて
全ての生物を『一巡後の世界』
到達させることだったのです。

大切なのは『真実に向かおうとする意思』だと思っている
(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 カラー版 17』集英社 より引用)

一巡後の世界では全ての生物が
前の宇宙での出来事を覚えていて、
そのために自分がいつ誰と出会い、別れ、
何を体験し、いつ死ぬのかといった
未来の運命を既に知っています。

そしてプッチ神父の理屈によると
こうなることで全ての人間が
未来を『覚悟』することができるようになり、
それによって『幸福』になれるのだというのです。

しかし、そんなプッチ神父の目論見は
一人生き残ったエンポリオによって阻止されます。

プッチ神父だけが
運命を変えられる事実を逆手に取られ、
宇宙が完全に一巡する前に
プッチはエンポリオに逆に殺されてしまったのです。

途中でプッチ神父が死亡したことで
「天国」は完成することなく消滅し、
結果的にのちの七部や八部へとつながる
パラレルワールドが誕生したのでした。

僕の名前はエンポリオです

新しい世界に飛ばされたエンポリオは
そこで思いがけない人物に再開します。

それは前の世界で仲間だった
エルメェスそっくりの女性、
そしてアイリンとアナキスと名乗る
徐倫とアナスイそっくりのカップル。

そしてアイリンに
名前を尋ねられたエンポリオは
涙ながらにこう答えるのでした。

エンポリオ
です………

エンポリオ

ぼくの名前は
……………

ぼくの名前は
エンポリオです

その後、エンポリオ達の乗った車に
ヒッチハイクするウェザーらしき人物の
後ろ姿を描いたコマのあと、
ハイウェイを過ぎ去る車と
空に浮かぶ徐倫、エルメェス、承太郎、アナスイ、
ウェザーの姿をバックにして
堂々と第六部の完結が宣言されたのです。

人の精神は如何にして受け継がれるか?

長くなりましたが、
以上が第六部ラストシーンに至るあらましです。

初読時は正直言って、
承太郎や徐倫がプッチに敗北する
この展開に納得がいきませんでしたし、
これまで親しんできたジョジョの作中世界が
プッチ神父の電波理論の犠牲になって
全てリセットされてしまったことにも不満がありました。

しかし、初読から数年経って、
改めてジョジョ全巻を通して読んでみると、
なぜ荒木先生があのラストシーンに至ったのか
その理由について自分なりに思う部分が出てきたのです。

ジョジョはジョースター家という
ひとつの血脈を軸とする物語でした。

ジョナサンやジョージ1世の黄金の精神が
その血とともに時代を超えて受け継がれていくお話です。

大切なのは血筋を作品に残すこと。
「彼女(ジョリーン)」は孤独だが先祖の心を受けついでいる。

第六部第一話巻末作者コメント(JOJO-A-GO!GO!より)

『蛙の子は蛙』という
ことわざに代表されるように、
私たちは血の繋がりという
肉体的連続性に精神的連続性をも
見出す文化を共有しています。

TVでスポーツ選手の子供が同じく
スポーツ選手になったというニュースを聞いたり、
犯罪を犯した人の子供が同じく
犯罪を起こしたという話を聞いたりすると、
自然と『やっぱり血筋なんだな』という
解釈をしてしまいたくなるのがその好例でしょう。
(人間は異なる物事の間に因果関係を
探したがる性質が先天的に備わっている)

しかし、そのような
『人間性』を『血統』と関連づける考え方は
先のアバッキオの項で触れた
決定論を肯定する考え方につながり、
ややもすれば血筋を理由とした
差別主義にも繋がりかねません。

荒木先生もおそらく、
『血統』の物語を描く中でその矛盾に
行き当たったのでしょう。

だからこそ、その矛盾を乗り越えるために
それまで続いてきたジョースターの血を六部で一度断ち切り、
あえてジョースターの血統ではないエンポリオを
唯一の生き残りとする決断を下したのではないでしょうか。

そしてそれゆえに
『僕の名前はエンポリオです』は
ジョジョで最も重い意味を持つシーンであり、
また同時にエンポリオの徐倫たちを失った悲しみと
その生まれ変わりであるアイリン達に出会えた
喜びが入り混じったマンガ史上でも他に類のない
哲学的深みのある感動的な
シーンになりえたと私は思うのです。

おわりに

ジョジョには思入れのある場面が
数え切れないほどあるため、
今回5つに絞るのは中々大変でした。

  • 一部 ツェペリの死
  • 三部 イギーの死
  • 三部 花京院の死
  • 四部 億泰の復活
  • 四部 鈴美とアーノルドの昇天
  • 六部 ウェザーの死
  • 七部 雪の中の乾杯
  • 七部 ACT4覚醒
  • 八部 定助の涙

特に、今回はいらなかった中で
最後まで迷ったのが上記のシーン。
どれもすごく心に残る大好きなシーンですね。

それでは、またの機会に。
アリーヴェデルチ。

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