今の時代だからこそ読まれるべき一冊
こんにちは、daimaです。
本日はルネサンス期フィレンツェ(現イタリア)の外交官、
ニッコロ・マキャベリ(Niccolò Machiavelli)の著書
「君主論」の言葉をお送りします。
別名「権謀術数の書」とも呼ばれ、
18世紀にルソーによって再評価されるまでは
あまりに反道徳的な内容であるとして
禁書扱いされていた時期もあったという君主論。
しかし、その内容を正しく読めば、
これが反道徳の薦めなどでは決してなく、
豊富な経験と優れた観察眼によって
人間の本質を的確にとらえた
現代でも通用するリーダーシップ、マネジメントの技法書であることがわかります。
わたしのねらいは、
読む人が役に立つものを書くことであって、
物事について想像の世界のことより、
生々しい真実を追う方がふさわしいと、わたしは思う。
(出典:君主論 中公文庫 P131)
今から500年近く昔に書かれた本書ですが、
その影響は現代のリーダーたちにも及んでおり、
日本に限ってもライフネット生命創業者である出口治明氏や
経営共創基盤グループ会長の冨山和彦氏、
作家としても活躍されている元外務省主任分析官の佐藤優氏等の
そうそうたる面々がこの本をリーダーが読むべき一冊として推薦しています。
(特に佐藤氏は中公文庫版にあとがきも寄せられています)
今回はそんな君主論の中から
特にエッセンスとでも言うべき
マキャベリの主張が詰まった20の名言を、
ちょっとした解説付きでご紹介します。
それでは、お楽しみください。
君主論の名言集
これにつけても覚えておきたいのは、
民衆というものは頭を撫でるか、
消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。
というのは、人は
ささいな侮辱には仕返ししようとするが、
大いなる侮辱にたいしては報復しえないのである。
したがって、人に危害を加えるときは、
復讐のおそれがないようにやらなければならない。
(出典:君主論 中公文庫 P25)
解説
第3章「混成型の君主国」より。
君主論には人間の本質を
鋭く突いたことばがたくさん出てきますが、
これはその中でも特に秀逸なもののひとつです。
つまり、リーダーは止むを得ず
他者に危害を加える必要がある場合には
その相手が二度と歯向かう気力がなくなるくらいに
徹底的に叩きのめしてしまうか、
あるいはいっその事この世から退場してもらった方が
中途半端にやって自分に恨みを抱く人間を残すこともなく
自分の将来をより盤石にすることができるという理屈です。
今の感覚だとなんだか冷酷すぎる気もするこの意見ですが、
しかしマキャベリの時代の君主は自分に恨みを持つ敵の存在が
今よりもずっと命の危険に直結していたのだから、
そうした事例をたくさん見聞きしてきたマキャベリが
このように考えたのも無理からぬことだったのかもしれませんね。
ちなみに現代では
人を消してしまうのは勿論アウトですが(笑)、
信賞必罰という言葉があるように
罰を厳格に実行すること自体は
組織を引き締める上で十分有効な手法です。
危害というものは、
遠くから予知していれば対策をたてやすいが、
ただ腕をこまねいて、あなたの眼前に
近づくのを待っていては、病膏肓に入って、
治療が間に合わなくなる。
(出典:君主論 中公文庫 P28)
解説
同じく第3章より。
5年、10年先の未来を想像する能力というのは
人間と他の動物を隔てる決定的な差のひとつです。
近年ヒットを飛ばした
ユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史では
今から7万年ほど前に起きたとされる
前頭前野の突然変異(認知革命)が
私たちホモサピエンスに想像力をもたらし、
そのことがサピエンス同士による複雑な社会の形成、
大型動物の狩猟の可能化、
および栄養の改善による身体機能の向上といった
様々なメリットへとつながっていったことで、
現在に至る圧倒的な繁栄の礎となったことが指摘されています。
このように人類の最大の武器ともいうべき想像力ですが
その程度には同じサピエンス間においても差があり、
もしある人にこの想像力が欠けていたりすると
例えばソーシャルゲームやパチンコに
貴重な時間と資産を浪費してしまったり、
あるいは手っ取り早くお金を得るために
振り込め詐欺などの犯罪に手を染めたりして
自分で自分の未来を悲惨なものとしてしまう可能性が極めて高くなります。
備えあれば憂いなしという言葉がありますが
より良い明日のために今日を生きるという考え方は
時代も立場も超えて
全ての人に適用できる数少ない真理の一つではないでしょうか。
これはけっして間違いのない、あるいは、
めったに間違うことのない原則である。
すなわち、ほかの誰かをえらくする原因を
こしらえる人は、自滅するということだ。
そのわけは、彼がそのしたたかな策略と力によって、
一人の人物を引き立てたのだが、いざ勢力を
もつようになると、相手は、その両方の手段に
不安を覚えてくるからだ。
(出典:君主論 中公文庫 P34)
解説
マキャベリは本書の中で、自分の敵に利する人間は
遅かれ早かれ必ず滅びるものだと忠告しています。
この言葉をそのまま受け取ると、
「わざわざ自分の敵を強くしたがる奴なんているかいな」
と首をかしげてしまいそうになるかもしれませんが、
しかし歴史を振り返ってみると
自分が引きたてた平清盛に裏切られて幽閉された後白河法皇や
死後、目を掛けていた秀吉に織田家の政権を奪取された織田信長、
そして教皇になる手助けをしてやったユリウス二世に裏切られ、
彼の軍隊に追い詰められて亡くなったチェーザレ・ボルジアなど、
マキャベリのこの忠告を体現するような末路をたどった
偉人の例が驚くほどたくさん見つかります。
特にチェーザレ・ボルジアについては
生前マキャベリと交流があり、
またその手腕をマキャベリ自身高く評価していたことから、
彼らしくないこの失態をマキャベリは
本書の中でまるで我が事の様に惜しんでいました。
賢い人間であれば、
先賢の踏んだ足跡をたずね、
並外れた偉人をこそ、つねに範とすべきであろう。
(出典:君主論 中公文庫 P51)
解説
第6章「自分の武力や力量によって、手に入れた新君主国について」より。
マキャベリは本書において繰り返し、
過去から学ぶことの重要性を説いています。
これと似た名言に、
19世紀プロイセン(現ドイツ)の軍人ビスマルクが残した
「愚者は経験に学び、 賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、
長く戦争や政治の表舞台を見てきた人物同士、
同じ結論に至ったのもある種の必然だったのかもしれませんね。
ともかく心得なくてはいけないのは、
新しい制度を独り率先してもちこむことほど、
この世でむずかしい企てはないのだ。
(出典:君主論 中公文庫 P53)
解説
おなじく第6章より。
世の多くの人、特に若いころに
大きな成功を収めた経験のある高齢の人には
昨日まで自分がやってきたやり方は
明日も変わらずに通用するものだという
ぬぐい難い思い込みがあり、
そこに変化を持ち込もうとする輩は嫌われます。
そしてそれは征服した国に
新しい制度を持ち込もうとする
新興国の君主の場合も同じであったようで、
マキャベリはそのような君主は必ずといっていいほど
旧制度にしがみ付く人間の激しい妨害に遭うのだと説いています。
この言葉から私たちが学べることは
もし私たちが既存の組織に大きな変化をもたらすことを望むならば、
こうした人間心理を理解した上で
慎重に事を進めなければ上手くゆく見込みはない、
ということでしょう。
いいかえれば、当時者が事業を遂行するのに、
他人にお願いしたか、自分でやったかである。
援助を求めた最初のばあいは、かならず禍いが生まれて
何ひとつ実現できない。逆に、自分の能力を信じ、
自力をふるった後のばあいでは、めったに窮地におちいることがない。
(出典:君主論 中公文庫 P54)
解説
自力ではなく他人の力を頼って成立した権力は、
砂の城の様に脆いものだというマキャベリの忠告。
マキャベリがこのような考えに至った
最大のきっかけは、自国の軍隊を持たないために
軍事力を金で雇った傭兵に頼るしかなく、
そのために度々大損をこいてきた祖国フィレンツェの実情を
つぶさに目の当たりにしてきたからでした。
例えば1499年のピサ奪回戦は
土壇場で怖気づいた傭兵達が
あれこれ理由を付けて勝手に離散したことで失敗していますし、
1500年に今度はフランス軍の兵士をレンタルして
再度挑んだ二度目のピサ奪回戦では
フィレンツェ側の命令を無視したフランス軍が
まっすぐピサに向かわず、その上
勝手に周囲の村への略奪までしてしまったせいで
フィレンツェは大枚をはたいて
ピサの奪還を奪還できなかったばかりか
イタリアでの権威まで失うという
まさに踏んだり蹴ったりの目に遭っているのです。
そんなわけだからマキャベリには
独立国は必ず自国の軍隊を持つべきだという想いがあり、
実際にフィレンツェの大統領秘書官を務めていた1509年には
自ら率先してフィレンツェの自国軍を編成し、
ついに念願のピサを奪還するという快挙まで果たして見せたのです。
現代においても例えば会社であれば
ただ給料の為だけに自分の時間を切り売りして働く人材よりも
会社のポリシーや理念に共感して働ける人材の方がより有益な人材であり、
そういった人材をどうやって確保するかが
経営者にとっての最大の課題になってくるでしょう。
人は、はじめのうちに基礎工事をしておかないと、
あとになって基礎づくりをしても、多大の努力がいることになる。
(出典:君主論 中公文庫 P61)
第7章「他人の武力や運によって、手に入れた新君主国について」より。
歳をとれば歳をとるほど身に染みる言葉です。
えらい人たちのあいだでは、
新たに恩義を受ければ、昔の遺恨が水に流されるなどと思うならば、
それは大まちがいだい。
(出典:君主論 中公文庫 P70)
解説
おなじく第7章より。
マキャベリは人は受けた恩はすぐ忘れる代わりに
侮辱されたり財産を奪われたりといった恨みは
いつまでも覚えているものだから、
特にリーダーたる人物は人の恨みだけは
極力買うべきではないと口を酸っぱくして説いています。
思えばあの信長もたび重なるパワハラで
家臣の恨みを買ったために、
最後には光秀に裏切られて志半ばで殺されてしまいました。
故意にしろそうでないにしろ、
私たちも人の恨みだけは買わないように
十分気をつけて生活するようにしたいものですね。
要するに、加害行為は、
一気にやってしまわなくてはいけない。
そうすることで、人にそれほど苦渋をなめさせなければ、
それだけ人の憾みを買わずにすむ。
これに引きかえ、恩恵は、
よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない。
(出典:君主論 中公文庫 P80)
解説
第8章「悪らつな行為によって、君主の地位をつかんだ人々」より。
気まずいことや気が重いことほど
思い切って一気に終わらせてしまうべきであり、
逆に相手から喜ばれるようなことは
一遍には済ませず、小出しに与えることによって
より強く人心を掴むことができるという処世術です。
じっさい、人間というものは、
危害を加えられると信じた人から恩恵を受けると、
恩恵を与えてくれた人に、より以上の恩義を感じるものだ。
(出典:君主論 中公文庫 P86)
解説
第9章「市民型の君主国」より。
これは心理学でいう
「ゲインロス効果」というものですね。
強面の悪役プロレスラーが実は猫好きだったりすると
一気に好感度がアップするといった感じのあれです。
そしてこれは普段目下の人間を
厳しく管理しなくてはいけないリーダーこそ
実践すべきテクニックであり、
具体的に言えば定期的部下に労いの言葉をかけたり
ちょっとした差し入れをするだけでも
相手のことをきちんと気にかけているということが伝わり、
一気にメンバーの心を掴むことができる可能性が生まれます。
ある君主が、傭兵軍のうえに国の基礎をおけば、
将来の安定どころか意地もおぼつかなくなる。
(出典:君主論 中公文庫 P103)
解説
第12章「武力の種類、なかでも傭兵軍」より。
先にも少し触れましたが、
マキャベリは過去に苦渋を舐めさせられた経験から
傭兵のように、自力ではなく他人の力を借りて
何かをなす行為を強く非推奨しています。
12章ではその理由が詳しく述べられているのですが、
要点だけまとめるならば、
傭兵は無能すぎれば雇った側に損害を与え、
優秀すぎる場合でも今度は自国を乗っ取られる危険が生じるので、
どちらにせよ扱いづらい存在であるという点に集約されます。
そしてここから私たちが学ぶべきことは、
繰り返しになりますが組織づくりにおいては
損得だけでなく同じビジョンを共有できる、
組織への帰属意識が高い優秀なメンバーを
一人でも多く集めることが大切であるということでしょう。
賢明な君主は、つねにこうした武力を避けて、
自国の軍隊に基礎をおく。
そして、他国の兵力をかりて手にした勝利など
本物ではないと考えて、第三者の力で勝つぐらいなら、
独力で負けることをねがった。
(出典:君主論 中公文庫 P118)
解説
第13章「外国支援軍、混成軍、自国軍」より。
君主論の中で何度も
自国軍の優位性を語っているマキャベリですが、
前にも述べたように彼は
フィレンツェのソデリーニ大統領の秘書時代に、
彼自身の発案でフィレンツェに
自国軍を設立していた経緯がありました。
その自国軍が実際に大活躍して
悲願のピサ奪還にまで成功しているというのだから
マキャベリが自国軍の必要性を
ここまで熱弁するのも当然のことですね。
さて、もう一つの、頭を使っての訓練に関しては、
君主は歴史書に親しみ、読書をとおして、
英傑のしとげた行いを考察することが肝心である。
戦争にさいして、彼らがどういう指揮をしたかを知り、
勝ち負けの原因がどこにあったかを検討して、
勝者の例を鑑とし、敗者の例を避けねばならない。
(出典:君主論 中公文庫 P128)
幼いころから古典古代の書物に親しんでいたマキャベリは、
君主たるもの歴史書に親しみ、
過去の事例をよく参考にするべきであると声高に主張しています。
他者の経験を知ることは
自分自身を客観的に見る事にも繋がりますし、
特に失敗談については、
自分も同じ失敗をしないための
貴重な反面教師となることが多いので
喜んで自分の失敗経験を放してくれる人は希少ですが、
もし聞ける機会があればよくよく耳を傾けてみることをおすすめします。
何ごとにつけても善い行いをすると広言する人間は、
よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。
したがって、自分の身を守ろうとする君主は、
よくない人間にもなれることを習い覚える必要がある。
そして、この態度を、
必要に応じて使ったり
使わなかったりしなくてはならない。
(出典:君主論 中公文庫 P131)
解説
リーダーには時として組織を生かすために
冷酷な決断を下さねばならない場面が訪れます。
マキャベリはこの一例として、
チェーザレ・ボルジアが自分の片腕として統治を任せていた
ラミーロ・デ・ロルカというを男を真っ二つにして広場でさらし者にし、
民衆の留飲を下げることに利用すると同時に
自分の能力と容赦のなさをも植え付けてみせた
鮮烈なエピソードを紹介しています。
これはあくまでも戦乱の世の極端な例ではありますが、
過去の英傑に非情なものが多いことや
現代の大企業のCEOに
サイコパスが多いという研究データがあるように、
情を排して徹底的に利益を追求できる人間の方が
強く強大な組織を作れるというのが
善悪は別として、この世の一つの真実なのかもしれませんね。
君主はけちだという世評など意に介すべきではない。
それは、領民の物を奪ったりしないためにも、
自己防衛のためにも、
貧乏になって見くびられないためにも、
仕方なく強欲に走らないためにもそうすべきだ。
これは、彼が支配者の地位にとどまるうえでの、一つの悪徳なのだ。
(出典:君主論 中公文庫 P137)
解説
「世の中お金じゃない」とは良く聞く言葉ですが、
お金を持たない人間、それも特にお金のない大人の男は
徹底的に軽蔑され、惨めな思いをするというのが
資本主義社会の(少なくとも現代日本では)現実です。
特に君主論のターゲットであるリーダーの立場にある人は
人を雇うのにも体面を取り繕うのにもお金は必要ですから
人一倍お金の出入りに対しては敏感であるべきでしょう。
ここでもう一つの議論が生まれる。
恐れられるのと愛されるのと、さてどちらがよいかである。
だれしもが、両方をかね備えているのが望ましいと答えよう。
だが、二つをあわせもつのは、いたってむずかしい。
そこで、どちらか一つを捨ててやっていくとすれば、
愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。
そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、
猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、
欲得には目がないものだと。
(出典:君主論 中公文庫 P141)
解説
第17章「冷酷さと憐れみ深さ。恐れられるのと愛されるのとさてどちらがよいか」より。
「愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。」
これはまさに言い得て妙ですね。
特に教育に携わる方にとっては
色々と考えさせられる言葉では無いでしょうか。
これに関して思い出すのが私が中学生の頃、
いつもニコニコして全く怒らない先生や
生徒に媚を売って迎合しようとする先生がいたのですが、
私の周りの同級生たちは決まって
そういう先生のことは心中で小馬鹿にしていて、
怒られないとわかっているから平気で授業中に茶々を入れたり
変なあだ名をつけて休み時間の話のネタにしたりと
それはそれは非道い扱いをしていたものでした。
ですが逆に一人だけ、
国語の年配の男性教師の方にいつも飄々として、
叱るべき時にしっかり生徒を叱れる先生がいて、
その人のことだけは、日頃あまり
お行儀のいいとは言えなかった私の同級生たちも
一目置いた様子で、授業もみな真面目に聞いていた記憶があります。
つまりここから学べることは、
リーダーや指導者にとって下のものから
舐められることほど致命的な事はなく、
そうなるくらいなら恐れられたほうがまだマシということです。
たほう人間は、恐れている人より、
愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。
その理由は、人間はもともと邪なものであるから、
ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、
自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち断ち切ってしまう。
ところが、恐れている人については、
処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見放されることがない。
(出典:君主論 中公文庫 P142)
解説
おなじく第17章より。
マキャベリの人間不信が極まっている一文ですが、
豊富な人生経験に裏打ちされた説得力も感じられます。
ただ、後半に関しては乱世でこそ通用する思想であり、
これを現代で実行してしまうと
うまくいっても信長やイワン雷帝や
スターリンやチャウシェスクのような
末路を辿ることになると思いますので
核戦争後の日本で世紀末覇者を目指すような場合でない限り
実践することは全くおすすめしません。
人間は、父親の死をじきに忘れてしまっても、
自分の財産の喪失は忘れ難いものだから、
とくに他人の持物に手を出してはいけない。
(出典:君主論 中公文庫 P142)
解説
ここでマキャベリが
「他人の持物に手を出してはいけない」と
釘を刺しているのは他人の恨みを買わないためです。
現代におけるこのパターンの悪例は
例えば部下の手柄を横取りする上司ですね。
モノにしろ、手柄にしろ、恋人にしろ、
人は自分の所有物を「取られた」「傷つけられた」
といった感情に非常に敏感なものですので
こういった感情に紐づいた恨みは非常に長期間残留します。(場合によっては墓場まで)
よって動物の様に人から奪うのではなく、
逆に人に与えることによって
恩という形でより大きな恵みを得るという
戦略をとるのが、現代人としての正しい在り方ではないかと思います。
そこで君主は、野獣の気性を学ぶ必要があるのだが、
このばあい、野獣のなかでも、
狐とライオンに学ぶようにしなければならない。
理由は、ライオンは策略の罠から身を守れないからである。
罠を見抜くという意味では、狐でなくてはならないし、
狼どものどぎもを抜くという面では、
ライオンでなければならない。
といっても、ただライオンにあぐらをかくような連中は、
この道理がよくわかっていない。
(出典:君主論 中公文庫 P148)
解説
第18章「君主たるもの、どう信義を守るべきか」より。
マキャベリは乱世の君主は
ライオン(豪胆さ)とキツネ(ずる賢さ)の
両方の気性を持ち合わせていなければならないと主張します。
孫子の「兵は詭道なり」ではないですが、
人間同士の激しい競争を勝ち抜くには
力だけでなく相手の裏をかく
悪賢さも備えてなくてはならないということですね。
総じて人間は、
手にとって触れるよりも、
目で見たことだけで判断してしまう。
なぜなら、見ることは誰にでもできるが、
じかに触れるのは少数の人にしか許されないからだ。
(出典:君主論 中公文庫 P151)
解説
おなじく第18章より。
マキャベリはこの言葉によって、
うわさや主観でしかものごとを判断できない
民衆の軽薄さを喝破しています。
このことは、マスコミの報道や
SNS上にあふれる偽情報に踊らされ続ける
現代の私たちについても
変わらず当てはまることではないでしょうか。
いっぽう軽蔑されるのは、
君主が気が変わりやすく、
軽薄で、女性的で、臆病で、決断力がないと
みられるためである。
このことは、君主は一つの暗礁と受け止めて、
大いに警戒しなくてはならない。
と同時に、自分の行動のなかに偉大さや、
勇猛心、重厚さ、剛直さなどが窺えるように、
努力しなくてはならない。
(出典:君主論 中公文庫 P154)
解説
第19章「君主は軽蔑され憎まれるのを、どう避けるか」より。
要は「舐められたら終わり」ですね。
現代においても特に政情が不安定な地域では
例えばプー〇ンやドゥ〇ルテのような
冷酷だけど強くで決断力のあるリーダーの方が
民衆からの強い支持を受ける傾向があります。
以上のことから、わたしの結論は、
君主は民衆が自分に好感をもっているうちは、
反乱などほとんど気にしなくていいということだ。
(出典:君主論 中公文庫 P158)
解説
おなじく第19章より。
民衆は一人一人は弱い存在であっても
数が集まれば革命を起こして
君主をギロチンに掛けられるほどの潜在力があるので、
リーダーが盤石な体制を築くには
何よりも民衆から「愛される」ことが不可欠となります。
セウェルスからは、
国の基礎づくりをするうえの肝心な方策をしっかりつかみ、
マルクスからは、すでにゆるぎなく安定した国を維持していくための適切な、
栄光輝く方策を学びとらなくてはいけない。
(出典:君主論 中公文庫 P168)
セウェルス帝はローマ帝国のセウェルス朝初代皇帝です。
軍人上がりの皇帝で、
ディディウス・ユリアヌスやクロディウス・アルビヌスなどの
僭主(身分を超えて勝手に工程を名乗ること)を
狡猾な策で次々に打倒し、統一王朝を成立させた手腕を
マキャベリは自身の理想にかなう君主の一例として高く評価しています。
一方のマルクス帝はローマが最大領土を誇った
五賢帝時代の最後の皇帝で、
この人の場合は先代から受け継いだ繁栄を
堅実に守り通した手腕を評価されています。
でも、個人的に一番面白いと感じるのは
この二人の優秀な皇帝の跡継ぎとなった実子が
揃ってきわめて人格に難のある
暗君だったこと(カラカラとコンモドゥス)なんですよね。
もし最上の要塞があるとすれば、
それは民衆の憎しみを買わないことにつきる。
なぜなら、どんな城を構えてみても、
民衆の憎しみを買っては、城があなたを救ってはくれない。
民衆が蜂起すれば、きまって
民衆を支援する外国勢力がやってくるものだ。
(出典:君主論 中公文庫 P179)
解説
第20章「君主たちが日夜築く城塞や、その類いのものは有益か、有害か」より。
マキャベリは巨大な城を築くよりも
民衆の支持を得ることの方が
君主の身を守るうえではずっと有効であると説いています。
ただし身内の敵に備えるうえでは
緊急避難先として城の存在は
有効であるとも述べています。
決断力のない君主は、
当面の危機を回避しようとするあまり、
多くのばあい中立の道を選ぶ。
そして、おおかたの君主が滅んでいく。
(出典:君主論 中公文庫 P186)
第21章「君主が衆望を集めるには、どのように振るまうべきか」より。
自分より強い二者の間で争いが起きた場合、
自分が争いの当事者ではないからといって
中立の立場を決め込んだりすれば
勝った方からは大事な時に味方してくれなかったと恨まれ、
負けた方からもお前が味方してくれなかったから負けたのだと
責められることになるのだから
最初にどちらの味方につくのかを明確に表明するべきだという教えです。
これはマキャベリ自身の経験に根差した教訓であり、
かつてのフィレンツェは近くで強国同士の争いが起きるたびに
中立という安全策をとって傍観者の立場を決め込み、
その度に勝った国からも負けた国からも(ついでに周りの小国からも)
信用を失うという過ちを繰り返していた歴史がありました。
このように、どっちに転んでもいいように
常に日和見的な態度をとるような人は
結果的に誰からも信用されないようになり、
かえって損をすることになるということですね。
ある君主の頭脳のよしあしを推測するには、
まず最初に君主の側近をみればいい。
側近が有能で誠実であれば、
その君主は聡明だと評価してまちがいない。
それは、君主が彼らの実力を
見抜ける人であり、彼らに忠誠を守らせているからである。
(出典:君主論 中公文庫 P192)
第22章「君主が側近に選ぶ秘書官」より。
類は友を呼ぶという言葉があるように、
人間の組織というのは自然と
似たような考え方を持つ人が集まってくる性質があります。
ですので、例えば会社であれば
そこの社員の働き方や姿勢を見るだけで
経営陣が優秀かどうかまで大体分かってしまうというわけですね。
それだけに人を雇う立場にある人は
これから雇おうとしている人が本当に優秀かどうか
目を皿にして見極める必要があるでしょう。
誰からりっぱな進言を得たとしても、
良い意見は君主の思慮から生まれるものでなければならない。
よい助言から、君主の思慮が生まれてはならない。
(出典:君主論 中公文庫 P198)
第23章「へつらう者をどのように避けるか」より。
マキャベリは世の中のリーダーを
次の3つのパターンに分類しています。
・自分で全てを考え、自分で決断できる君主。
・自分で考えることはできないが、他の人の意見を聴いて決断できる君主。
・自分で考えることも出来ず、人の意見を活用することも出来ない君主。
言うまでもないことですが、
最初のパターンが一番優秀で、
最後のパターンが最も無能です。
実際のリーダーの多くは
二番目のタイプに当てはまるかと思いますが、
しかし人の意見を正しく聞くというのもまた簡単なことではなく、
言われたことを何でもかんでもそのまま採用していては
組織のかじ取りが滅茶苦茶になってしまいますし、
かといって反対に独断専行に走れば
今度は周りがついてこなくなってしまいます。
よって優秀なリーダーであろうと思うならば
広くメンバーの意見に耳を傾けた上で
それを自分なりの一貫した考えに落とし込むだけの
器量を備える必要があると言えるでしょう。
自分のやり方を時勢と一致させる人は成功し、
逆に、時代と自分の行き方がかみ合わない者は不幸になる。
(出典:君主論 中公文庫 P204)
第25章「運命は人間の行動にどれほどの力をもつか、運命に対してどう抵抗したらよいか」より。
昔羽振りが良かった人が
ある時を境に急激に見る影もなく落ちぶれることがありますが、
この原因の多くは時代の変化によって
かつてうまくいっていたやり方が通用しなくなることに依ります。
身近で具体的な例を挙げるなら、
例えば一昔前に日本でも流行った
「アバクロンビー&フィッチ(アバクロ)」というファッションブランドがありました。
アバクロの最大の売りは
ロゴを前面に押し出したデザインと
半裸のマッチョイケメン店員に代表される
セクシー&ラグジュアリーな世界観だったのですが、
時代が移りロゴドンがダサいとみなされるようになったことや
人種差別や体系差別に対する風当たりが厳しくなったことが重なり、
一気に人気が翳り、今では名前を聞くことすらなくなってしまいました。
このように、時代の流れ、風潮というものには
個人や一企業が逆らえないほどのとてつもない力があり、
成功をつかむためにはその時流をただしく捉えて味方につける必要があります。
例えば最近であれば
SDGsが世界的なトレンドになっていますので、
その辺りのニーズにマッチした企業やテクノロジーならば
虎が翼を得た如く飛躍的に成長できる可能性が高いと言えるでしょう。
人は、慎重であるよりは、
むしろ果断に進むほうがよい。
なぜなら、運命は女神だから、
彼女を征服しようとすれば、
打ちのめし、突き飛ばす必要がある。
運命は、冷静な行き方をする人より、
こんな人の言いなりになってくれる。
(出典:君主論 中公文庫 P207)
同じく第25章より。
マキャベリの思想を理解するうえで重要な概念に
「力量」(ヴィルトゥ)と「運命」(フォルトゥナ)があります。
これらは「実力」と「運」と読み替えることもでき、
この二つを兼ね備えた君主こそが
マキャベリの考える最強の君主です。
もっとも、運というものは
私たちの意志ではどうすることも出来ないものであり、
これは一見すると考えるだけ無駄なようにも思えるのですが
マキャベリは「若者のように」「果断に進む」ことで
この運を味方につけることが出来るのだと
得意の比喩を駆使して力説しています。
実際に運勢を変えられるかどうか
(そもそもそんなものが存在するのか)はさておき、
勢いと自信に満ちた人の方が
おどおどして頼りなさげな人よりも
多くのチャンスに恵まれるというのは納得できる意見です。
特にリーダーの場合、例えば宇宙旅行や
全ての自動車の電気自動車化といった
壮大なヴィジョンを打ち出して
度々話題を集めているイーロン・マスクのように
その勢いに人が付いてくるような部分もありますので
一層そういった姿勢が重要になってくるのだと思います。
君主論に興味が湧いた方におすすめの本
ここまで目を通して頂きありがとうございました。
最後に、本記事を通じて興味を持ち
これから君主論を読んでみようと思った方に
おすすめの書籍をご紹介して本日のお別れとしたいと思います。
君主論 (まんがで読破)
まず最初におすすめするのは
君主論…ではなく
「まんがで読破シリーズ 君主論」です。
漫画だからといって侮ることなかれ。
ただ君主論の中身を紹介するだけでなく、
マキャベリの生涯を追いながら
彼の思想を紐解いていくストーリー仕立てになっているので
君主論を正しく読み解くのに必須な
当時のフィレンツェの政治的状況や
マキャベリの立ち位置などがすらすら頭に入ってきます。
なぜ、マキャベリが君主論で語っているような
思想を持つに至ったかを知るうえで非常に有益な一冊ですので、
本家を手に取る前の予習として読んでおくことをおすすめします。
君主論 - 新版 (中公文庫)
今回の記事で引用したのはこちらのバージョンですね。
全体的に平易な訳で描かれているので読みやすく、
かつ人物名や分かりづらい部分に
事細かに注釈が付け加えられているので
初めて君主論を読む人にもおすすめしやすい訳本です。
君主論 (岩波文庫)
解説で役者が「私の訳文はほぼマキアヴェッリの書いたとおりである。」
と述べているだけあって格調高く、
ありていに言えばややとっつきづらい文体が特徴の訳本です。
原文の持つ味わいを
なるべくそのまま楽しみたい方にはこちらがおすすめですね。