なぜSEKIROはこんなにも面白いのか

PS4ゲームレビュー

一度挫折したSEKIROに再びハマりなおした話

今更だけどPS4のSEKIROにハマっている。

去年の夏の発売直後に購入したものの
・ボスの攻撃は一回被弾しただけでこっちが虫の息になる威力なのに
狼(プレイヤー)の攻撃は一撃ごとにミリ単位でしか削れない。

・レベルアップでステータス強化ができないので
ブラボのようにどうしても勝てないボスに対して
雑魚狩りでレベル上げしてごり押すという逃げ道もない。

・ただでさえ死にゲーなのに死亡数が一定を超えると
NPCに竜咳という病気が蔓延するペナルティがある。

などの鬼畜仕様に耐えかねて
比較的序盤で放り出してしまっていたのだが、
最近になってふと思い出してやり直してみたら
今度こそどっぷりハマってしまったのだ。

確かに情け容赦ない難易度だけど
戦術や立ち回りの工夫次第でかなり楽ができるし、
最大の難所であるボス戦も
何度も闘っている内に体でパターンや隙を覚えることができる。

その考えて工夫する、覚えるという過程が
プレイヤーである自分自身の成長に
繋がってる感覚があって非常に気持ちがいい。

レベル上げによるごり押しができなかったり
死亡ペナルティがあるというのも今になって思えば
ゲームの緊張感、達成感を維持するために
必要な選択だったのだと思う。

SEKIROの何が我々を夢中にさせるのか、という問いかけ

ここまでで半分以上答えが出たような気もするけれど、
今回突き詰めて考えてみたいことは
SEKIROをプレイすることが
なぜこれほどまでに面白いと感じられるのか?

というシンプルな疑問だ。

そもそもこれは主観的な問題だし、
一般的な解が出せるものではないかもしれないけれど、
ゲーマーの端くれとして
何か意義のある答えが見つけられればと思う。


注意! : この記事は『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』のゲーム本篇の内容を含みます

SEKIROの中毒性について

SEKIROというゲームには中毒性がある。

プレイ中、何度も何度も心の中で
「これはひどい」と呟いてきたはずなのに
気がつけばコントローラーに手が伸びている。

激辛料理を辛い辛いと言いながら
それでも箸を持つ手が止まらないように
SEKIROにはなぜかプレイを続行したくなる不思議な魔力があるのだ。

では、その魔力の正体は一体何なのか?

改めて考えてみるとこれは
「敵を討ち取った時の演出の痛快さ」
「高難易度ゆえの強い達成感」
の二点が特に大きかったのではないかと思う。

まず「演出面」については
敵の種類ごとに異なる「殺り方」が用意されている忍殺や
敵の攻撃を躱して逆に相手の体幹を削る「見切り」
などの派手なアクション部分の痛快さももちろんだが
私がそれ以上に秀逸だと感じたのは
「音」に関する演出の巧みさだ。

例えば狼と敵の刃がぶつかった際に生じる甲高い金属音は
鍛えられた鋼同士が衝突したという感覚に満ちていて
今まさに生身の真剣同士で斬りあいをやっているのだ
という臨場感を弥が上にも高めてくれる。

実際に画面の前でコントローラを握っているのが
喧嘩の経験すらないような貧弱ボーイであっても
この演出のマジックによって
一時的に本当に自分が戦国時代の
剣士になったような錯覚に陥ることができるのだ。

また音といえば他にも
仏師が木材を削る「コツ、コツ」という音や、
川のせせらぎが「トクトク」流れる音といった
ささやかな環境音もゲームへの没入感を生み出すうえで
抜群の効果を発揮していたように思う。

次に、先に挙げたもう一つの理由である
「高難易度ゆえの強い達成感」については
読んで字のごとく、SEKIROが難しいゲームであるからこそ
「自分はこんなに難しいゲームをクリアしたんだ」
というその達成感が味わえることを指している。

しかし一方でゲームの難易度というのは
難しくすればその分達成感は増すものの
行き過ぎてしまえば大量の挫折者を生んでしまうという
ジレンマをも孕んでいる。

また、たとえ高難易度であっても
当然ながらそれだけでは良いゲームとは言えず、
例えば過去には「星をみるひと」や「ドラゴンズレア」のような
高難易度でありながら評価の芳しくない作品は山ほどあった。
(どちらも大昔の作品なので例えとしてはあまり適切でないかもしれないけれど)

その点SEKIROは確かに鬼のように難しいけれど
ゲームシステム的な理不尽さはほとんどなく、
例えゲームオーバーになることがあってもそれらは
自分の経験、判断、集中不足で納得できる場合がほとんどであり、
そのためゲームオーバーを繰り返しても
変にイライラさせられることなく
逆に次はここを直してもっとうまくやろうという風に
モチベーションを保つことができた。

また、詰まりポイントとなりやすいボス戦についても
基本的にどのボスも近場にセーブポイントが用意されているので
余計な時間を消費せずに再戦できるのも良かった。
(この辺は最近の大作ゲームだとどこも意識していると思うけれど)

また、話がやや横道にそれるけれど、
心理学の用語に「フロー効果※」というものがあって、
私はSEKIROをプレイ中にこのフロー効果を
何度も体験したように思う。
(※ハンガリーの心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した
「人間が適切な環境で自分がクリアできる
ギリギリの課題に挑戦するときに発揮される
高度な集中状態」を表す言葉。)

このように自分の上達を楽しめるSEKIROだが
しかし一方で、純粋にゲームの腕を競いたいのなら
格ゲーやオンゲなどのPvPをプレイするのが
一番だという意見もあると思う。

だけど対人ゲーの場合、相手が人間である分
一人用ゲームと比べるとどうしても気を使ってしまうところがあり、
人によっては気軽に楽しめないという弱点がある。

その点SEKIROは一人用ゲームなので
同じ相手にいつ何度挑んでもいいし、
特定の戦術や武器をつかうなと文句を言われることもない。

そういうわけで、自分のゲームの腕前を試したいけれど
オンゲは気を使うからあまり得意じゃないという
私のようなタイプの人間にとってSEKIROは実に都合が良いゲームだったのだ。

闘いの中で得られる成長の実感

ゲームにおける戦闘システムの歴史は
シンプルさと奥深さを両立させるための
試行錯誤の歴史だったのではないかと思う。

ドラクエのようなコマンドバトルシステムは
シンプルで誰にでもわかりやすい反面、
行動の選択肢が限られるために
プレイヤーの戦術に幅を持たせるのが
難しいというデメリットがある。

かといってオープンワールドゲーのように
ひたすら自由度を突き詰めると
今度はできることが多すぎて
何をやればいいのかわからないとか、
操作方法を忘れてしまうプレイヤーが出てくる。

その点SEKIROの戦闘はシンプルかつ奥が深い。

プレイヤーの選択肢は基本的に
攻めるか、避けるか、弾くかの三通りだけ。

基本的には敵に隙があれば攻めて、
無ければ距離を取るかガードで
弾きを狙うかをだけを意識すればいい。
(忍義手というサブ武器もあるけれど
それらはあくまで戦闘の補助的な存在であって
戦闘の主流に位置するものではない)

しかし実際の戦闘では
地形や敵の配置などによって
有効な戦術は千変万化し、
待ち受ける強敵たちを射ち倒すには
なによりも敵の動きを体で覚えることと
不要なリスクを排除して
自分の有利な状態を維持し続けることが最重要視される。

勝つために必要な思考という意味では
格闘ゲームのそれが非常に近い。

つまり勝つためには何よりも
ストイックな努力と冷静な分析を必要とし、
だからこそ戦闘に勝利した時に
「自分の実力で勝ったのだ」という
強い達成感を味わうことができる。

格ゲーが好きな人と嫌いな人が
比較的はっきり分かれるように
このシビアなスタイルが合う合わないには
多分に個人差が関わってくると思うが、
だからこそ合う人にとっては
最高にはまれるゲームになっているのだと思う。

「日本的な美」が凝縮されたマップデザインの妙

ゲームのグラフィックというのは
ここ20〜30年ほどで異様なほどの急進化を遂げていて、
かつてグラフィックに対する定番の褒め言葉だった
「まるで実写」という形容詞などは
もはや当たり前すぎて誰も口にしなくなった感すらある。

しかし、そんな美麗映像に慣らされた身からしても
SEKIROのグラフィック、特にステージ造形の美しさには驚かされた。

しかもそれは例えばWatch dogsのように現実にある場所が
精巧に再現されているといった種類の驚きではなく、
現実には存在しないけど我々の脳内に確かに存在する
「日本的な美」に対する共通了解をそっくりそのまま
ゲーム内のグラフィックとして落とし込んでいることに対する驚きだ。

急峻な断崖に築かれた荘厳な寺院に
複雑に入り組んだ構造をもつ堅牢な城郭、
色鮮やかな紅葉に彩られた朱塗りの木橋などなど、
日本好きな外国人が喜びそうなモチーフが次々に登場し、
なおかつそれらが全くわざとらしくない。

そのどれもが現実には存在しない
虚構の産物でありながら確かに
日本人的な美の感覚に訴えかけてくるものがある。

特に私が圧倒されたのが
ゲーム終盤に登場する
源の宮というステージだ。

こんな美しいステージの中を縦横無尽に飛び回って
戦えるのだからこれはもう楽しくないわけがない。

SEKIROにはこうした写真映えするポイントが非常に多く、
それだけにホライゾンゼロドーンやSpidermanなどにあった
高度なカメラ機能がないことが心底悔やまれるほどだった。

昔から造形美と設計美を兼ね備えた
ステージ設計で知られるフロムだったけれど、
その実力は和風という新たな世界においても
十二分に発揮されたと言えるだろう。

SEKIROは良く出来たお化け屋敷なのかもしれない

「怖いもの見たさ」という言葉があるけれど、
SEKIROにはそうした心理に訴えかける
ホラー的な要素も多分に含まれていたように思う。

一瞬のミスが命取りになるバランス設計であり、
なおかつ道中では死角の多い、
見通しの悪い地形が度々登場するため
プレイヤーは常に敵との遭遇に備えて
緊張感を保ったまま歩みを進めることになる。

SEKIROのプレイには
常にお化け屋敷の中にいる時や
ホラー映画を見ている時のような
手に汗がにじむ緊張感が付きまとうのだ。

加えてゲーム内で戦うことになる敵の造形も
こちらの生理的な恐怖心に
訴えかけてくるようなものが多い。

「無生之辱 有死之榮」などという
物騒な旗を掲げた侍や、
狼の倍以上はある巨体の鬼などは
見た目だけでこいつらとはやるか
やられるかしかないのだという無言の迫力があるし、
ゲーム中盤以降は怨霊や首なしなど
そのまんまお化け屋敷に出演できそうな
連中とも刃を交えることになる。

そして、そんな中でも
特に私が恐怖を感じたのが
ゲーム中盤で訪れる落ち谷という場所の
最奥部で戦うことになる獅子猿というボスだ。

こいつは普通の状態でも相当強い上に
一回倒して首を切り落としてやっても、
その後首が無い状態で起き上がってきて
勝ったと思って油断しているプレイヤーを
再び恐怖のどん底に突き落としてくれる。

切り落とされた自分の首を片手に、
糸の切れた操り人形のような動作で
ひたすらプレイヤーに追いすがってくるその姿には
コントローラーを握りながら思わず
体が震えてしまうほどの恐怖感を感じた。
(さらに戦いの舞台が人の気配の全く無い
山奥のような場所というのもまた恐怖感を倍増している)

昔からフロムは気味の悪いゲームを作らせたら
天下一品のメーカーだったけれど、
SEKIROは舞台が和の世界となったことで
今まで以上にじっとり湿った恐怖感が加わっていたように思う。

『シュールな笑い』 in SEKIRO

さて、直前でSEKIROの怖さを語ったところで
話の方向が180度真逆になってしまうけれど
実はSEKIROにはプレイしてると
ところどころ笑えるポイントがあった。

掛け軸で敵に塩を送った弦一郎

本作で主人公狼の宿敵のポジションを務める
葦名家の若き後継者、葦名弦一郎。


(▲ルックスもイケメンだ。)

基本的に終始どシリアスで
微笑み一つ浮かべることもない彼だが、
実は作中で一つだけとんでもなく
間抜けなミスをやらかしている。

それがゲーム中盤に訪れることになる
葦名城で見ることができる雷返しの掛け軸の存在だ。

この掛け軸、放たれた雷を空中で受け止めてから
敵に向かって打ち返す技について記された代物なのだが、
あろうことかこの掛け軸、
その雷を使う巴流を切り札とする
弦一郎その人が待つ部屋の
直前の部屋の床の間に掛けられているのだ。

自分のホームであるはずの葦名城で
自分の必殺技の弱点を記した掛け軸を
堂々と目立つ位置に飾っておくその姿勢について、
あえて自分を追い込む武士道精神の発露なのだと
好意的に捉えることもできるかもしれないが、
仮にそうだとしても結果的にそのせいで
狼に負けているのだから世話がない。

一説では本当は弦一郎も掛け軸を隠しておきたかったが
掛け軸の前に陣取っている居合のおじさん(佐瀬甚助)
にどうしても勝てなかったために
掛け軸をそのままするしかなかった

という俗説も囁かれているが
弦一郎の名誉のために幾ら何でも
その可能性だけはないと信じたいものだ…

SEKIRO猿軍団

SEKIROには勇猛な武将や
見るも恐ろしい魑魅魍魎など
様々な敵キャラクターが登場するが、
そんな中にあってひときわ記憶に残ったのが
雑魚敵として道中に登場するこのリアルなサルたちだ。

彼らはサルゆえ火力体力ともに貧弱だが
ゲーム内では刀を振り回したり
火縄銃を使いこなしたり、
木の上で待ち伏せて奇襲を仕掛けるなど
サルなりに豊かな戦術で狼を苦しめようとしてくる。

しかし悲しい哉、
彼らが必死に頑張れば頑張るほど
そのシュールさが際立ってしまう。

とりわけ落ち谷で
PS4が処理落ちするほどの
数の猿が出てきて、そいつらに
私の操作する狼がボコボコにされて殺された時は
悔しさとかしまったとか言う感情よりも
これまで数々の強敵を刀の錆にしてきた狼が
猿に集団リンチされて負けたというシュールさで
ひとしきり爆笑してしまった。

まぁ、インドでは凶暴化した猿が
人のものを盗んだり怪我をさせたりしていると言うし、
きっとフロムは猿を敵として出すことで
決して野生動物を侮ってはいけないという
メッセージを込めようとしたのだろう(適当)

お米は大事

お米は大事。

まぁ確かにそりゃそうだけど、
この世界観で唐突にそういう
真っ当なことを説かれると
おもわず笑ってしまうものだ。

これらのシュールな要素を
フロムが意図して盛り込んだのかは不明だけど、
もし天然でやっていたらそれはそれで
ある意味天才的なのは間違いない。

最近プレイした他のゲームとの比較

最後に、最近私がプレイしたいくつかのゲームとの
比較という観点からSEKIROの特色を探ってみようと思う。

ブラッドボーン

同じPS4向けのフロムゲーとして両者を比べると、
表現力では(後発なので当然だけど)SEKIROが圧倒的に上、
ゲームバランスや戦闘の面白さに関しては
人によって好みが分かれると行ったところだろうか。

個人的にはブラボのゴシックホラー的な雰囲気は好きだけど
ゲームとしての完成度を全体的にみると
SEKIROの方に軍配があがるように感じた。

FF7リメイク

絶対コケると思いきや
意外と評判のよかったFF7リメイク。

SEKIROと比較して対照的なのは
想定されるプレイヤー層が広さゆえに
詰み要素の徹底的な排除や
わかりやすいヒントの提示など
非ゲーマーやライト層に対する
徹底的な配慮がなされていたことだった。

その分ゲームバランスはやや甘めで
ボスに勝てなければレベル上げをすればいいし、
道中の雑魚敵などは適当にポチポチやってても案外勝ててしまう。
(それでも油断すると何度かゲームオーバーになる場面はあったが)

これはどちらがが良い悪いということではなくて、
狙うターゲット層と何を売りにするかという
制作側の方針の違いによるものだろう。

おわりに

私がSEKIROにはまった理由を
つらつら書き出してみたけれど、
こうして振り返ってみると
フロムソフトウェアという会社は
常に我が道を行っているな、と思う。

まだプレイしてないと言う方は
お得なGAME OF THE YEAR EDITIONも出る頃だし
これを期に本作を手に取ってみてはいかがだろうか。

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