認識の生とは、世の中の苦しみにもかかわらず幸福であるような生のことだ。世の中の楽しみを断念しうる生のみが幸福なのだ。
世の中の楽しみは、この生にとって、たかだか運命の恵みにすぎない。
『草稿』 より
「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならない」
「言語の限界が世界の限界を決定する」など、
シンプルかつ強烈なインパクトをもった名言を残し、
後世に大きな影響を与えた
二十世紀を代表する哲学者
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン。
本記事では、その難解さでも有名な
ウィトゲンシュタインの思想について、
ウィトゲンシュタインの生涯や
後世に与えた影響の解説も絡めて
専門知識がなくてもわかるように
なるべく簡潔にまとめてみました。
あくまでも表面的な内容に止まりますが、
ウィトゲンシュタインが何を考え、
なぜ今もなお頻繁に引用されるのかを、
手短に知りたい方のお役に立てればと思います。
目次
ウィトゲンシュタインは何を考えた?
ウィトゲンシュタインの思想は主に、
「論理哲学論考」に代表される前期と
「言語ゲーム論」を中心とする後期に
大きく分かれます。
前期と後期で思想内容は
大きく異なっていますが、
時期に関わらず共通しているのは、
ウィトゲンシュタインが、
「ことば」の使われ方に着目し、
そこから、ことばと世界の関係性や
人間の思考の限界について考えたことです。
また、その思想の背景には
論理学や数学の知識があり、
さらにはウィトゲンシュタイン自身の
生きた時代や、戦争体験も
大きな影響を与えています。
それでは、ウィトゲンシュタインの
人生を追いながら、
その思想を紐解いて見ましょう。
ウィトゲンシュタインの生い立ち
幼少時は音楽の天才?
ウィトゲンシュタインは1889年、
オーストリアの首都ウィーンにて生を受けます。
ウィトゲンシュタイン家は製鉄産業で
富を築いたユダヤ人の家系であり、
当時一流の音楽家や芸術家が出入りする
サロンの役割も果たしていました。
そんな裕福な環境で育った
ウィトゲンシュタインは音楽の才にも恵まれ、
幼少時に実家で行われた
オーケストラの演奏を聴き、
演奏の中で修正すべきポイントを
的確に言い当てたという逸話もあります。
芸術的に恵まれた環境で育ったことが、
ウィトゲンシュタインの鋭い観察眼を
育んだのかもしれませんね。
工学への興味とラッセルへの弟子入り
青年期には高等実科学校で学び
(この時の同窓には、あのヒトラーがいた!)
1906年にベルリンの工科大学に入学。
またこの時、後のオートジャイロの改良につながる
基礎理論を生み出し、特許を取得しています。
さらに、プロペラの設計に携わったことで
数学基礎論や論理学に強い興味を抱いた
ウィトゲンシュタインは、
1911年に22歳で、
高名な論理学者バートランド・ラッセルの
研究室の門を叩きます。
この時期にラッセルから
数学や論理学を学んだことが
ウィトゲンシュタインの思想の
大きな基盤となっただけでなく、
ラッセルとの、師弟関係を超えた
友情を育むことにもなりました。
ウィトゲンシュタインは戦場へ行った
1914年、サラエヴォ事件をきっかけに
ヨーロッパ全土を戦禍に巻き込んだ
第一次世界大戦が勃発します。
するとウィトゲンシュタインは意外にも
自らオーストリア軍の兵士に志願。
最も危険な前線に自ら望んで
従軍することとなりました。
(ちなみに、師であるラッセルは
反戦運動に参加して投獄されていたりする)
ウィトゲンシュタインは
戦場にもノートを持ち込んで
砲弾が飛び交い、生死のはざまを
彷徨うような日々の中でも
思索と執筆を続けます。
そして、この時の体験が、
のちの「論理哲学論考」を産む
ひとつの土壌となりました。

ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』: 第一次世界大戦と『論理哲学論考』
- 作者: ルートヴィヒウィトゲンシュタイン,星川啓慈[解説],石神郁馬[解説],丸山空大
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2016/04/20
- メディア: 単行本
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ちなみに、従軍中の日記も
翻訳されて読むことができます。
全ての問題は解決した!? 論理哲学論考の出版
1919年、ようやく戦場から戻った
ウィトゲンシュタインは、これまでの
自分の思索をまとめた「論理哲学論考」の
出版に向けて活動を開始します。
そして少し間が空いて1922年。
ラッセルや友人のオグデンの尽力もあり、
ウィトゲンシュタイン最初の著作である
論理哲学論考はめでたく出版に漕ぎ付けます。
論理哲学論考をめくってみると、
「世界は成立していることがらの総体である」
「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」
などといった命題が
数字を振られて並べられ、
最後の命題はあの有名な
「語り得ぬものについては、
沈黙しなければならない」
の一文で締めくくられています。
これらの命題をそのまま読んでも
意味を理解するのは難しいので、
一旦視野を広げて、
「論考」が語ろうとしている主題に
目を向けてみようと思います。
論考の主題は写像理論
「論考」の主題は、
世界と言語の関係性と
そこから導かれる
人間の思考の限界です。
ウィトゲンシュタインは、
世界(事実の集合)と言語(命題の集合)は
一対一で紐つけられる、写像形式の
関係にあると語っています。
※ここでいう命題とは、
雨が降っている/いない、花の色が赤い/赤くない
といったような、真偽で表せる文章のことを指します。
そして、世界と言語が
一対一で対応するなら、言語の限界が
イコール世界の限界となるはずだ
という、結論に至ることとなります。
「人間は世界を正しく認識できるか?」
という近代哲学の大問題に対し、
「意識」に要点を置いてきた
従来の哲学(カントやヘーゲル)とは違い、
「言語」という全く違った
アプローチで取り組んで見せた点こそ、
「論理哲学論考」の偉大なところです。
世界は成立していることがらの総体である
これは、「論考」の初項を飾る命題です。
自説を展開するにあたって、
まず、世界が事実(命題)から
成り立っていることを説明しています。
また、論理哲学論考では
互いに独立してそれ以上分割できない
命題のことを要素命題と呼び、
要素命題の集まりを複合命題と呼びます。
世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
世界を構成しているのは、
あくまでも事実の集合であり、
もの(単語)の集合ではないと
ウィトゲンシュタインは語ります。
例えば、「私は車で京都に行った」という
文章には、「私」「車」「京都」という
単語(もの)が含まれますが、
仮に単語(もの)のみを抜き出して並べても
そこにものとものの関連性(事実)が
含まれていなければ文章は成立しません。
ことばは命題となって初めて意味を持つのです。
私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する
論理哲学論考の中でも
その核心を言い表す名言中の名言です。
ウィトゲンシュタインは論考の中で
言語を世界を写し取る道具と捉え、
人間の思考を言語や論理の性質と
照らし合わせることで、
その限界を明らかにしようと試みました。
例えば漁業が盛んな日本には、
成長に伴って呼び名が変わる
「出世魚」という言葉があり、
一方で、アジアの少数民族
チュクチ族のチュクチ語には
重要な食料であるトナカイ肉に対し、
部位だけでなく調理法によっても
異なる呼び名が使われています。
このように、言語は
それを使う人の生きている
世界を反映していて、
言語で表せない領域のことは
そもそも考えることすらできないと
ウィトゲンシュタインは語りました。
死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。
ウィトゲンシュタインの
死生観が伺える命題の一つ。
誰もが一度は、自分が死んだらどうなるか
と考えたことがあると思いますが、
ウィトゲンシュタインは、死んだらその人の
認識も終わるので、そもそも人は
死を体験することはないと語ります。
語りえぬものについては、沈黙せねばならない
論考を締めくくる最後の命題が、
こちらの簡潔な一文です。
意味をの理解に役立つ資料として、
ウィトゲンシュタインが
論理哲学論考出版依頼のおり、
編集者へ送付した手紙の一部を
見てみましょう。
私の本は、論理的なことがらをいわば内側から限界づけており、そして私の確信するところでは、倫理的なことがらとは、ただそのようにしてのみ限界づけられうるものだからです。つまり私は、今日多くの人々が駄弁を弄しているすべてのことがらについて沈黙を守ることによって、そのすべてに確定的な位置を与えた、と信じているのです。
『ウィトゲンシュタイン入門』 より
つまり、「自由意志とは何か」、「本当の美とはなにか」などといった、それまでの哲学の中心になっていた問い(懐疑論や観念論)は、問いそのものが間違っており、そんなことを言葉を尽くして語るのは「駄弁を弄している」のも同じだとウィトゲンシュタインは警鐘をならしたのです。
また、本書の序文において
ウィトゲンシュタインは
「本書に表された思想が真理であることは
犯し難く決定的であると思われる」
「それゆえ私は、問題はその本質において
最終的に解決されたと考えている」
と、まで言い切る自信を見せています。
その自信は決してハッタリでなく、
「論理哲学論考」は発表後しばらくして
当時の一部の知識人に大きな影響を与え、
のちに、ウィーン学団による
論理実証主義運動のきっかけともなりました。
哲学探求と言語ゲーム
論理哲学論考で、「全ての問題は解決した」と
言い切ったウィトゲンシュタインは、
それ以降哲学からは身を引き、
オーストリアで
小学校の先生に転職します。
ウィトゲンシュタインが小学校の先生...
あのコワモテ顔からは想像がつきませんが、
実際のところ、生徒に体罰を加えたり、
できのいい生徒をえこひいきして
保護者からクレームを入れられたりと、
理想の先生とは言い難い面もあったようです。
(能力自体は申し分なかったでしょうが)
そんな教師生活を送りながらも、
ウィトゲンシュタインはかつて自分が著した
論理哲学論考について疑問を抱き、
再び思索を開始します。
哲学探求と言語ゲーム
言葉はなぜ意味を持つか
後期ウィトゲンシュタインの思想の中でも
特に重要な概念が「言語ゲーム」です。
ウィトゲンシュタインの言う
言語ゲームとは一体どのようなものか?
簡単な例を見ていきましょう。
頭の中に、「ドア」をイメージしてください。
こう問われれば、誰でも頭の中に
一般的なドアのイメージを
思い浮かべることができますよね。
ところがもし、質問の内容が
「ドア」の定義を教えてください
というものだったなら、
あなたはどのように答えるでしょうか。
ドアというものは、家にくっついていて、
取っ手がついていて、扉があって、
人が潜れるくらいの高さがあって...
というふうに、大まかな説明はできるものの、
これこれこういう寸法で、材質はこれで...
というふうに、ドアの完全なモデルを
持ってきて、これがドアなのだ!
と断言することはできません。
それなのに私たちは
「ドア」や「椅子」、「机」などの
定義できない言葉を理解し、
さらにはそれらの言葉を使って
コミュニケーションを成立させています。
一体これはどういうことでしょうか。
言葉が"分かる"とは?
今度は別の例を考えてみましょう。
例えば、あなたが「ドア」というものを
全く知らないAさんに、
ドアとは何かを
教えなくてはならないとします。
そこであなたは、Aさんと街を歩いて
「ドア」の実例を
見て回ることにしたとしましょう。
街中にある、色も形も様々なドアを見ながら、
あなたがそれらを指差し
あれがドア、あれもドア...と伝えるうちに
ある時点でAさんは、
「ははぁなるほど、これがドアなのか!」
と、どういうものが
ドアと呼ばれているかを"理解"します。
一度理解してしまえば
もう実例は必要なく、
Aさんはその後新しいドアに遭遇しても
それをドアだと認識して、
別の誰かに「あれがドアだよ」と
教えることもできるようになります。
つまり、ドアという言葉を理解するために、
世界中全てのドアを見て確かめる必要は
全くないと言うことです。
これは、子供が足し算を理解する過程でも
全く同じことが言えます。
足し算の法則を理解するために
全ての数の組み合わせを
知る必要はありませんよね。
人間には、少ない実例から
一定の法則(=ゲームのルール)を
理解する力が
先験的に備わっているのです。
世界は言語ゲームに満ちている
今までの考察を踏まえて
改めて私たちの周囲を見渡して見ると
世界が言語ゲームに満ちている
ことがわかります。
例えば親が子供に「くるま」
という言葉を教える場合、
実際に子供に教えているのは
「くるま」の定義ではなく、
今その親子が生きている社会で、
どういうものが「くるま」と呼ばれているか
という言語ゲームのルールなのです。
「言葉に客観的な根拠はなく、
ある文化の中でたまたま共有されている
ルールにすぎない」
ウィトゲンシュタインの生み出した
この画期的なアイディアは、彼の死後しばらくして
現代思想に大きな影響を与えることとなります。
ウィトゲンシュタインが後世に与えた影響
ウィーン学団
論理実証主義を掲げて、
検証不可能な形而上学を排除し
「本物の科学」を見つけようとした
ウィーン学団。
このウィーン学団は、
前期ウィトゲンシュタインの思想を
思想背景として誕生しました。
曖昧で恣意的なキーワードから、
莫大なクエリをさばくGoogleの
検索アルゴリズムには、
ウィトゲンシュタインの
言語ゲームの思想が
応用されているそうです。
クリプキ「ウィトゲンシュタインのパラドクス」
ウィトゲンシュタインの思想にも
もちろん批判意見があり、
例えば言語哲学者ソール・クリプキは
ルール懐疑主義によって
ウィトゲンシュタインの
言語ゲーム論を批判しています
ウィトゲンシュタインが影響を受けた思想
ウィトゲンシュタインの師であり友人。
論理哲学論考は、ラッセルやフレーゲの
論理学の影響が強く現れています。
ショウペンハウエル
姉の勧めで「意思の表層としての世界」
を読み、影響を受けました。
戦場でトルストイの福音書を愛読し、
周囲から「福音書の男」と
あだ名されたそうです。
1919年、フロイトの著書を読んだ
ウィトゲンシュタインは、
「フロイトの弟子」を自称するほど
その思想を高く評価しています。
ちゃんと学びたい人向けの参考書籍
この記事を書く上で
参考になった書籍をご紹介します。
はじめての言語ゲーム

- 作者: 橋爪大三郎
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言語ゲームの解説をメインに、
論理哲学論考やウィトゲンシュタインの
生涯までカバーした一冊。
柔らかい語り口調が特徴で、
読み物としても面白く、初学者の私でも
楽しみながら読み進めることができました。
難解な思想を簡単な例で解説しており、
入門書としてもおすすめです。
ウィトゲンシュタイン入門

- 作者: 永井均
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いちばんやさしい哲学の本

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論理哲学論考

- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
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哲学探求

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ロジ・コミックス

ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本)
- 作者: アポストロスドクシアディス,クリストスパパディミトリウ,アレコスパパダトス,アニーディ・ドンナ,高村夏輝,Apostolos Doxiadis,Annie di Donna,Christos H. Papadimitriou,Alecos Papadatos,松本剛史
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バートランド・ラッセルの
生涯とその思想を漫画化した作品。
主人公はラッセルですが、
弟子のウィトゲンシュタインもその変人ぶりが作中で大きく
クローズアップされています。
- ウィトゲンシュタインは何を考えた?
- ウィトゲンシュタインの生い立ち
- 幼少時は音楽の天才?
- 工学への興味とラッセルへの弟子入り
- ウィトゲンシュタインは戦場へ行った
- 全ての問題は解決した!? 論理哲学論考の出版
- 論考の主題は写像理論
- 世界は成立していることがらの総体である
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- 語りえぬものについては、沈黙せねばならない
- 哲学探求と言語ゲーム
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- 言葉はなぜ意味を持つか
- 言葉が"分かる"とは?
- 世界は言語ゲームに満ちている
- ウィトゲンシュタインが後世に与えた影響
- ウィーン学団
- クリプキ「ウィトゲンシュタインのパラドクス」
- ウィトゲンシュタインが影響を受けた思想
- ちゃんと学びたい人向けの参考書籍
- はじめての言語ゲーム
- ウィトゲンシュタイン入門
- いちばんやさしい哲学の本
- 論理哲学論考
- 哲学探求
- ロジ・コミックス
- 参考サイト
参考サイト
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - Wikipedia
Wittgenstein und Triebfrügel
http://semi.natura-humana.net/2003/contents/genzemi/bunken/haru-makuro/witogen/index.html
さいごに
ウィトゲンシュタインの思想は難解ですが、
私自身、ウィトゲンシュタインの取り組んだテーマに
共感できる部分も多く、また、
豊富で素晴らしい解説書の助けもあって
楽しみながらその世界に触れることができました。
人と会話するAIが研究され、
ネットやSNSの発展で、ことばの重要性が
高まる一方の現代だからこそ、
ことばの性質を考え抜いた
ウィトゲンシュタインの思想から
学ぶところは多いように思います。