小学生でもわかる『一度死んだ文字』ヒエログリフ解読までの歴史

シャンポリオンの肖像画教養

初めに

考えてみてください。
もしあなたが英語でもフランス語でも中国語でも
なんでも良いのですが何か新しい言葉を勉強しようと思ったらどうしますか?

きっと多くの人はすでにその言葉を知っている人に教えてもらうか、
もしくはその言葉について解説した教科書を読んで学ぶなどするかと思います。

でも、もしその言葉がこの世の誰も読めない
謎の文字だったらどうすれば良いのでしょうか?

言葉があるということは
誰かが書いたのだから、その人に聞けばいい?

では、その書いた人が
ずーっと大昔に死んでしまっていたら?

今回取り上げるヒエログリフもまさにそのような
『誰も読むことも話すこともできない忘れられた言葉』()()()

どのくらいの間忘れられていたかというと、
その期間はなんと1000年以上!

ヒエログリフは石に刻まれていたから
文字としてはずっと残っていたけれど
誰も読める人がいないという状態が
実に1000年以上も続いていたわけですね。

しかし、今私が『忘れられた言葉"でした"』と書いたことからも分かる様に
このヒエログリフは今ではその文字が何を意味しているのかはもちろん、
声に出して読んだ時の発音すらほぼ正確に特定されています。

この世の誰も答えを知らない謎を
一体誰が解いたのか。

今日お話しするのは、そんな
果てしない古代の謎に挑んだ勇気ある学者たちの
150年に及ぶ挑戦と挫折と情熱の物語なのです。

そもそもヒエログリフとは?いつ誰が使ってたの?

ヒエログリフの解読法についてお話しする前に、
まずはヒエログリフの基本知識をおさらいしておきましょう。

ヒエログリフとは大昔のエジプトで使われていた文字の一種で、
遺跡から出土した陶器のかけら(ナルメルのパレット)に刻まれていたことから
大体紀元前3000年から紀元400年ごろにかけて
主に神殿やお墓に文字を刻む目的で使われていたことがわかっています。

刻まれたヒエログリフ

刻まれたヒエログリフ

文字の見た目は人や鳥や牛や亜麻糸、枝など
当時の人々の身近なものをかたどった絵文字風の楽しげな見た目をしています。

ところが実はこの絵文字風の見た目こそが
長らくヒエログリフの正確な解読を阻んでいた
最大の要因だったりするのです…(詳細は後述)

ヒエログリフには兄弟がいた!

古代エジプトの文字として、
おそらくその名を最もよく知られているヒエログリフですが、
古代エジプトではヒエログリフの他に
ヒエラティック(神官文字)デモティック(民衆文字)
2種類の文字が使われていたことがわかっています。

ヒエラティック

ヒエラティック

デモティック

デモティック

ヒエラティックとデモティックはどちらも
ヒエログリフを簡略化した文字なのですが、
デモティックの方が後から成立した言葉であり、
ヒエラティックをより簡単にした言葉として
紀元前600年ごろからヒエラティックに取って代わる様になりました。

ヒエログリフ(聖刻文字)はファラオを讃える神殿や
石碑に刻まれるために作られた格式の高い書体であり、
例えば庶民が日記を書いたり
商売の記録をつけたりするような普段使いには向かなかったので、
こうした使いやすい文字が必要になったんですね。

ヒエログリフとヒエラティック、デモティックは
見た目は違えどそれぞれ本質的には同じ文字であり、
日本語で例えるなら漢字の楷書、行書、草書のような関係にあります。

どうしてヒエログリフは使われなくなってしまったの?

3000年以上もの間使われ続けた
ヒエログリフとその兄弟文字ですが、
四世紀を境として急に使われなくなっていきます。

その理由は四世紀末に台頭したキリスト教が、
異教徒の信仰を断つべくヒエログリフを含む
エジプト文字の使用を禁止したからでした。

それまでの文字を禁じられたエジプトでは
代わりに当時の東ローマ帝国の公用語である
ギリシア語の影響を強く受けたコプト文字とコプト語が使われるようになり、
さらにそのコプト文字(語)も11世紀にはアラビア語に取って代わられています。

ちなみにアラビア語は現在でもバリバリ現役で、
一方のコプト語は日常的には使われていませんが
古い教本などには一部残っており、読み方や発音もわかっています。

コプト・エジプト語(上)とアラビア語(下)で書かれた碑文

コプト・エジプト語(上)とアラビア語(下)で書かれた碑文

それからヒエログリフはどうなったの?

4世紀以降長らく人々の記憶から
忘れ去られていたヒエログリフが再び注目を集めたのは16世紀の後半、
当時の教皇シクストゥス五世がローマに建設させた新しい道路網の交差点ごとに
エジプトから運ばれてきた、ヒエログリフが刻まれたオベリスクが建てられたことがきっかけでした。

1000年間、人々の記憶から忘れられていた
この文字を目にした当時の学者たちは
その意味を解読しようとしましたが
彼らの試みがうまくいくことはありませんでした。

その最大の原因は、彼らが揃ってヒエログリフを
表意文字だと考えていたことでした。

表意文字とはその名の通り
文字自体がなんらかの"意味"を"表す"文字であり、
例えば漢字は一つ一つの文字が
例えば「人」、「山」、「空」などのように
何かの意味を表す典型的な表意文字です。

一方で表音文字というのもあり、
こちらはアルファベットや仮名もじのように
文字が意味ではなく個別の発音を表す文字が分類されます。

ここで試しに一つのヒエログリフを見てみましょう。

ハゲワシのヒエログリフ

上記のヒエログリフはエジプトハゲワシを象ったもので、
実際にはアルファベットのa(ア)の音価に相当する文字です。

しかし当時の学者たちは
その如何にも絵文字的な見た目に惑わされて
このヒエログリフがワシという生き物が象徴する
「速さ」のような概念を表現しているんじゃないか
などといった風に誤解してしまったんですね。

そんなふうに解読のスタート地点で既に大きな過ちを犯していたわけで、
彼らの解読がうまくいかなかったのも当然と言えば当然なのですが、
しかしそれは私たちがヒエログリフが(概ね)表音文字であるということを
あらかじめ知っているから言えることに過ぎません。

もし仮に現代の私たちが前知識なしに
当時の学者たちが同じ条件で解読に挑んだならば、
たぶん1000人中999人くらいは
ヒエログリフのを表意文字的に解読しようとするはずでしょうから
彼らのことを責めることは(少なくとも私には)できません。

また、17世紀にはドイツの学者で
地質学、医学などに多大な貢献をして広く尊敬されていた
アタナシウス・キルヒャーという人が
ヒエログリフをやはり表意文字的に翻訳した、
今から見れば相当に出鱈目な辞書を出版しており、
このことが「あの偉い先生が言うのだから間違いない」的に
「ヒエログリフ=表意文字」の固定観念を
より強固に学会に植え付けていたという事情もありました。

アタナシウス・キルヒャー

アタナシウス・キルヒャー(1602 - 1680)

こうしてもはや誰にも覆しようが無くなったように思えた
ヒエログリフ表意文字説でしたが、
しかし、キルヒャーからおよそ100年後の18世紀に入ると
あの世界一有名な"石板"の発見に伴って
ヒエログリフ解読の風向きも大きく変わり始めることとなります…

解読の大ヒント、ロゼッタストーンの発見

1798年、「吾輩の辞書に不可能はない」で有名なあのナポレオンが
エジプトに侵略軍を派遣し、
続いて文化的な調査のために歴史家、科学者、画家らの一団を派遣します。

そんな中、ナイルデルタにある
ロゼッタという街の要塞に駐屯していた兵士たちが
ギリシャ文字、デモティック、ヒエログリフの
三種類の文字が刻まれた奇妙な石板を発見します。

後にロゼッタストーンと呼ばれることになったこの石板が
ヒエログリフの解読にとって重要な存在となった最大の理由は
そこにギリシャ語、デモティック、ヒエログリフの3つの言葉で
同じ内容の文章が書かれていたことでした。

大英博物館で展示されているロゼッタ・ストーン

大英博物館で展示されているロゼッタ・ストーン。最上段に神聖文字(ヒエログリフ)、中央の段に民衆文字(デモティック)、最下段にギリシア文字がそれぞれ刻まれている。

つまり、比較的容易に読めるギリシャ語部分の内容を、
デモティック、ヒエログリフの表記部分と比較することによって
失われた文字の意味を解き明かす手がかりとすることが期待できたわけですね。

そして、紆余曲折経て最終的に
イギリスの大英博物館に収められたこのロゼッタストーンの存在こそが
後にヒエログリフ解読に大きな貢献を果たす天才たちを
掻き立てる原動力となったのです。

第一の天才、トマス・ヤング登場

フランス軍によるロゼッタストーンの発見は、
ある一人の英国人学者の好奇心を刺激しました。

その男の名はトマス・ヤング(1773 - 1829)。

トマス・ヤングのポートレート

トマス・ヤング(Thomas Young, 1773年6月13日 - 1829年5月10日)

イギリスの物理学者である彼は
わずか二歳で本をスラスラと読み
十四歳になる頃にはラテン語、フランス語、イタリア語、
ヘブライ語、カルデア語、シリア語、サマリア語、アラビア語、
ペルシャ語、トルコ語、エチオピア語を学び終えたほどの天才でした。

ある時ロゼッタストーンの話を耳にしたヤングは
たちまちこの問題に心を奪われ、
その写しを入手すると解読に挑みます。

解読にあたってヤングが注目したのは
ヒエログリフの中にいくつかある
輪っか(カルトゥ-シュ)で囲まれた文字でした。

単語がカルトゥ-シュで囲まれているのは
それが何か重要な単語だからではないかと推測したヤングは
ギリシャ語部分との比較の結果、
それがプトレマイオスというファラオの名前を示す単語ではないかという目星をつけます。

またヤングは同時期に
テーベのカルナック神殿の碑文の写しも入手しており、
同じくカルトゥ-シュに注目するやり方で
今度はプトレマイオス一世ソテルの妃、
ベレニケの名前に相当するヒエログリフをも探りあてます。

そして、ここからがさらに凄いのですが、
ヤングはこうして得た情報に
「ファラオのように重要な人名の発音は
言語が変わっても大きな違いはないだろう」
という推理を加え、
ヒエログリフの各単語に対応する音価を推理して見せたのです。

ヤングが行ったプトレマイオスのカルトゥーシュの解読の正誤表

ヤングが行ったプトレマイオスのカルトゥーシュの解読の正誤表。大部分の音価を正しく推理していたことが分かる。

この時ヤングが当てはめた音価は
現在わかっている正解と比べても約半分は正しく、
残り四分の一もほぼ正解と言って良い正確さであり、
このまま行けばヤングの研究は
ヒエログリフ表意文字説を覆すものとなるはずでした。

しかしヤングはここでピタリと解読をやめてしまいます。

その理由は第一に次々に興味の対象が移り変わる
ヤングの飽きっぽい性格にあり、
第二には彼がヒエログリフ表意文字説の大御所である
キルヒャーの説に説に心酔していたことがありました。

そのため自分の成し遂げた大発見に対しても
プトレマイオス朝がアレクサンドロス大王の将軍の一人ラゴスの子孫であり、
よってプトレマイオスの名前がエジプトからすれば外国人の名前(=外来語)だから
例外的にヒエログリフを表音的に書いたのだろうと言い繕って
せっかく開きかけたヒエログリフ攻略の扉を自らの手で閉ざしてしまったのです。

真実に最も近づいた男が退場してしまった今、
もはやヒエログリフ解読の可能性は断たれてしまったのか…

そう思われた矢先、ヤングの研究を受け継ぐべく名乗りを挙げたのは
皮肉にもイギリスがロゼッタストーンを取り上げた相手である
フランスに住む一人の若き言語学者でした。

第二の天才にして真打、シャンポリオンの登場

ヤングがヒエログリフへの関心を失いつつあった1820年代、
フランスでは一人の若き言語学者が
ヤングのアイディアをさらなる段階に発展させる準備に取り掛かっていました。

その人物の名前はジャン=フランソワ・シャンポリオン。

シャンポリオンの肖像画

この時まだ二十代後半の若さだったシャンポリオンは
しかしヤングに負けず劣らぬ天才であり、
過去にはファラオ統治下のエジプトに関する革新的な論文を発表して
十代の若さで教授に推挙された実績もあるほどの頭脳の持ち主でした。

そんなシャンポリオンがヒエログリフと出会ったのは彼が十歳の頃。

縁あって数学者ジョゼフ・フーリエから
エジプト文物のコレクションを見せてもらったシャンポリオン少年は
その多くを装飾する奇妙な文字が
まだ誰にも解読されていない未知の文字だと聞かされ、
いつか必ず自分がその文字の謎を解いてやろうと心に誓ったのです。

以来、世界中のさまざまな言語を学び
ヒエログリフ攻略の武器を集めていたシャンポリオンは
ヤングの研究成果を知ると、
そのアプローチを他のカルトゥーシュにも当てはめるという試みに取り組みます。

プトレマイオスとクレオパトラの名が刻まれた、
ロゼッタストーンとはまた別のオベリスクの写しを手に入れたシャンポリオンは
どうにかして個々のヒエログリフに音価を当てはめ、
その結果両者の名前に共通する幾つかの音に同じヒエログリフが対応していることを発見。
自分の試みが正しい方向に向かっているらしいことを確信し自信をつけます。

続いてシャンポリオンはこれまでに得られた
仮の音価をまだ不明だった他の部分にも代入してみました。

すると、a-l-?-s-e-?-t-r-?という文字列が出現し、
彼はこれがかの有名なアレクサンドロス(Alexander)
の名を表しているのではないかと直観します。

こうして新たな発見を得たシャンポリオンでしたが
しかしここまでに出てきた人名は全て
伝統的なエジプト名ではない外国人の名前ばかり。

これだけではヤングが唱えた
「ヒエログリフは外来語のみ表音文字説」
を打破する証拠にはなりえません。

そこで次にシャンポリオンが目をつけたのは
ギリシャ・ローマ時代よりさらに古い時代のカルトゥーシュを含む
アブシンベル神殿の碑文拓本でした。

シャンポリオンは伝統的なエジプトの人名が含まれる
このヒエログリフもまた表音的に記されていることを証明することで
ヤングの説を乗り越えられると考えたのです。

アブシンベルのヒエログリフに対しても
これまでに仮定した音価の当てはめを行ったシャンポリオンは
その中のある特徴的なカルトゥーシュに着目します。

シャンポリオンが注目したカルトゥーシュ

シャンポリオンが注目したカルトゥーシュ

アレクサンロスのカルトゥーシュから
最後の連続する二文字がであるとわかっていたシャンポリオンは
まず暫定的な訳文を出し(?-?-s-s)
続いて残るに文字が何の音に相当するかを考えました。

そしてこの時、
シャンポリオンの脳裏に歴史を変える
ある天才的なアイディアが閃いたのです。

「この「◎」って
もしかしたら太陽の絵文字なんじゃあないのか!?」

「…そして太陽はコプト語では…ラー(ra)」

「仮にもし、この◎がraだったとしたら…」

「あっ…(察し)」

これだけでは何のことやらと思うので順番に説明すると、
まず◎が絵文字ではないかというのは
ヒエログリフがやっぱり表意文字だったということではなく、
私たち日本人に馴染みのある例で言えば江戸時代の判じ絵のように
文章の一部を絵に置き換える言葉遊びのようなスタイルで書かれているということです。

次にコプト語というのは最初の方でも少し触れた
ヒエログリフとはまた別の古いエジプトの言語のことですが、
実はシャンポリオンはこのコプト語のことも勉強して熟知していたのです。

そして、別の言葉とはいえ同じ時代に併存していたこともある
ヒエログリフとコプト語の間には強い繋がりがあると考えていたシャンポリオンは※
その持ち前の知識もあってヒエログリフでも太陽の呼び名がコプト語と同じ「ラー」ではないかと考えたのでした。
(※実際にヒエログリフとコプト語の間には語順などに多くの共通点があります)

そしてここまでの推測を踏まえて
先のカルトゥーシュを補足した結果得られたのが次の文章でした。

ra-?-s-s

この形に当てはまる
同時代のファラオといえばただ一人…

ラムセス(ramss)!!

文句なく伝統的なエジプト名であるラムセスの名が
表音的に綴られていることが証明されたこの瞬間、
キルヒャー以来150年越しの呪縛は解かれ、
ヒエログリフ解読の最大の関門は崩れ去ったのでした。

若干32歳で人類史にも残る偉大な成果を得たシャンポリオンは、
ラムセスの名が出現した直後、兄の職場に駆け込むと
感激のあまりその場で卒倒してしまったと記録されています。

人生の多くを古代文字に捧げたシャンポリオンの
情熱的な性格を示す、なんとも微笑ましいエピソードですね。

ヒエログリフ解読のその後

シャンポリオンによる"ラムセス"のカルトゥーシュの解読は
ヒエログリフが持つ次の四つの基本原理を明らかにしました。

  • 原理1 : ヒエログリフの言語はコプト語と関係があること
  • 原理2 : いくつかの単語に対しては表意文字も使用されること
  • 原理3 : 長い単語の一部に絵文字が使用される場合があること
  • 原理4 : ヒエログリフの大部分が表音的に書かれていること

特に原理4は重要で、それまでの定説を覆す、
まさにコペルニクス的転回と言って良い大発見でした。

そして1824年、三十四歳になったシャンポリオンは
それまでの研究成果をまとめた『ヒエログリフの体系概説』を満を辞して出版します。

古今東西の偉い学者が揃って表意文字説を支持する中、
彗星の如く現れた無名の若手研究者が
いきなり全てをひっくり返す
ブレークスルーを成し遂げたというのだからもう大変。

偉い先生も両手をあげて自分達の間違いを認め、
シャンポリオンの仕事を称賛します。

偉大な天才、シャンポリオン万歳!

万歳

ばんざーい

…となったのかといえば
そうは上手くいかないのが
現実というやつの難しいところでして…

批判されるシャンポリオン

シャンポリオンが発表した渾身の研究成果は
しかし彼自身の学会内での若さゆえの立場の弱さや
他の学者からの嫉妬によってそれから何年もの間
正しく評価されることはありませんでした。

そして、彼を批判した人々の中でも
特に苛烈な批判を行ったのが
他の誰でもない、あのトマス・ヤングでした。

ヤングはシャンポリオンの説は認めつつも、
自分の方が先にその結論に達していたんだと愚痴ったり、
あるいはシャンポリオンの仕事が単に自分の仕事の
隙間を埋めただけのものでしかないと批判したのです。

ちなみにヤングがこれほどの憎悪をシャンポリオンに向けたのは
シャンポリオンが彼に謝辞を記さなかったことが原因とされているそうです。

ヤングの元々の性格的な問題もあったのかもしれませんが、
もしシャンポリオンがそのあたりをもう少し気遣っていたら
ヤングだってこうまでは批判しなかったかもしれないと思うと
人間関係の怖さ難しさはどの時代どの場所でも変わらないと
つくづく感じ入ってしまいますね。

シャンポリオンのその後

革命的な偉業を成し遂げつつも
それを正当に認められないという悲劇を味わったシャンポリオンでしたが、
1828年には念願だった一年半に及ぶエジプト調査旅行を実現します。

人生の大部分をささげながらも
それまで写しでしか見られなかったヒエログリフを
初めて生で見られる機会を得られたのだから、
きっとそれは途轍もない感動の体験だったでしょうね。

ところがこの旅行から3年後、
彼の情熱的な性格が日頃から心臓に負担を与えていたのか
シャンポリオンは突然酷い心臓発作に倒れ
そのまま帰らぬ人となってしまいます。

かくして四十一歳という短い生涯を終えたシャンポリオンでしたが
彼の研究はその後も多くの学者の手によって洗練され、
特に19世紀ドイツのエジプト学者カール・リヒャルト・レプシウスは
シャンポリオンの学説の不備を修正しつつもその主張を強化し、
現代につながる古代エジプト学の基礎を完成させています。

太く短い波瀾万丈の人生を送ったシャンポリオン。

彼の名はヒエログリフの如く歴史の神殿に深く刻まれ
これからも末永く人々の記憶に残り続けていくことでしょう。

終わりに

以上です。

ヒエログリフ解読の解説というテーマでしたが、
半分くらいはシャンポリオンの話でした。

歴史的なことを調べるときは、
無味乾燥な年表や事実を並べるよりも
人を軸に見ていった方が面白いし飽きないので
どうしてもこういうふうになりがちですね(笑)

ちなみに本記事の内容はほぼほぼ
「暗号解読(サイモン・シン著)」のヒエログリフの章を
多少改変しただけのものですので、
もしこれを読んで面白いと感じたなら
そちらの方も読まれることを強くお勧めします。

ヒエログリフ以外にも線文字Bの解読や
対戦中ドイツのエニグマ暗号の解読、
変わったところだとRSA鍵暗号の話なんかの話も載っててめちゃくちゃ面白いですよ。

文字を入れ換える。表を使う。古代ギリシャの昔から、人は秘密を守るため暗号を考案してはそれを破ってきた。密書を解読され処刑された女王。莫大な宝をいまも守る謎の暗号文。鉄仮面の正体を記した文書の解読秘話……。カエサル暗号から未来の量子暗号に到る暗号の進化史を、『フェルマーの最終定理』の著者が豊富なエピソードとともに描き出す。知的興奮に満ちた、天才たちのドラマ!

というかこの著者の描いた本は
難しい学術的なテーマを
誰でもわかりやす用に面白く説明していて
どれを読んでもずば抜けて面白い。
まだ読んでない人は是非。

タイトルとURLをコピーしました