アニメの放映が秒読み段階に入った感のある
ジョジョの奇妙な冒険 第六部 ストーンオーシャン。
私がこの部を初めて読んだのは中学三年生のころ。
当時まだ5部までしかコミックスを持っていなかった私は
その頃のオタク仲間の中でも筋金入りのオタクだった
N君の家で自分で買うより先に読ませてもらったのだったが、
当時の正直な感想は
「勢いはすごいけど全体的に意味わからん!」というものであった。
中でも特に"意味わからん"と思ったのがラストの一連の展開だ。
なんで時間が加速すると全ての人間が未来が見えるようになるんだろう?
なんで徐倫でも承太郎でもなくエンポリオ少年を生き残らせたんだろう?
なんで最後の台詞をエンポリオの自己紹介にしたんだろう?
こうした疑問の中には、
今でもよくわかっていないものもあれば、
時間を経て自分なりに合点が入ったものもある。
そして本日は、後者の合点が入ったものの中でも
特に六部のストーリーの根幹にも関わっている
プッチの目指した「天国」について、
私なりのまとめとちょっとした考察を試みてみたいと思う。
ジョジョ六部で描かれた『天国』についてのおさらい
考察を始めるにあたって、まずはオリジナルである
ジョジョの奇妙な冒険六部 ストーンオーシャンで
プッチが『天国』が完成させるまでに辿った道のりを振り返ってみよう。
- 天国に行く方法の発案者はDIO。
DIOはそれをノートに書き記していたが
DIOを倒した承太郎が自身の判断で焼却しこの世から抹消していた。 - 生前にDIOから天国に行く方法についての話を聞かされていたプッチは
娘の徐倫を利用した罠によって承太郎から記憶のDISCを奪うことに成功。
DISCの中身を読んで天国に行く方法の詳細を知る。
(DIOの死からこの時点までに20年以上が経過している) - 徐倫たちの妨害に遭いつつも
天国に行く方法を最後まで実行したプッチは
ケープ・カナラベルにて天国に行くために必要な
スタンド能力であるメイド・イン・ヘブンを完成させる。 - メイド・イン・ヘブンが持つ時間加速能力によって
全ての生物を除く全宇宙の寿命が尽き、新しい宇宙が誕生する(宇宙の一巡)。
宇宙の誕生から終焉までを経験した全ての生物は
自分にいつ何が起きるかを知っている強制的な未来予知のような状態になる。 - 自分がいつ病気になるか、いつ死ぬかといったことまで
全て知ってしまうことは
多くの人にとって恐怖であり辛いことだが、
(プッチの理屈によれば)人間は恐怖を知ることで「覚悟」ができ、
さらに「覚悟」は恐怖を吹き飛ばすので結果的には(プッチの理屈によれば)幸福になる。 - ただしプッチ神父だけは他の人間とは違い
自分が関わるものの運命を変えることができる。
つまり、プッチこそがこの天国の神である。
作中でプッチは概ねこのような手順で天国を完成させた。
しかし作中の描写を見る限り、この天国とやらは
私からすればむしろ地獄にしか思えない。
なぜなら今後の人生の結果が全てわかっているということは
つまり何をどう頑張ろうと結果が変わらないということを意味し、
そんな世界では将来をより良くするために頑張ろうとか、
明日は何か良いことが起こるかもしれないという
ささやかな希望すら持つことができないだろう。
また、全ての人がプッチがいうように覚悟を持って
自分に必ず起こるであろう辛い運命を
耐えられるとは到底思えないという問題もある。
そして、そんな世界の中でプッチだけが
自由に運命を操作できる特権を持てるというのだから、
どんな綺麗事で飾ろうともこれはもう独善と
その押し付け以外の何者でもないだろう。
スタンドは本人の精神を反映するという原則があり、
また後述する別のある人物が到達した『天国』が
結果は同じであれ異なる方法によるものであったことからも
プッチ版の天国はプッチ神父の、
作中のウェザーの言葉を借りるなら『ドス黒い邪悪な』
本性が色濃く反映された結果の産物だったのではないかと私は思う。
なぜプッチは天国を目指したのか?
一般的な感覚からすると理解が難しい
プッチの『覚悟=幸福理論』だが、
この理論が誕生した背景には
プッチ自身のある個人的体験が存在する。
既読の方はご存知だと思うが、
プッチの妹ペルラにまつわる悲劇の経験だ。
ここでその詳細を語るのは控えておくが、
話の骨子としては神学生時代のプッチが
妹のペルラの幸福を思って取ったある行動が、
運命の悪戯で拗れに拗れて最終的に
ペルラの死を引き起こしてしまったという悲劇の物語だった。
程度の差こそあれ、生きている限り
誰もがこういう理不尽な運命に遭う可能性があり、
多くの人はどこかの時点でそれも運命だと受け入れて
過去との折り合いをつけていくものだが、
しかしプッチの場合は事件の衝撃が強すぎたのか、
あるいは生来の性格ゆえかそうすることをせず、
逆に先述した天国理論へと深く傾倒していくこととなった。
そして、そんなプッチに具体的な手段を与えたのがDIOであり、
この二つのピースが揃ったことで
初めて『天国』の実現に至る下地が揃ったと言えるだろう。
つまり、なぜプッチは天国を目指したのか?という問いの答えは
「ペルラの死の経験があったから」そして「DIOと出会ったから」ということだ。
小説『JOJO'S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVEN』に見る天国の描写
活躍中の若手小説家がジョジョの小説化に挑むという触れ込みで始まった
一連のジョジョのスピンオフ小説化プロジェクト『VS JOJO』の第2弾として
2011年12月21日に刊行された
『JOJO'S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVE』(著:西尾維新)は、
『承太郎によって焼却された、天国に行く方法を記したDIOのノートの小説化』
というまさしく今回の記事に合致した題材で書かれた作品だ。
公式とはいえあくまでも二次創作ではあるので、
これを正史ととらえるかどうかは読み手次第ではあるのだが、
それを差し引いてもこの小説からは
原作で描かれなかった天国のディティールについて
いくつかの興味深い視点を得ることができる。
DIOが天国にこだわったのは母親の遺言があったから
プッチの回想において随分久々に描かれたと思ったら
「天国に行く方法があるかもしれない」などという
三部以前の唯我独尊の帝王然としたイメージからは
全く結びつかない宗教的な発言をどことなくフーゴっぽい顔で繰り返すDIOに
その場面を初めて読んだ当時の私はずいぶん違和感を感じたものだったが、
本書ではDIOがそのような考えを持つに至った背景に
DIOの母親のある口癖の影響があったとする解釈を採用している。
「ディオ。何があろうと気高く、誇り高く生きるのよ。そうすればきっと、天国に行けるわ」
わたしにそう教え続けた母親は、果たして天国に行けたのだろうか。確かに彼女はどん底の暮らしの中でもあくまで気位を持ち、誇りを失うことなく生きていたけれど、しかしだからと言って必ずしもそれで、それだけのことで、いやむしろそれだからこそ、彼女が天国への切符を得られたとは思えない。
わたしには思えない。
彼女は気高く、誇り高く、そして清く正しく美しく、さながら女神のようでもあったが、しかし同時に、どうしようもなく愚かな女だった。
ディオの母親は原作には直接登場しておらず、
1部の開始時点には既に亡くなっていたが、
少年時代のディオが父のダリオから
母親の遺品の服を売って酒代にしろと命令された際に
ダリオに対して明確な殺意を抱いた描写があり、
そのことからディオが母親に対して
強い思い入れがあったであろうことが示唆されていた。
あのDIOが100年以上経っても
母親の言葉に影響されているというのは意外だが、
私的にはこれは肉体は人間でなくなっても
心には人間的なものが残っているという意味で
キャラに深みを与える一つの面白い解釈だと思った。
天国に行くために罪人の魂が必要だった理由
原作ではプッチ神父が天国に行く方法を実行する過程で
36人の罪人の魂が必要であるとしてGDS刑務所の
受刑者36人を生贄に捧げていたが、本書ではその理由について
悪人の魂には善人のそれより強いパワーが宿っており、
また実際のところ悪人こそが(善人よりも)
天国に行きたいと願っているからだと
筆記を通じてDIOに語らせている。
理屈的には親鸞の悪人正機説と同じようなものだろうか。
『覚悟した者=幸福』理論が誕生したのはボインゴのおかげ
六部でプッチの思想の柱となっていた『覚悟した者=幸福』だが、
それはもともとDIOの思想であり、
さらにDIOがそう考えるようになった背景には
DIOの手下の一人であるボインゴと
そのスタンド能力の存在があったと本書は書いている。
ボインゴのスタンド能力トト神は
漫画の形式で少し先の未来を知ることができるというものだが、
一度漫画に書かれた未来はどうやっても覆すことができず、
極端な話漫画の中でボインゴの死が予言されたならば
ボインゴに出来ることはその予知を粛々と受け入れて
それこそ覚悟を決めることくらいしかない。
(予知に無理に逆らおうとすると余計ひどい目にあう)
普通の感覚で考えれば悪い結果を避けられないなら
未来予知の意味がないじゃないかと思うし、
DIOも「もし自分が死ぬ予言が出たらどうするのだ」と
作中でボインゴに問いかけているのだが、
この問いに対しボインゴは毅然とした態度で次のように返している。
たとえ避けられない悲劇が自分の前にたちはだかっていたとしても――
それを知っていれば「覚悟」することができます
この予想外の答えに感銘を受けたDIOは
たとえ過酷な運命でも『覚悟』があれば乗り越えられる
という理論を練り上げ、ひいてはそれが
日記を通じてプッチへと伝わり
結果的に六部の物語が動き出すきっかけにもなった
というのがすなわち本書の示す『天国理論』誕生秘話の全容だ。
風が吹けば桶屋が儲かるではないが、
この解釈を採用するなら
ボインゴがDIOの部下になっていなければ
宇宙が一巡することもなかったわけであり、
このことは原作でボインゴが特に重要でもない
道中の敵キャラの一人にすぎないことを知っている身からすると
面白いところを繋げてきたなぁと思わされる次第であったりする。
ゲーム ジョジョの奇妙な冒険 アイズオブヘブンに見る天国の描写
小説OVER HEAVENから4年後の
2015年12月17日にPS4及びPS3向けに発売された
アクションゲーム『ジョジョの奇妙な冒険 アイズオブヘブン(以下EoH)』。
ASBで(方法に疑問はあれど)
ミリオンヒットを達成したCC2とバンナムのタッグが
3年のブランクを経て
再びジョジョを題材に世に送り出したこのゲームは
対戦格闘からタッグアクションへの
大胆なゲームジャンルの変更もそうだが、
このゲームのために新たに書き下ろされた
一部から八部までのキャラクターが総出演する
オリジナルのストーリーモードの実装という
なかなかに冒険的な試みを行なった作品だった。
そして、そのストーリーモードの主軸になったものこそが、
プッチが代行者として実現させたものではない、
DIOが目指したオリジナルの『天国』だったのだ。
天国に到達したDIOとザ・ワールド・オーバーヘヴンについて
EoHのストーリーの中でも今回の考察で重要なのは
最後の最後にラスボスとして登場する
『天国に到達したDIO(以下 天国DIO)』の存在だ。
承太郎に敗北した基本世界とは別の並行世界のDIOが
天国へ行く方法を実行し、真実を書き換えるスタンド
『ザ・ワールド・オーバーヘヴン』に目覚めたのが
この天国DIOであり、本作のストーリーはこの天国DIOが
ジョニィのACT4から逃げていた最中のヴァレンタイン大統領と出会い、
その次元間を移動する能力を利用して
基本世界への侵略を企てたことから始まっている。
このように本作では
ザ・ワールド・オーバーヘヴンこそが
DIOの目指した本来の天国のあるべき姿だったとしているが、
これをプッチのメイド・イン・ヘヴンと比較すると
過程こそ違えど結果としてはどちらも運命(=真実)を
自由に支配する能力になっている点が実に興味深い。
天国DIOの最期は原作のオマージュ
本考察にはあまり関係ないが、
天国DIOの最後についても簡潔に記しておく。
真実を自由に書き換えられる能力を持ち、
ストーリー中ではGERやタスクACT4にすら
正面から打ち勝つという
歴代でも最強クラスのチート能力を持つ
ザ・ワールド・オーバーヘヴンだが、
その最期は同じく真実の書き換え能力に目覚めた承太郎によって倒されるという
三部のラストバトルのオマージュ的なものだった。
もしかすると製作陣は、
あえて原作の展開をなぞることで
オーバーヘヴンを手に入れたDIOも
結局は運命から逃れることはできなかったという
皮肉を描こうとしたのかもしれない。
メタ的な考察
コミックスの著者近影などで
著者自身が度々言及していることでもあるが、
ジョジョでは「人の意思ではどうすることもできない運命と
それでも運命に立ち向かう人間」というテーマが
シリーズを一貫して描かれてきた。
歴代のボスを振り返ってみると、
彼らは「寿命」や「時間」、「運命」など
人間がどれだけ進歩しても乗り越えられないであろう
概念を象徴した能力を有しているが、
それは彼らが1キャラクターとして以上に、
先述した「人間の前に立ちはだかる運命という壁」を
象徴する存在としての役割をも担っているからだと思う。
(昔定説とされていたジョジョのボスのスタンド=時間操作説は
7部のD4Cの登場で破綻している)
プッチのメイド・イン・ヘブンも
その流れを汲むスタンド能力となっているが、
彼が他のボスと比べて特殊なのは
神父という宗教的権威のある職業についていたことだ。
私は別段宗教に詳しいわけではないが、
一般的な知識としてキリスト教神学においては
予定説などに代表されるように運命や自由意志といったものが
古くから重要なテーマとして扱われてきた経緯がある。
(例:神の創造物である人間がなぜ罪をはたらくのか?)
そして著者の荒木先生が
キリスト教系のミッションスクール出身(wikipediaより)であり
またたびたび運命や自由意志についての発言をしていることを合わせて考えると、
天国とは荒木先生なりの運命観や善悪、意思論を
漫画作品を通じて表現するための
舞台装置だったのではなかったかと思う。
ただ、もしその過程が正しいとすると
荒木先生はただでさえ日本人にはなじみの薄い
キリスト教の宗教観に根差した深遠なテーマを
少年誌で展開するという大冒険をしたわけであり、
もしかするとその辺りがまた
六部の分かりづらさに繋がってしまっていた節もあったのかもしれない。
結論
・天国とは自分が運命の支配となること。
・天国を作り出す方法は複数あるが辿り着く結果は同じ
・荒木先生はキリスト教的バックグラウンドに根ざした独自の運命観及び人間観を表現するための舞台装置として天国を描いた
今回の考察を通じて、
原作、メディアミックス作品、そしてメタ的な視点からも
ジョジョにおける『天国』を考察したが、
その中で自分的にも多くの新しい発見があった。
アニメで動きがつくと
また違った部分も見えてくるかと思うので、
六部の放映を首を長くして待ちたいと思う。