ゲームと共に歩んで31年
1991年生まれの私は今年で31歳になる。
記憶が正しければ人生で一番最初に遊んだゲームは
5歳の頃に親に勝ってもらったSFCの
『SUPERボンバーマン ぱにっくボンバーW』という
ガワだけボンバーマンに挿げ替えたぷよぷよみたいなゲームで、
爾来この年になるまでずっとゲームというものから卒業できずに生きてきた。
その年月の間にはSFCからはじまり、
直近であればPS5やswitch、あるいはPCゲーに至るまで
多くのプラットフォームでゲームに触れる機会があり、
ゲームが新しい人間関係を作るきっかけになったこともあれば
逆にゲームが原因で人との縁が切れてしまった事もあった。
そんな生き方が果たして良かったのか悪かったのか
私自身には今でもよくわからないが、
人よりもゲームというものについて向き合う機会が多かったという自負だけはある。
そして本日は、そんな私がこれまでプレイして来た中でも
特に衝撃的だった人生最高のゲームを時系列順に10本に厳選し、
個人的な思い入れたっぷりにご紹介させて頂こうと思う。
趣旨が趣旨だけに、私が自分の好きなゲームについて
くどくど語るだけの誰得記事になることは避けられないとおもうが
もしご興味があればお付き合い頂けると幸いだ。
それでは行ってみよう。
MOTHER2 ギーグの逆襲 (1994年/SFC)
SFC期に爪痕を残した怪作RPG
自分とゲームの関係について述べるなら、
『MOTHER2』は外すことができない。
それくらいの強い影響を受けた作品だった。
MOTHER2の何が衝撃的だったのか?
それは超能力を持った子供たちが世界中を旅して
悪の宇宙人から世界を救うという荒唐無稽な設定であり、
異常なまでの情熱とこだわりを感じるサウンドであり、
糸井重里の言語センスが炸裂したテクストであった。
プレイ当時7歳の子供でも
「このゲームは他とは何かが違うぞ?」と直観させられるものがあった。
ゆるさとシリアスさの絶妙な塩梅。
私が思うMOTHER2というゲームの魅力の一つは
ゆるさとシリアスさの塩梅の絶妙さだ。
ゲームの本筋は世界征服を目論む宇宙人との戦いというどシリアスなものなんだけど、
その事実を主人公に伝えるメッセンジャー役がなぜかハエ(ブンブーン)だったり
そのハエが宇宙人と戦えるくらい強いのに最期は近所のおばさんにシバかれて絶命したりと隙あらばふざけ倒してくる。
この辺りの緩急のセンスというのは他に中々ないもので、
しかも本筋とは無関係のちょっとした部分にも隙あらば小ネタをねじ込んでくる。
例えば、最初のおネットという町である民家のドアをチェックすると
アルプスのしょうじょ◯◯ジ
◯◯のところに なにがくる?
> はい いいえ
みたいな返事が返ってきたりする。
こんなもの、あってもなくても
ストーリーの進行には何ら差しさわりもないのだが
そういった無駄を楽しむ心意気が感じられたことも
私がMOTHER2というゲームに惹かれた大きな要因であったように思う。
変わったゲームを貸してくれたのもまた変わった友達だった。
このように、MOTHER2は個人的にとても思い入れのあるゲームなのだが、
実は私自身が所有していたゲームではない。
当時友人だったTくんと
お互いの手持ちのゲームを"貸し合いっこ"した時に
借りたソフトの中にこのMOTHER2があったのだ。
ちなみに余談だがこのTくん。
幼い頃から変わり者として有名で、
私に「カエルドクター」なる、いたって上品な当ブログでは
とても口外出来ないくらいに過激な遊びを教えてくれた思い出がある。
そんなTくんともいつしか自然と遊ばなくなってしまったが
彼のおかげでMOTHER2と出会うことができたので
それも含めて今でも深く感謝している。
デジモンワールド (1999年/PS)
育成!バトル!冒険!の面白さが詰まった一作。
私の小学生時代の前半に当たる1990年代終盤、
世に出るゲームはすっかり3Dが主流となっていた。
特にNintendo64とPlaystationの両機には思い出深いゲームがたくさんあるのだが、中でも私にとって思い出深いのがこのデジモンワールドだ。
当時、ポケモンに続く二匹目のドジョウとして
タイアップのアニメやカードと共に
子供世代の間で人気を博していたデジモンシリーズを題材としたRPGで、
アニメにも登場したファイル島を舞台に様々なデジモンを育成し、
戦わせることができるというのが最大の売りだった。
さらに本作ではデジモンシリーズの象徴とも言える
進化要素も取り入れられており、
同じデジモンからでも複数の進化先があるという
デジモンならではの特徴がゲーム内でしっかりと再現されている。
あるデジモンがどのデジモンに進化するかという条件については
内部でパラメータやバトル回数など細かく分岐条件が設定されているのだが
子供が普通にプレイしている限りその詳細を知る事は難しく、
それがかえって「次はどんなデジモンに進化するだろう?」というワクワク感を生んでいたし、
友達同士で「あのデジモンに進化させたいなら
ステータスはこれとこれが◯◯以上じゃないとダメなんだよ」みたいに
リアルで攻略情報を教え合う面白さにも繋がっていた。
(今だと小学生でもスマホを持っている時代だけど、こういう口コミ文化はまだ生き残っているのだろうか?)
"デジワー2"の悲劇
ネットで評判を調べても、概ね名作として語られていることの多いデジワーだが、
一方でまるで生き急ぐかのように初代からわずか一年後の
2000年に発売されたデジワー2への風当たりは概ね痛烈だ。
デジワー2はパッケージ裏面では育成!冒険と銘打ち
まるで前作の路線を引き継ぎ進化させたように装いながらも
蓋を開ければ化石みたいな古臭いターン制バトルシステムと
ローグライクもどきの謎ダンジョン要素を引っ提げた、
初代デジワーの面影をカケラも感じさせない謎の物体へと変貌を遂げていて、
それが初代路線を期待したファンの失望と怒りを買ってしまったのだ。
正直、私もこの急激すぎる方針転換には面食らったし、
子供ながらに大人の事情の様なものが透けて見えてしまって
何とも言えない気持ちになったことを覚えている。
それでも一応EDまではきっちり遊んだこともあり、
個人的にはクソゲーとして完全に切り捨てる気持ちにはなれないのだが、
客観的に見ればやはり誉められた内容ではなかったと思う。
不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城! (2000年/N64)
不思議なダンジョンシリーズの雄、N64に見参。
あなたは『不思議なダンジョン』シリーズをご存知だろうか?
ローグライクから派生したこのシリーズは、
潜るたびに地形やアイテムの配置が変わるダンジョン、
奥深い戦略性を備えたターン制システム、
そして死ねばそれまで得た全てが失われるという緊張感から
コアゲーマーを中心にかつては広い支持を集めたゲームの1ジャンルだ。
風来のシレンはそんな不思議なダンジョンの古参タイトルの一つであり、
今回取り上げる風来のシレン2はその中から分かる通り、
シリーズの正式なナンバリング作品にあたる。
(ちなみに2と題しているが正確にはシリーズ2作目ではない)
私がこのシレン2と出会ったのは9歳の頃。
当時このゲームの主人公が急流をイカダで降るCMが放映されており、
それをみて面白そうだと感じて購入してもらったのが馴れ初めだった。
人生で一番最初に中毒になったのは、酒でもギャンブルでもなくゲームだった。
不思議なダンジョンシリーズについて語るにあたって、
外すことができないのがその中毒性の高さだ。
まず、不思議なダンジョンは入るたびに
地形も敵の配置も落ちているアイテムも変わるので
何百回挑戦しても原則的に同じ冒険というのは一つとしてない。
運が良ければ初手で超強力な装備品が拾えるかもしれないし、
運が悪ければ10階以上進んでもろくな装備が手に入らないこともある。
しかし、そのアンバランスさこそが射幸心をあおる一層の媒介となって
ついつい「次こそは」とプレイを繰り返してしまうのだ。
また、不思議なダンジョンというジャンルは先述したように
挑戦中に死んでしまうと持っているアイテムやそれまで稼いだ経験値は
基本的に全部リセットして1からやり直しになるという特徴がある。
よく知らない人がこれだけ聞くと理不尽というか、
「え?なにきみマゾなの?」と勘違いされてしまいそうだが
伝統的な仕様として受け継がれている以上、それにはもちろん理由がある。
その最たるものは、圧倒的な緊張感とそれに伴う達成感だ。
ダンジョンの奥深くに進み、装備やレベルが充実するほど
今度は「失うことへの恐怖」が増してくる。
自分の判断一つで、これまで何時間もかけてきた成果がパーになるかもしれない。
そんな恐怖感と緊張感を乗り越えてダンジョンを踏破した時の達成感は
そんじょそこらのゲームとは比較にならないものがあるし、
もし仮に失敗してやり直しになったとしても悪いことばかりではない。
なぜならアイテムや経験値は失っても、
それまでの冒険で得た「プレイヤー自身の経験」は失われず蓄積されるからだ。
例えば、前回の冒険で手こずったモンスターがいれば
その能力や出現階層を覚えておくことで有利に立ち回りやすくなるし、
アイテムであればその買値や売値を覚えておくことで、
未鑑定(=正体がわからない状態)のアイテムでも
値段から正体を推測するテクニックもある
このように不思議なダンジョンシリーズは
一度ハマると湯水のように時間が溶けてしまう、
アリジゴクのような恐るべきゲームジャンルなのだ。
モンスターを仲間にして連れ歩けるのが楽しかった。
シレン2のシステムの中でも、特に自分が好きだったのが
ダンジョンに出てくるモンスターを捕獲して仲間にできるモンスターの壺のシステムだ。
今まで散々苦しめられたモンスターを使役して
敵モンスターを倒していくのは痛快だったし、
捕まえたモンスターをコレクションできる
モンスター園というシステムもコレクション欲を刺激されて楽しかった。
他にも装備品のコレクション要素である装備品掛けや
罠を駆使して攻略する中腹の井戸という特殊ダンジョン、
ダンジョンの特定の階層で壁に埋まった階段を発見することでのみ入ることができ、中ではレアアイテムが大量に拾える「黄金の間」など
ゲーマーの心理を理解したワクワクする要素がこれでもかと盛り込まれていて
まさに不思議なダンジョンシリーズの一つの完成形といった印象だった。
"不思議なダンジョン"は死んだのか?
幼き日の私の心を熱くさせた
風来のシレン、そして不思議なダンジョンシリーズ。
その後も
「トルネコの不思議なダンジョン」
「チョコボの不思議なダンジョン」
「ディアボロの大冒険」
「ポケモン不思議のダンジョン」
「不思議の幻想郷」
などなどフリゲーまで含めて色々遊んだが、
自分が一番ハマったのはやはりシレン2だったと思う。
ところで、ここまでその魅力を熱く語ってきた上であれなのだが
不思議なダンジョンというゲームジャンルはここ数年どころか
15年位前から急激に勢いを失ってしまっているように思う。
インディー方面ではローグライクの要素を部分的に取り込んだ
ローグライトが微妙に流行っているらしいが
それが不思議なダンジョンの後継かと言えばそうでもない気がするし、
とりわけコンシューマーで大型タイトルの新作が出るということは本当になくなってしまった。
シレンは風来のシレン5 フォーチュンタワーと運命のダイスが
2010年に発売されたのを最後にナンバリングの新作は音沙汰がなく、
もう一つの主流シリーズだったトルネコの大冒険は
番外編の少年ヤンガスと不思議のダンジョンが2006年に出て以来特に動きが無い。
これあまり思いたくない事だが、
もしかすると不思議なダンジョンというゲームの枠組み時代が
もはや時代とかみ合わないものになってしまったのかもしれない。
旧来の不思議のダンジョンのフォーマットに沿ったゲームは
シレン2〜アスカ見参あたりでほとんど完成に至ってしまい、
それ以降追加された属性やら昼夜やらの要素はどこか蛇足感がぬぐえない。
何より、何時間もかけた成果がたった一つの(それも時には全く理不尽な)原因によって
白紙に返されるという仕様自体が、プレイヤーに親切であることが大前提である
昨今のゲーム事情と壊滅的にマッチしていない。
(wiiのシレン3などはこの問題をレベル継続性で克服しようとしていたが結果は…)
とはいえ、コア層を中心にローグライクの新作を望む声はまだまだ少なくなかったり、
近年でも日本一ソフトウェアがローグライクの新規IP(void tRrLM(); //ボイド・テラリウム)を
出していたりといった動きはあるのでそういった土壌の中から、我々の想像を超えた
全く新しい"不思議のダンジョン"が生まれてくる可能性もまだ残されていると、私は信じている。
動物番長(2002年/GC)
可愛らしい外見と文字通り弱肉強食な世界観のギャップが衝撃的だった
「動物番長」は段ボールに板を継ぎ足したような
珍妙な外見の動物を操って百獣の王を目指すアクションゲーム。
発売年が2002年だから、私が小学校高学年の頃だったと思うが
そのあまりに潔いタイトルと思い切った動物のデザインが気になって
誕生日だかクリスマスだかに親にねだって買ってもらった事を覚えている。
さて、この「動物番長」。
先にで触れたように登場する動物たちは
揃って極端にデフォルメされた可愛らしい外見をしているのだが
彼らが生きる世界はその見た目に反して弱肉強食そのものだ。
他の動物に噛み付けば容赦無く血飛沫が飛び散り、
絶命した動物は物言わぬ骸となって横たわる。
他の動物との会話したり、仲間になったりするイベントは一切なく、
周りにいる動物は基本的に全て敵であり、
強いものだけが生き残るという自然の摂理だけがゲーム全体を貫いている。
ゲーム中の各ステージのごーるではコウビという、
メスとお見合いをして産まれた子供が
次のステージの自機になる斬新なシステムがあるのだが、
それまで操作していた前世代の動物はコウビが終わった時点で用済みとばかりに死亡し、
その亡骸は次ステージのスタート地点付近に無造作に転がっているという念のいれようだ。
こうした見た目と世界観のギャップによる衝撃は凄まじく、
この動物番長は良くも悪くも当時の私に忘れられないインパクトを残したのだった。
挑戦心溢れる斬新なシステム
動物番長はシステム面でも斬新な試みが採用されていた。
まず、動物番長に登場する動物たちは
敵も味方もニクと呼ばれる板状の部位を複数持っており、
基本的にはこの枚数が多いほど強い動物ということになる。
そしてニクには他にも色と濃淡という要素があり、
主人公は敵の動物のニクを食らうことで、
食らったのと同じ色と濃淡を自分のニクに宿すことができる。
さらにさらに、そうやって得たニクの色の組み合わせ…
例えばすべてのニクを同じ色で揃えるなどの条件を満たすことによって
異なる特徴を持った別種の動物に"ヘンタイ"することができるのだ。
動物は種類によって体力が高かったり、ジャンプ力が強かったり、
逃げ足が早かったりと異なる特徴があり、
そうしたヘンタイをコレクションすることもまた
このゲームの大きなやりがいの一つとなっていた。
それと、ヘンタイの際には色を揃える都合から
食べるニクの順番をよく考える必要があり
その辺りがパズル的な面白さもあった。
GC黎明系を代表する怪作
このように私的には非常に楽しめた作品なのだが
残念なことにシリーズ化とかは特になくこの一作が出たきりとなっている。
デザインもシステムも攻めすぎていた感はあったので
仕方ないと言えば仕方ないのだが、
個人的には好きなゲームだったので
何かの間違いでひょっこり続編が出ないかと
密かに期待していたりして…(流石にないか)。
ファイナルファンタジータクティクスアドバンス(2003年/GBA)
等身大の少年少女を主役としたシミュレーションRPG
国産RPGの大御所、FFシリーズの中でも
私にとって特に思い入れ深いのが
このファイナルファンタジータクティクスアドバンス(以下FFTA)だ。
マス目に区切られたフィールド上で
チェスのように敵味方が交互に行動する
ターン制バトルが特徴的なシミュレーションRPGで、
名称からしばしば勘違いされがちだが
1997年発売のファイナルファンタジータクティクス(PS)とは、
ゲームシステムの基盤を受け継いでいるもののストーリー上のつながりは無い。
手応えのある難易度や美麗なグラフィックなど
このゲームの魅力は多々あるが、
中でも印象的だったのがそのストーリーだった。
ヨーロッパ風の田舎町に住む3人の少年少女が
たまたま手に入れた古い書物を開いたことで、
ファンタジーゲームのような「イヴァリース」の世界に迷い込むという
今風に言えば異世界転生的なプロットなのだが、
本作ではそこに加えて、主人公たちが異世界での生活を通じて
現実世界で抱えていた心の闇と対峙する姿が描かれている。
その原因となったものは家族との関係であったり、
容姿であったり、いじめであったり…
ちょうど思春期に差し掛かる子供にとって
自然に共感できるものばかりだ。
優れた芸術は見るもの自身の内面を映し出すというが、
当時同じような年頃だった私もまた、
このFFTAを通じて自分の内面を覗き込む体験をしていたように思う。
ストーリー面以外も魅力たっぷり
ストーリーの魅力を抜きにしても
FFTAは完成度の高いゲームだったと思う。
ヴィジュアル面で言うと、のちにFF12や
グランブルーファンタジーでも活躍する皆葉英夫のデザインは
このゲームの童話的で繊細な雰囲気に抜群にマッチしていたし、
それをGBAの画面に落とし込むドット絵のクオリティも極めて高い。
ゲーム内BGMは少年的な若々しさと
幻想世界の重厚さの入り混じったこれまた素晴らしいもので、
私などは今でも度々作業用BGMとして流すくらい気に入っている。
ゲームバランスに関しても
簡単すぎず難しすぎず、普通にプレイすれば適度に苦戦する
絶妙なラインをうまくついていた様に思う。
一方で、しばしばこのゲームに対する批判点になる仕様として
FFTにはなかったロウ(law)システムがある。
これは、戦闘のたびに体力回復禁止や
特定の種族への攻撃禁止などの「禁止事項」が設定され、
それを一定回数以上破ると戦闘から強制追放されてしまうという、
非常にゲーム内影響力の強いシステムだ。
本来は「制限される面白さ」や
敵も(ボス以外は)ペナルティを受けることを利用した
戦略性の深化を狙って導入されたであろうこのシステムだが、
ペナルティの重さにも関わらず、
どう工夫してもロウを犯さずクリアするのが困難な
「詰みロウ」にぶち当たることがしばしばあり※、
そこは当時の私も流石に幾許かの理不尽さを感じていた。
(例えば、敵が人間族ばかりなのにロウが『人間愛護(人間への攻撃禁止)』だったり…)
続編の『ファイナルファンタジータクティクス A2 封穴のグリモア』でも
引き続きロウは存在していたがそちらは違反時のペナルティが比較にならないほど軽減されていたり、
ロウを守ることで得られるメリットが付加されていたりと大幅な改良が加わっていたのを見ると
開発側にとってもFFTAのロウシステムは不完全だったという認識だったのだろう。
このように、FFTAは全てが完璧なゲームというわけではなかったけれど
ゲームのストーリーに没入する喜びを
初めて私に教えてくれた思い出の一本であることは間違いない。
らんだむダンジョン(2009年/PC)
フリゲ黄金期の晩年を飾る名作
2000年代初頭から後半にかけて
pcフリゲの黄金期みたいな時代があった。
洞窟物語、Elona、ゆめにっきなど
無料とは思えないほどの個性あふれる名作の数々がこの頃に世に出た。
中学3年の頃に初めて自分のPCを手に入れた私も
こうしたゲームを手当たり次第に遊びまくっていた時期があったのだが、
今回紹介するのはその中でも2009年という
比較的後期にリリースされたらんだむダンジョンという作品だ。
RPGツクールVX製のダンジョン探索型RPGなのだが
その最大の特徴は圧倒的なコンテンツボリュームにある。
- 数えきれないほど豊富な種類のアイテムあり。しかもその全てにネタ精神に溢れた詳細な解説文つき
- ランダムでアイテムが手に入る宝箱のワクワク感あり
- 属性相性や状態異常を駆使して初めて勝てる手応え抜群のボス戦あり
- 特定の武器を装備した時のみ使える特殊技あり
- 主人公三人娘の軽妙な掛け合いあり
- 豊富なイベントあり
- 拠点となる村の育成要素あり
- 一見しただけでは想像もつかない壮大な裏設定あり
…といった具合に
シンプルなシステムの中に
これでもかというほどの遊びが詰め込まれていて、
一度ハマるとやめ時を見失いかねない。
かくいう私も一時期は寝食を忘れるほど
この「らんだむダンジョン」にハマり、
これほどのゲームが無料で遊べるなんて
いい時代になったものだとしみじみ思ったものだった。
pcフリゲの落日
一時期は隆盛を誇ったpcフリゲ界隈だったけれど、
だいたい2010年頃を境に話題になる作品の数はめっきり少なくなってしまった。
元々若干ニッチ気味の界隈ではあったけれども、
あそこまで露骨に勢いを失ったのは、
やはりスマートフォンの台頭が一番の原因だったのではないだろうか。
appstoreを開けば大手ゲーム会社の開発した
基本プレイ無料のゲームがいくらでも手に入る時代にあって、
わざわざアマチュアの作成したゲームをネットから探し出してプレイする人間は
今ではよほどのゲーム好きかマイナーゲー狙いの実況者くらいだろう。
それどころか昨今では個人用のPCすら持っていない人も珍しくないのだから
pcフリゲーの復権はますます夢のまた夢と言えそうだ。
とはいえ、金銭のためでなく、純粋に面白いゲームを作って
たくさんの人に遊んでもらいたいという思いで膨大な時間をゲーム制作に費やした数多のフリゲ製作者に対しては個人的に今なお畏敬の念を抱いてやまないし、本当に面白いゲームというものは最終的にはそういうマインドのあるところからしか生まれないのではないかとも思う。
バットマン アーカム・シティ(2011年/PS3)
洋ゲーの底力を思い知らされた一作
自分は幼少期から学生時代の大部分を
任天堂をはじめとする国産ゲーで育った人間で、
洋ゲーに対しては「無駄にグロくてとっつき辛いゲームばっかり」
と言った程度の印象しかなかった。
そんな私の浅いゲーム観を
根底からひっくり返してくれたのがこのバットマン アーカム・シティだ。
タイトルから分かるように
誰もが知る人気アメコミヒーロー、バットマンを主役にしたゲームで、
2009年に発売されたバットマン アーカム・アサイラムの続編にあたる。
(時系列的にはこちらの方が過去に当たるが)
私は別に熱烈なバットマンフリークというわけではなく、
せいぜいバートンやノーランの映画を見て
「バットマンってかっけーな」と思った程度の接点しかなかったのだが、
このゲームについては当時から「キャラゲーの域を超えた傑作!」
と言った絶賛の声があまりにもよく聞かれたために
そんなに凄いのか?と最初は疑い半分ながらも手に取ったのだった。
で、実際にプレイしてみるとこれが本当にすごかった。
映像、演出、サウンドなどゲームを構成する要素すべてが
プレイヤーのバットマン体験を完全なものにするために巧妙に作り込まれていて、
ゲームを始めると瞬く間にバットマンの世界観に呑み込まれてしまう。
アクション面の完成度も極めて高く、
闇夜に紛れ、豊富なガジェットを駆使して
華麗に悪党を倒す、映画で見たあのバットマンの勇姿が
自分の指先で再現できてしまうのだから楽しくないわけがない。
また本作はオープンワールド制を採用しているのだが、
オープンワールドでは面倒になりがちな移動要素を
グライディングとワイヤーアクションによる高速移動によって
かえって爽快さに昇華していた点も素晴らしかった。
キャラゲーの展望とその未来について
その圧倒的なクオリティでバットマンとゲームの両ファン層から
高い評価を得てきたアーカムシリーズも
2015年のアーカム・ナイトで一応の完結を迎えている。
だが、2018年のMarvel's Spider-Manをはじめ、
アーカムシリーズのDNAを受け継いだ作品は途切れることなく
今なお私たちに驚きと感動を与え続けてくれている。
また、今後のあり得そうな進展として
特に個人的に期待しているのが、
昨今ブームの兆しを見せているVRゲーとのコラボレーションだ。
もし、コントローラではなく、自分の体の動きで
憧れのヒーローになりきれるとしたら
その没入観はコントローラー越しに操作する
これまでのゲームとは比べ物にならないものとなるだろう。
それが実現するのはいつのことか、
そもそもそんな規格が存在するのかどうかもわからないが、
想像するだけでも今から既に楽しみでならない。
ウォッチドッグス(2014年 PS3/PS4)
オープンワールド×ハッキングアクションの斬新さ
ウォッチドッグスは就職し、可処分所得が増えたことで
少年時代以来のゲーム欲が再燃し出していた頃にプレイした一作だ。
開発はいつも70点くらいのゲームを作る
アサシンクリードシリーズをはじめとするAAAタイトルを
脅威のペースで世に送り出しまくる会社として有名なubiソフト。
ジャンルは昨今の主流であるオープンワールドだが、
本作が特徴的なのはITテクノロジーやハッキングの要素を全面に押し出している点だ。
主人公となるエイデン・ピアースは優れたハッキング能力をもち、
他人のスマホの遠隔操作から監視カメラのハックまで
電子機器の操作ならなんでも鮮やかにこなしてしまう。
プレイヤーはエイデンの操作を通じて
映画やドラマに登場するような
「天才ハッカー」の活躍をロールプレイすることができるのだ。
孤独な復讐者、エイデン・ピアースの魅力
ストーリー面に目を向けると、
ウォッチドッグスのそれはひたすら暗く、殺伐としたものだ。
主人公エイデンは裏社会の仕事を請け負う凄腕のハッカーだが、
かつて自分が請け負った仕事への報復で
6歳の姪を巻き添えに死なせてしまった過去があり、
その事件の真相を暴いて首謀者を見つけ出すことが
本作のストーリ上の最大の目標となっている。
加えて舞台となるシカゴの街は全米有数の犯罪都市であり、
その治安の悪さはゲーム内でもしっかり再現されている
あまりに治安が悪すぎるせいで、
ブルームテックという企業の開発した
ctOSなる犯罪検知システムが都市全体に導入されているくらいだ。
このように、ストーリーもキャラクターも舞台も
徹底して暗く、血生臭いのがウォッチドッグスの特徴なのだが、
私にとってはその暗さがかえって心地よく、
作中世界に深く没入するきっかけになった。
それに何と言っても、
エイデンのダークヒーロー然とした格好よさときたら!
やる時はやる、でも人間的な弱さもある。
ウォッチドッグスというゲームにとって
まさに理想的な主人公像だったと思う。
ウォッチドッグス2について
ちなみにウォッチドッグスはその後続編が出ていて、
当記事執筆時点ではサンフランシスコを舞台にした
ウォッチドッグス2が2016年に、
ロンドンを舞台にしたウォッチドッグス レギオンが2020年に発売されている。
そのうち、ウォッチドッグス2については私もプレイ済みで
こちらについても良く出来た内容だったと思う。
ドローンや町全体を停電させるハッキングなど
前作のウリだったハッキング要素が大幅にパワーアップし、
より高い戦略性とハチャメチャさが楽しめるゲームになっていた。
ただ、ストーリーやキャラクター性で言えば
個人的には初代ウォッチドッグスの方が好みではあった。
2の主人公はパリピのようなネアカな若者であり、
仲間とつるんで大学サークルのようなノリでハッキング行為に勤しむ。
それはそれで悪くはないとは思うけれど、
孤独なダークヒーローがハッキング技術一本で
巨大な敵と戦うエイデンが好きだった私からするとちょっと違和感を感じるものだった。
(そもそも公共施設へのハッキングって犯罪行為だし、あんまりワイワイ楽しんでやるものじゃないよねっていう…)
一方レギオンに関しては未プレイなのだが
軽く調べた限りでもその評価は2以上に賛否両論のようだ。
ハッキングアクションというのは唯一無二の強みだと思うので
今後ともシリーズは継続して欲しいものだが、
果たしてウォッチドッグスの明日はどっちだ…?
Bloodborne(2015年 PS4)
怖すぎるのにやめられない、超絶難易度のアクションRPG
私がBloodborneを初めてプレイしたのは2018年の頃、
PS4のフリープレイで見つけたのが出会いだった。
その頃の私はフロムソフトウェアのゲームはプレイしたことがなく、
せっかく無料だし暇つぶしに遊んでみるか程度の
軽い気持ちで始めたのだが、今思えばそれが地獄の入り口だった(褒め言葉)。
Bloodborneのストーリーは難解だが
やることは至って単純で、
舞台となるヤーナムの街を探索し、目の前に出てくる奴らを
(少数のNPCを除いて)片っ端から倒していくだけだ。
…ただ、それは決して楽な道のりではない。
最初のステージに当たるヤーナム市街からPS4が処理落ちするほど大量の敵が配置された
通称ヤーナムキャンプファイヤーや
1対でも相当きつい巨大な犬の敵が2体配置された狭い橋など
ゲーム内でも屈指の難所の数々が待ち受ける。
たとえそれを乗り越えても、
今度は初見ではこんなの勝てるかと言いたくなるほど
強力なボスが立ちはだかる。
その難易度の高さは、トロフィーからわかる
ヤーナム市街(改めていうが最初のステージ)のボスである
ガスコイン神父の突破率が45.1%(2022年8月7日時点)
という異様な低さに留まっていることからも窺えるだろう。
しかしながらBloodborneの素晴らしい点は
どんなに理不尽に思える状況でも、
プレイヤー自身の気づきや工夫によって
乗り越えられる余地が必ず残されている点にある。
死に覚えの中で有効な属性や武器を見つけ出し、
敵の行動パターンを見極め、
段々と死ぬまでにボスに与えられるダメージが伸びていく過程は
優れたゲームに共通する「プレイヤー自身が成長する喜び」を実感させてくれる。
ましてや、数時間の死闘を経てボスに打ち勝った時など
脳からさまざまな化学物質が噴出して
身体が震えるような達成感が心身を満たしたものだった。
他の国産IPでは類を見ないゴシックホラーを基調とした独自の世界観
戦闘の面白さと並んで私がBloodborneに感銘を受けたのが、
ゴシックホラーを基調とした独自の世界観だ。
ロングコートを装着した主人公が、
鉈やら斧やら鞭やらを駆使して異形の怪物を狩る姿は
ヴィクトリア朝イギリスモチーフの舞台設定と相まって
自分の中の厨二心を大いに刺激した。
一方でストーリーはよく言えば難解、
率直に言えばほとんど意味不明なものだった。
そもそもフロムソフトウェアのゲームの中には
作中で多くを語らず、アイテムの説明やNPCの会話を通じて
断片的に世界の情報を補完していくというストーリーの語り方をするゲームが多いのだがこのBloodborneはその傾向が特に極まっている。
私など、何の前情報もなしにプレイした初回時は、
ラスボスまで倒したのにもかかわらず
全体のストーリーの3割も理解できていなかったように思う。
出てくるボスや敵の多くに対して、
「この人たちは何で襲ってくるんだろう?」などと
頭の中に疑問符を浮かべながらプレイしていたわけだが、
それでもたいして気にならなかったのは、
第一に戦闘と探索が面白過ぎたことがあり、
第二にこのゲームがそもそもプレイヤーに
ストーリーを理解させようという気がないことに早々に気づいてしまったことがあった。
特に…ゲーム中盤でそれまでのBloodborne世界に対する理解を
180度ひっくり返すような展開というか、存在が登場するのだが
そこからはもう完全にストーリーについて考えることは放棄していた(笑)。
しかし、クリア後にネット上で啓蒙が高い方々の考察を読むと
「そういうことだったのか!」と納得する点が多々あり、
そういう意味では一度で2度美味しいゲームだったといえるかもしれない。
IT TAKES TWO(2021年 PC/PS4/PS5/Xbox One)
二人協力プレイ専用の新規IPで500万本を売り上げた怪物ゲーム
本日最後に紹介するのは
2021年にリリースされたIT TAKES TWOというゲームだ。
このゲームは今回取り上げたゲームの中でもちょっと特殊で、
Co-op(二人協力プレイ)専用のゲームとなっている。
しかしながらその特殊性に加えて
全くの新規IPという不利な条件にもかかわらず
2022年4月時点で全世界売上が500万本を突破しているという
とんでもないゲームなのだ(ソース)
離婚寸前の夫婦が真実の愛を取り戻すまでのストーリー
IT TAKES TWOの主人公は、
離婚寸前まで関係が冷え込んだコーディとメイの夫婦。
夫婦の不仲に心を痛めていた一人娘のローズは
両親を仲直りさせる方法を探す中で偶然にも魔法の力に辿り着き、
本人も気付かぬうちに二人を小さな人形の姿に変えてしまう。
いきなり人形の姿になってしまったことで
一時休戦を取り交わしたコーディとメイは、
突如出現した『愛の伝道師』Drハキムから
二人が元の姿に戻るには真実の愛を取り戻さなくてはならないと告げられ、
そのための過酷な試練へと挑戦することになる…
というのが本作の大まかな導入だ。
ゲーム内でプレイヤーが挑戦することになる数々の試練は
どれも協力プレイの特徴を前提としたもので、
二人が息を合わせて初めてクリアできるものばかり。
つまり、ゲームを通じて
プレイヤー同士もまたお互いに対する絆を深められる作りになっているのだ。
ここまでやるか!と唸らされる脅威の遊びのボリューム
感動的なストーリー、そして協力プレイの前提を活かしたゲーム設計は
間違いなくIT TAKES TWOの魅力だけど、
それだけではあれほどの評価を受けることはなかっただろう。
IT TAKES TWOが多くの人の心を掴んだ背景には
結構なゲーム数を遊んできたと自負する私ですら舌を巻いた
圧倒的なアイディア力の勝利があったと思う。
創意工夫に満ちたギミックの数々、
アクション、パズル、ボス戦など面白ければなんでもありな遊びの幅の広さ、
草原、洞窟、海底、雪山といった具合に目まぐるしく変化し、
まるでゲーム内観光をしているかのような気分にさせてくれる
千変万化のロケーションなど随所にイマジネーションの限りが注ぎ込まれ、
どれだけ遊んでも遊び飽きるということがない。
また、注意深く観察していると
所々に往年の名作ゲームへのオマージュが見つかるのも
ゲーマーとしては見逃せないポイントだ。
プレイするなら貴方の一番大事な人と。
このように、個人的に
IT TAKES TWOは近年でも一押しの一作なのだが、
もしこれから本作をプレイしようという方がいれば
可能な限り、あなたが一番大事と思うパートナーと一緒に、
オフラインで肩を並べてプレイすることをお勧めしたい。
私がそう忠告する理由は、
このゲームを最後までプレイした方ならわかっていただけるはずだ。
後書き
今回の選定において、
同世代であれば95%以上の人は知っていそうな
あまりにもメジャーすぎるタイトルは意図的に選定外とした。
そうしなければポケモンや時のオカリナやスマブラなども入っていたと思うが、
誰でも知っているゲームについてわざわざ書いても面白くないし、
それよりも世間にそこまで知られていなさそうなゲームを推すほうが
有意義だろうという判断からだ。
今回紹介したゲームの中には古いゲームも少なくないが、
MOTHER2とかFFTAあたりは
今でも配信で手軽に遊べるので
もし興味が湧いたらプレイしてみてほしいと思う。
それでは最後に、
ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。