祝! SBRアニメ化
今年4月に発表されていたスティールボールランのアニメ化ですが、先日ついにティザーPVが公開されました。
馬の作画コストの問題で長らくアニメ化不可能と噂されていましたが、とうとう実現する機会が巡ってきたとのことで今から非常に楽しみにしております。(配信予定は2026年)
さてこのSBRですが、個人的に初めて現行で追いかけることのできたシリーズということもあり、実は色々と思い入れのある作品でもあったりもするのです。
正直、最初はちょっと大丈夫か?と思っていた
私とSBRのファーストコンタクトは中学時代に友人と立ち寄った書店で平置きされていた新刊を目にした時でした。
その頃すでにジョジョは知っていものの、まだ2部あたりまでしか読み進めていなかった私に対してオタク仲間の友人が「これジョジョの作者の最新作なんだぜ」と教えてくれたのを記憶しています。
それからしばらくかけて6部まで読み終わり、ついにSBRを読み始めたのですが正直言って第一印象はあまり良いものではありませんでした。
せっかくのジョジョの冠を外したリスタートにも関わらず※、蓋を開ければ6部と全く変わり映えのない絵柄とノリ。
そもそも主人公の名前が”ジョ”ニィ”ジョ”ースターの時点でジョジョへの未練が見え見えでしたし、わずか3巻ほどでスタンドが出てきた時などは「荒木先生の新境地が見れると思っていたのに、結局はスタンド漫画か…」と落胆したものでした。
というのもの5部終盤あたりからジョジョのスタンドのアイディアに限界が来ている感があり、これ以上スタンドネタを引きずっても面白くなりようがないように思えてならなかったからです。
物語の展開や敵キャラクターもイマイチ魅力に欠いているように見え、当時の私はポークパイハット小僧戦が終わったあたりのところで一度追いかけるのをやめてしまいました。
※ジョジョの奇妙な冒険part7の副題がついたのはウルジャン移籍後から。それまではジョジョとは別の完全新規タイトルと見られていました。
掲載誌の変更で評価が一転
SBRから離れてしばらく経った頃、ネットで面白い漫画を探していた私は最近SBRがアツいという噂を小耳に挟みます。
そこで大して期待せず続きから読み始めて見たところ、これが予想以上の大ハマりでした。
具体的にはコミックス7巻あたりを境に作品全体の雰囲気がガラッと変わり、それまでのジョジョにはなかった新たな魅力を持つ作品に変貌していたのです。(具体的にどこがどう変化していたかは後述)
ではSBRはなぜここまで大きな方針転換を図れたのか。それはやはり同時期に行われた掲載誌の変更による影響が甚大だったものと推測されます。

ご存知の方も多いと思いますが、SBRは当初少年ジャンプで連載されていたものが青年誌のウルトラジャンプに移籍した経緯があります。
連載の場が少年誌から青年誌へ移ったこと、そして(おそらく)担当編集が変わったことにより方針の大幅な転換が可能になったことが作品の質に対してプラスに作用したのでしょう。
その後のSBRはある程度の波はあれど、ジョジョならではの外連味とシリーズ特有のシビアでドライな魅力ある物語を展開し続け、最後はファンの間でも語り継がれる怒涛の展開を経て堂々たるフィナーレへと至りました。
なぜSBRは名作となり得たか?
現在のSBRは概ね「ジョジョ全体でみると最上位ではないが根強いファンを数多く獲得している」「シリーズでも屈指の名作と見るファンも少なくない」という評価に落ち着いているのではないかと思います。
しかしより具体的に、なぜそうした評価に至ったのかについて系統立てて分析された機会はそれほど多くないのではないかと思います。
そこで当記事ではSBRが名作となった理由5選と題しまして、1ファンの視点からSBRが現在の評価を得るに至った原因を考察してみます。
SBRが名作たり得た5(+1)つの理由
ウルジャンへの移籍が功を奏した
まずは冒頭でも触れたこの点です。
掲載誌の変更による影響について、荒木先生自身は以下のように語っています。
週刊のころはいつも少しページ数をオーバーしてしまって、どうやってその分をカットするか、ということに時間がかかっていたんですよ。編集者と「どの部分いらないですか?」「いらない部分はないですね」「でも、ここまでいれないとお話としてはおさまりが悪いよね」「ここで切るのは良くないよね」などと話していました。
https://web.archive.org/web/20071217021014/http://plaza.bunka.go.jp/museum/meister/manga/vol3/
『スティール・ボール・ラン』ではページ数の制限によるストレスがなくなって、物語のリズムもよくなったと思います。
『UJ』への移籍について、荒木飛呂彦は複数の理由を述べている。「ダイナミックな画面表現と、繊細な心理描写をかねそなえた作品を描こう、と思ったから」「海外ドラマ『24』や、三部作の映画『ロード・オブ・ザ・リング』といった、壮大なボリュームの物語が増えてきた影響」「週刊連載のコンパクトな起承転結の繰りかえしじゃなくて、もっと大きな物語を語りたくなった」などと説明している。また、少年誌から青年誌に移籍したことで同性愛やDV、レイプなどの倫理上繊細な記述が増えたが、これについては「40歳をこえて、倫理性にまつわる表現も描かなくちゃダメだろう、と思ったんですね。(中略)ぼくもターゲットを若い読者だけに限定していたら、作品が窮屈になるんじゃないかな、と思ったんですね」と答えている。
https://web.archive.org/web/20071217021014/http://plaza.bunka.go.jp/museum/meister/manga/vol3/
ページ数の制限がなくなったこと、より繊細なテーマの追求に意識が向いたことが特に大きかったようですね。
また、掲載誌が青年誌に移ったことで可能な描写の幅が増えたことも大きかったと思います。
例を挙げればリンゴォの少年時代のエピソードやウェカピポの妹にまつわるエピソード、大統領夫人のある秘密などは少年ジャンプではコンプラ的に描写するのが難しかったのではないでしょうか。(特に大統領夫人の件については、6部のアナスイの性別変更騒動を思い返せばまずアウトだったでしょうね。)
加えて上記インタビューでも言及されていますが、ターゲットとなる読者の年齢層的にも少年漫画の制約の中では十分に満足できる内容を打ち出せなくなっていた問題もあるでしょう。
何せSBRの時代にもなるとジョジョは少年ジャンプでは超古参の作品であり、読者の平均年齢層もかなり高めであったことが予想され、そのボリューム層にアプローチする上でも青年誌に活躍の場を移したことは大正解ではなかったかと思います。
重厚な作品テーマに耐えうる画風への進化
ウルジャン移籍後のSBRでまず目を引くのが大幅な絵柄の変化です。

6部以前と比べると人物の顔を中心により繊細で写実的な描写が試みられており、これが洋画的なSBRの世界観に実によくマッチしているのです。
特に7部は中盤以降、それまでの部と比べて登場人物の繊細な心理描写が増えており、もしそこで6部以前のパワフルで漫画的な絵柄を持ってきていたらあれほど読者の心情に訴えかける表現はできていなかったのではないでしょうか。

また、人物だけでなく風景描写の繊細さも群を抜いています。
アメリカの荒涼とした大地や草原、湿地帯などの自然風景が緻密に描き分けられており、それが作中世界への没入感を生み出しています。
7部は読者がジョニィやジャイロと一緒に旅をする感覚を味わえるロードムービーとしての趣もありますが、それを支えているのがこうした細かい背景描写だったりするのです。

ちなみにアニメのティザーを見ると、こちらも6部以前とは意識的に作画の方向性を変えてきているようですが、SBRの持つ独特の空気感を表現することは可能なのでしょうか...?
男二人のアメリカ大陸横断レースという題材
初の女性主人公を採用した6部に続いて、7部では初のW主人公が採用されています。
強い意志と危うさを兼ね備えたジョニィと、飄々して見えながら心の奥には熱いものを持つジャイロ。
全く違った個性を持った二人が時に協力し、時に反発し合いながら広大なアメリカを馬の力だけで冒険するという設定は王道ながらもやはり心くすぐられます。
しかしこの二人の関係でやや独特なのがお互いがお互いの友であり、ライバルであり、また教師でもあるという点です。
基本的には年上のジャイロがジョニィを教え導くように見えて、逆にジョニィがジャイロの精神的な弱みを指摘したり学びを与えたりする場面も多く、それが表面的ではない、深みのある人間関係の描写につながっていたように感じました。

それと、旅の風情を感じさせる以下のような描写が随所に織り込まれているのも最高ですね。

見ていて自分も旅に出てみたいと思わせられるのはSBRの大きな魅力の一つです。
(ウルジャン移籍後は)魅力的な敵が目白押し
ジョジョの魅力の一つに、主人公側に負けない個性や信念を持った敵キャラクターの存在があります。
SBRは序盤こそ魅力を感じる敵に乏しかったものの、ウルジャン移籍後はこれでもかと個性的で魅力溢れる敵キャラクターが続出します。
一例を挙げると、公正なる決闘を信条とするガンマンのリンゴォや一見とぼけているように見えて恐るべき執念を隠し持ったブラックモア、強力なスタンドを持ちながらもどこか間の抜けたマジェント・マジェントなどどれもこれも一度見たら忘れられない強烈な奴ばかり。

そんなキャラクターたちが華々しく活躍してはあっという間に散っていくわけですが、その一種の無常感、寂寥感こそがSBRにそれまでの部になかったビターな味わい深さを加えているように私は思います。
ラスト付近の盛り上がりが尋常ではない
終わりよければすべてよしという言葉がありますが、私的にはまさにSBRのためにあるような言葉ではないかと勝手に思っています。
未読の方にとってはネタバレになるのでここでは深くは触れませんが、ラスト三巻あたりは特にやばい。
予想外に次ぐ予想外、どんでん返しに次ぐどんでん返しで当時それなりに漫画を読んでいてちょっとやそっとじゃ動じないと自負していた私ですら久々に心震わされたものでした。
同じシリーズでも5部、6部あたりはちょっとラスト付近でまとめきれていないというか、しっちゃかめっちゃかになってしまっていた感があったので、そういう経緯から期待値が下がっていたのもありますが当時は本当に「やられた!」と思ったものです。
ミーム化されるネタにも事欠かない
これは今回のテーマ上あまり適当ではないとは思いますが一応。
ジョジョというかジャンプの有名漫画にありがちですが作者は真面目に描いてるのに(だからこそ?)ネタにされてしまうシーンやキャラクターというのが大抵1つはあるんですよね。
そしてジョジョはそれが他の漫画と比べても非常に多く、SBRもまた例外ではありません。
有名な例で言うとウェカピポの妹の夫とかはかなり色々とネタにされてしまっていますね(笑)。
初見では特に気にする必要もないですが、覚えておくとSNSなどで一部の人たちと一緒に盛り上がれるかもしれません。
終わりに
以上、私の考えるSBRが名作たり得た理由でした。
正直いうと、序盤のタルさやサンドマン周りに代表される悪い意味でのライブ感など欠点がない作品ではありません。
しかしそれを補ってあまりあるほどの魅力があり、ロードムービー好き、洋画好きなら胸を張ってお勧めできる一作だと思います。
あとはアニメがこの素材をどう調理してくるかですが、個人的には後半になるにつれ急激にイケメン化する大統領の変化に一番期待しています。


