はじめに
こんにちは、daimaです。
本日は、「困難に立ち向かう勇気をくれる、天才数学者たちの名言15選」と題しまして、
学ぶことの大切さや素晴らしさについて語った、世界の天才数学者たちの名言をご紹介します。
取り上げる数学者は
ニュートンやガウスのような歴史上の偉人から
テレンス・タオのような今でも現役の数学者まで。
時代も国もバラバラですが、
その生涯を懸け人間の知力の限界に挑んだ彼らの言葉を読めば、
きっとあなたの心にも困難に挑むための
意欲と情熱が湧き起こってくるはずです。
それでは、いってみましょう。
アンドリュー・ワイルズ
(Q. フェルマーの最終定理が終焉を迎えた今、何かあなたの心に残っていることありますか?)
私が確かに学んだことの 1 つは、
自分の関心に基づいて取り組む問題を選択することが重要だということです。
どんなに難解な問題も、やってみない限りは絶対に解けません。
自分にとって最も重要な問題に常に挑戦してください。
私は、子供の頃の夢であったことを大人になっても追求できるという
めったにない特権に恵まれました。
大人になってから自分にとって大切なことに取り組めたとしたら
それは何にも代えがたいことだと思うのです。─アンドリュー・ワイルズ
出典 : Andrew Wiles on Solving Fermat | NOVA | PB
"100年の難問"、フェルマーの最終定理を証明した
イギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズが
2000年にアメリカの科学番組、
NOVAのインタビュー内で語った言葉。
ワイルズは上記の業績によって
現代の数学者の中でも
最高の栄誉と知名度を獲得しましたが、
彼がそこに至るまでには
実に8年にも及ぶ孤独な戦いがありました。
ワイルズはその過程を、
真っ暗な館の探検に準えています。
「最初の部屋に入ると、そこは暗いのです。
真っ暗な闇です。それでも家具にぶつかりながら
手探りしているうちに、少しづつ家具の配置がわかってきます。
そうして半年ほど経ったころ、電灯のスイッチが見つかるのです。電灯をつけると、突然に部屋のようすがわかる。
自分がそれまでどんな場所にいたかがはっきりとわかるのです。
そうなったら次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。突破口は一瞬にして開けることもあれば、
一日、二日かかることもありますが、いずれにせよ、
それは何ヶ月ものあいだ闇の中で躓きながら
さまよったからこそ到達できるクライマックスなのです。」─出典 : サイモン・シン フェルマーの最終定理 P364より
周囲から見れば狂気としか思えないほどに
一つのテーマに根気よく取り組み続けられることは
それだけでもう一つの才能なのかもしれませんね。
テレンス・タオ
数学をするのに天才である必要はありますか?
答えは断固としてNOです。
数学に有益で有益な貢献をするためには、一生懸命働き、
自分の分野をよく学び、他の分野やツールを学び、質問し、
他の数学者と話し、「全体像」について考える必要があります.はい、適度な知性、忍耐力、成熟度も必要です。
しかし、無から深い洞察、問題に対する予想外の解決策、
またはその他の超自然的な能力を自発的に生成する、
ある種の魔法の「天才遺伝子」は必要ありません。─テレンス・タオ
出典 : Does one have to be a genius to do maths? | What's new
9歳で大学に飛び級入学し
10歳の時には数学オリンピックで銅メダル獲得、
31歳の時にはフィールズ賞受賞という
輝かしい経歴を持つ、オーストラリア出身の中国系数学者、
テレンス・タオの言葉(公式ブログより)。
元記事を読むとわかりますが、
ここで重要なのは、テレンス・タオが
人によって生まれ持った能力の差があることは認めた上で、
限られた一部の天才だけが
数学をすべきだという考え方を否定しているという点です。
プロの数学はスポーツではないことを覚えておくとよいでしょう (数学競技会とは対照的です)。
数学の目的は、最高のランキング、最高の「スコア」、または最高の数の賞や賞を獲得することではありません。
代わりに、数学の理解を(自分自身と同僚や学生の両方のために)増やし、その発展と応用に貢献することです。
これらのタスクのために、数学はそれが得ることができるすべての優秀な人々を必要とします.
どんなに優れた人にも得手不得手はあり、
個人ではキャパシティにも限界があるのだから、
たとえ天才でなくてもより多くの人が数学に参加し、
貢献することにこそ重要な意味があると説いているのです。
これは数学に限った話ではなく、
一般的な他の仕事でもそうですね。
どんな業種でもある程度長く続けていると
いずれ必ず「自分より凄いやつ」に遭遇し、
鼻っ柱をへし折られる日がやってくるものですが、
そんな場合でも、自分の存在意義が
全くなくなってしまうということは滅多にないものです。
むしろそんな時にこそ
相手と自分の力量差を素直に認めた上で、
余計なプライドを捨てて時にはサポートにまわり、
あわよくば相手の技術や知識を盗む位の心掛けを持つことが
真の自己成長のために必要なことであるように思います。
アラン・チューリング
少し先しか見えませんが、やらなければならないことはたくさんあります。
─アラン・チューリング
これは、先駆的な数学者として、
現在の機械学習やAIの先駆けとなるアイディアを考え出した
20世紀イギリスの数学者であるアラン チューリングが、
1950年の論文、‘Computing Machinery and Intelligence’(計算機と知能」)の中で語った言葉です。
チューリングはその生涯を通じ、
大胆不敵なアプローチで困難な問題に立ち向かい、
新たな概念の地平を切り拓いてきました。
新しい技術の探究は、人間社会全多によって行われると見做さなければなりません。
─アラン・チューリング
私個人としても、コンピューターに携わる
仕事に就くもののの端くれとして
心の底から尊敬する偉人の一人であり、
その言葉からは困難に立ち向かう勇気を与えてもらっています。
アンリ・ポアンカレ
証明するのは論理だが、発見するのは直感である。
批判の方法を知ることは良いことだが、創造の方法を知ることは更に良いことだ。─アンリ・ポアンカレ
出典 : Henri Poincare (2012). “The Value of Science: Essential Writings of Henri Poincare”, p.746, Modern Library
20世紀フランスを代表する数学者であり、
かの有名なポアンカレ予想の提出者でもある
アンリ・ポアンカレの名言。
世間一般の数学に対するイメージに反して、
数学者に求められる重要な資質に
美意識やインスピレーションを挙げる数学者は少なくありません。
また、これは私見で恐縮ですが、
数学に限らず、日頃から優れた文化、芸術に触れることは
私たちの心に余裕を与え、より優れた仕事をするための
基盤となるものであるように思います。
ゲオルグ・カントール
数学において、適切な質問をすることはそれに答えることよりも難しい。
─ゲオルグ・カントール
集合論の基礎を確立や
対角線論法という証明法の考案によって
現代数学の発展に多大な貢献を為したドイツの数学者、
ゲオルグ・カントールの言葉。
数学における数々のテクニックは
フェルマーの最終定理、リーマン予想、
ポアンカレ予想、四色問題などの難問に
数学者たちが挑む過程で
磨き上げられてきた節があります。
しかし、このよう良い問題」を作ることは
カントールの言うようにとても難しいことです。
相手の興味を掻き立てる問題は
シンプルでいて本質を内包し、
一目には誰でも簡単に解けそうでいながら
簡単には説かれない奥深さを兼ね備える必要があります。
逆に言えばそのような問いを立てられる人は、
数学に限らずその分野に対する深い理解と
豊かな洞察眼を持った人物であるといえるでしょう。
G. H. ハーディ
美しさこそは最初の試練であり、醜い数学に永久の居場所はない。
─G. H. ハーディ
出典 : 「ある数学者の生涯と弁明」 10章より (1940)
解析学全般に貢献し、
当時のイギリスの純粋数学のレベルを
大きく引き上げた業績に加え、
伝説的なインドの天才数学者である
シュリニヴァーサ・ラマヌジャンを
見出した人物としても知られる
イギリスの数学者G. H. ハーディの名言。
私の場合、仕事がSEなので
その観点からの話になりますが
能率的で生産性の高い人ほど、
ただ動けば良いというのではなく、
インデントや全体の見通しの良さまで考慮した
美しいコードを書く傾向があるように思います。
人間が美意識を発達させてきた背景には
外見からより競争に強い遺伝子を持った
パートナー候補を判別するという理由がありますが、
その篩が数式やプログラムなどのミームに対しても
同様に機能しているというのはなんだか興味深い話ですね。
ポール・エルデシュ
適切なタイミングで適切な場所にいるだけでは十分ではありません。
適切なタイミングであなたの心を開いておく必要があるのです。─ポール・エルデシュ
出典 : "My Brain Is Open: The Mathematical Journeys of Paul Erdos". Book by Bruce Schechter, 1998.
世界中を旅し、数多の数学者と
共同研究を行う生涯を送った
ユダヤ系ハンガリー人の数学者ポール・エルデシュの名言。
これは私自身も身に覚えのあることですが、
自分を変えようと思い切って環境(例えば、職場とか学校とか)を変えたのに
思ったような変化が感じられないということがあります。
そういう場合は往々にして、
自分から進んで何かを学び取ろうとする
謙虚で能動的な姿勢が欠けてしまっていることが多く
そのような状態では、どんな良い環境にいても
成長にはつながらないものです。
良い環境と、
全てを貪欲に取り入れ成長しようとする意志。
この二つが揃った時、初めて人は
自己を成長させることができるのです。
レーニ・アルフレード
不幸を感じたら、幸せになるために数学をする。幸せならば、幸せを保つために数学をする
─レーニ・アルフレード
ハンガリーの数学者で、
ポール・エルデシュと32本の共同論文を発表した
レーニ・アルフレードの名言。
この言葉の「数学」を
別の生産性のある何かに置き換えて※
しっくりくるもののある人は
人生で打ち込めるものがあるということなので、
概ね幸福な人生を送れていると
いえるのではないでしょうか。
ちなみに発言者のレーニ・アルフレードは
重度のコーヒー中毒者でもあったらしく、
次のようなユニークな名言も残しています。
数学者は、コーヒーを定理に変換するための装置である
─レーニ・アルフレード
アイザック・バロー
本を愛する者は、忠実な友、健全な助言者、陽気な仲間、効果的な慰め手を決して必要としないでしょう。
─アイザック・バロー
出典 : isaac Barrow (1818). “The Theological Works”, p.78
あのニュートンの師であり、
接線を計算するための方法論の作成をはじめとする
多くの業績を残したアイザック・バローの名言。
読書には知識を増やすというだけでなく
人の心を養い、豊かな精神を育むという効用もあります。
人はパンのみにて生くるにあらずとも言いますが、
何かを学ぶ過程の中にこそ
本当の人生の喜びがあるのかもしれないですね。
ちなみに余談ですが、
アメリカのシカゴ文化センター(旧市立中央図書館)の壁には
この言葉が刻まれたモザイク画が展示されているそうです。
E.T. ベル
自明とは数学において最も危険な言葉です。
─E.T. ベル
出典 : Eric Temple Bell (1938). “The queen of the sciences”
数論の分野で功績を上げる傍らで
詩作やSF小説の執筆にも取り組んだ
スコットランド出身の数学者E.T. ベルのこの名言は、
私たちに当たり前を疑うことの重要性を説いています。
例えば数学においては、
18世紀ごろにそれまで2000年以上にわたって
「自明」とされてきたユークリッド平行線公準への
疑念が高まった結果として非ユークリッド幾何学が発展し、
そこからさらに位相幾何学(トポロジー)へと発展していった歴史があります。
このように、当たり前を疑い、
全く異なる視点から物事を見つめ直すことには
今まで誰も想像もし得なかった
新たな世界への扉を
開く可能性が秘められています。
アイザック・ニュートン
もし私が他の人より遠くを見渡せるとしたら、それは私が巨人の肩に乗っているからです。
─アイザック・ニュートン
出典 : アイザック・ニュートンがロバート・フックに宛てた1676年の書簡より
(英文)
If I have seen further than others, it is by standing upon the shoulders of giants.
重力理論によって科学革命を起こした
誰もが知る数学者、アイザック・ニュートンの
これまたよく知られた名言。
ここでいう巨人の肩とは
ニュートン以前の数学者の比喩であり、
この言葉はニュートンの偉大な発見も、
数えきれないほどの先人たちの
血と汗と涙の積み重ねがあったからこその
ものだということを述べています。
ニュートンのように、
大きな業績を残した人が
サラッとこういうことを言えると
とても格好いいですね。
(ニュートン自身は謙虚どころかかなりの自信家だったそうですが。)
ちなみにニュートンが原点だと思われがちなこの言葉ですが、
現在は一般的に12世紀のフランスの哲学者である
シャルトルのベルナールが最初に用いたと考えられているそうです。
カール・フリードリッヒ・ガウス
知識を得ることではなく、学ぶという行為。所有することではなく、そこに到達すること。それこそが最大の喜びなのです。
─カール・フリードリッヒ・ガウス
出典 : 1808年9月2日付のFarkas Bolyaiへの手紙の冒頭に書かれた言葉
It is not knowledge, but the act of learning, not possession, but the act of getting there, which grants the greatest enjoyment.
一人で近代数学のほとんどの分野に影響を与え、
オイラーと並び数学の二大巨人と呼ばれることもある
ドイツの数学者、カール・フリードリヒ・ガウスの名言です。
どんな分野でも一流の人に共通するのは
結果だけを求めるのではなく
過程を楽しむことを大切にする心を持っていること。
孔子の言葉を借りるなら
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず、
の精神ですね。
リチャード・P・ファインマン
あなたが一番興味のあることを、可能な限り無規律に、不遜に、独創的に、一生懸命に勉強してください。
─リチャード・P・ファインマン
引用元 : 1965 ファインマンからJ.M. Szabadosへの手紙 より
量子電磁力学の基礎を築いた功績と
その自由奔放で愉快な性格を伝える数々の逸話で知られる
アメリカ合衆国の物理学者、リチャード・P・ファインマンが、
自身の講義に対する感想の手紙への返信の中で綴った名言です。
端的に言い換えるなら、
「他人の言葉を鵜呑みにせず、自分の頭で考えなさい」といったところでしょうか。
常に自分の好奇心に従って
大きな功績を残してきたファインマンらしい言葉ですね。
ジョン・フォン・ノイマン
もし人々が数学が単純だと信じないなら、それは彼らが人生がいかに複雑かを理解していないだけだ。
─ジョン・フォン・ノイマン
出典 : 1947年 計算機学会の第1回全国大会での基調講演者としての発言より
「悪魔の頭脳」「火星人」などと呼ばれたほどの
人間離れした計算力の持ち主であり、
原子爆弾やコンピュータの開発に携わったことでも有名な
ハンガリー出身のアメリカ合衆国の数学者、ジョン・フォン・ノイマンが
1947年に開催された「計算機学会」の第1回全国大会の基調講演で壇上から述べた言葉です。
ノイマンはこの講演の中で、
12種類の命令で動く新しいプログラミング法を紹介した際に
「数学は生活のほんの一部、それも極めて単純な部分に過ぎないので
この(語彙の)少なさに驚く必要はありません。」と述べ、
それが聴衆の笑いを誘ったのを受け冒頭の言葉を口にしたそうです。
(参考 : http://homepage.math.uiowa.edu/~jorgen/vonneumannquotesource.html)
ノイマンと一般の我々とでは視点というか
頭脳のレベルが違い過ぎて、数学が単純だと言われても
ちょっとピンとこないかもしれませんが、
人生が数学とは比較にならないほど複雑怪奇なものであることは
多くの人が同意できるところでしょう。
そんな道のりを、
私たちもまたなんとか乗り越えて
ここに居るのだと思えば
自身と勇気が湧いてくるような
気がしてこないでしょうか?
終わりに
以上、天才数学者たちの名言15選でした。
今回当記事を作成するにあたって一つ気づいたことは、
ネット上でもっともらしく紹介される名言の中には
ソース(出典)が怪しいものが少なくないということです。
ぱっと見良い言葉だと思ったものが
どれだけ調べてもソースが出てこなかったり、
ひどい時は実は全く別人の発言だったりということもしばしば…
なので、当記事を書くにあたっては可能な限り
ソースが明確な名言だけを選ぶように心がけました。
別に、数学者についての記事だから
殊更厳密にしようというわけではなく
こんなブログでも一応人様に何かを発信する立場なので
そのくらいの意識は持っておくべきだろうな、という感じです。
なんにせよ、
責任の所在が明確でないメディアの言うことは
鵜呑みにしないように皆様もお気をつけください。
(お前が言うなかもですが…)