今月よりネトフリで先行配信が行われている
アニメ版ジョジョの奇妙な冒険ストーンオーシャン。
演出、作画、共に良好であり、
またアニメになり動きがついたことで
原作では少々分かりづらかった描写も
視覚的にわかりやすくなっていた点が好印象でした。(ジョンガリのあたりだけは見ているこちらも眠くなりかけたがそれはそもそも原作の時点でアレ)
しかしその反面、
今回改めて六部という作品に向き合ったことで、
15年前にコミックスで初めて六部を読んで以来、
ずっと私の中で燻っていたあるモヤモヤが
改めて心の中でブスブスと再燃し始めてもいました。
それは、
「プッチ神父って、これまでのラスボスと比べて魅力なさすぎじゃね?」
という素朴な疑念。
思えば、もしジョジョのボスキャラを好きな順に並べろと言われたら
私ならまずプッチは迷わず最下位に置くでしょうし、
私の周りのジョジョが好きという人に好きなキャラを聞いても
プッチの名が返ってきた経験は一度もありませんでした。
もっとも、これらは単に
私とその周囲の主観的な評価でしかなく、
プッチ神父最不人気説を裏付ける根拠としてはやや貧弱です。
そこで私はより客観的な証拠を求めて、
ネット上の意見を集めてみることにしました。
そして得られた意見の中でも
母数的に統計として特に有力と思われるのが、
投票参加者数が1万人を超えている、
以下のサイトのキャラクター人気投票の結果です。
このサイトでのプッチ神父の順位は41位(記事投稿時点)。
完結したばかりの八部を除くと
53位のヴァレンタイン大統領についでのドベ2となっています。
とはいえ、ヴァレンタイン大統領には勝っているのだから
プッチ神父最不人気説は立証ならずか…と思いきや
投票内容をよく見てみると、
プッチ神父だけが、ラスボス連中の中で唯一、
というかほぼ全キャラの中で唯一
好きではないキャラを表す"う〜ん"(79票)の数が
その逆の表である"超いいね"(77票)を逆転しているんですよね。
1位から60位あたりまでの他のどのキャラを見渡しても
大抵"う〜ん"の票数は"超いいね"の3分の1以下に収まっており、
ここまで票の分かれているキャラクターは他には見つかりません。
先に触れた大統領についても、
超いいねが37票に対し、う〜んは13票にとどまっており、
好意表の割合で言えばプッチを圧倒しています。
これらのことから、
人気というものを単純なファンの多さではなく
そのキャラに対して好意を抱く人の割合という意味で捉えれば
プッチ神父はジョジョでも最も人気のない
ラスボスと呼んでも差し支えないのではないかと思います。
しかしそうなると次に気になるのは、
なぜ、そこまでプッチのことを
嫌う人が多いのかという点。
そこで本日は、六部でのプッチの言動を踏まえつつ、
私が考えた、プッチが読者のヘイトを買ってしまっている
5つの理由を述べてみたいと思います。
それではどうぞ。
プッチ不人気の秘密 その1 思想が独特すぎて共感不可能なのにやったことが重大すぎるチグハグさ
シリーズの中でも屈指の人気を誇るラスボスである
吉良やDIOの人気の理由に思いを馳せた時に
私が思い至った一つの答えは、彼らには悪役でありながら
どこかに読者の共感を誘う人間的な魅力があったという事でした。
例えばDIOであれば、1部の時点で
貧しく悲惨な少年時代が描かれていたからこそ、
その強烈な支配欲や出世欲にも説得力がありましたし、
吉良であれば、生まれ持ったサガを悲観せずに
前向きに生きていこうとする姿勢が(手段の是非はさておき)
悪役としては今見ても新鮮で極めて魅力的です。
一方プッチについては最後まで
そうした人間的な魅力が感じられませんでした。
終始偉そうで、独善的で、何を考えているかよくわからないくせに
運命とかいうよくわからん理屈で毎回逃げ延びる上に
部の主人公と作品の顔とも言える旧主人公を殺害し、
果てには世界を一巡させてシリーズの積み重ねてきた歴史を
無に還すという大迷惑まで引き起こす。
そうしたキャラクターとしての魅力と
作中での高度の結果のアンバランスさこそが
読者にプッチに対する嫌悪感を感じさせた
最大の原因だったのではないかと思うのです。
もっとも、作中でプッチに
人間性を感じさせる描写が皆無だったかと言えばそういうことはなく
「覚悟=幸福理論」誕生の要因となった例えば妹ペルラの死のくだりなどは
人の死の辛さや運命の過酷さという意味で
人間なら誰しもが一定の共感を覚えるところです。
しかし、だからといって
「全ての人間が自分の人生全てを予め知るようになれば
覚悟ができるから幸福だよね」なんていうのは
あまりに発想がぶっ飛びすぎていて流石に共感不可能ですし、
ましてやそれを相手の同意も得ずに他人に押し付けるなんて最悪です。
その上プッチ自身だけは自由に運命を変えられる
"特別扱い"だというのだからもはや言葉もありません。
著者の狙いとしては、
そういう独善的な悪を描きたかったのかもしれないですが、
それがキャラクターとしての魅力にいまひとつ繋がっていなかったことが残念でしたし、
そんなキャラが主人公を倒した上で
長年愛されてきたシリーズの歴史を滅茶苦茶にしたとしたら
そこに悪感情を持つ読者が少なからず出たのも無理からぬことかなとは思います。
プッチ不人気の秘密 その2 偉そうな外面と小物な内面というギャップ萎え
プッチ神父は運命に対する思想の異常さが特に目立ちますが、
それ抜きに単純にひとりの人間として見ても嫌なやつです。
まず、神父という職業柄なのかはわかりませんが
誰に対しても上から目線で、
常に「無知なお前らに特別に教えてやろう」とでも言わんばかりの
自信たっぷりな態度でものを言います。
そのくせその本性は
- うまくいかないことがあるとすぐ感情的にキレる
- 覚悟が幸福という思想を全人類に押し付けながら自分だけは"特別扱い"
- 手下の看守がドクガエルの雨で死にかけている中で高価なズボンが汚れる心配をする
- 他人に覚悟を強制しておきながら自分が追い詰められたら命乞い
と小物丸出しであり、
見ていてイライラするタイプの小悪党。
表向きの態度と内面にギャップがあることは、
場合によってはキャラクターの魅力を大きく高めるものですが、
プッチの場合それが「聖人ぶった外面」に「小物な内面」という
組み合わせになっているためどうしても小物感が拭えません。
特に途中までは小物感しかなかったのに
最後の最後で信念に殉じる格好よさを見せつけた
7部のヴァレンタイン大統領と比較すると
その小物ぶりが際立ちます。
そんな性格のせいか作中での部下からの尊敬もほぼゼロで
中には隙あらば寝首を掻こうとするものまで出る始末。
そんな体たらくでもかろうじて六部のラスボスが務まったのは
ひとえに"DIOの意志を継ぐもの"という
大義名分があったからにすぎないのかもしれませんね。
プッチ不人気の秘密 その3 本人が参加した魅力的なバトルが少ない
漫画におけるキャラクター人気を決める要因に
「どれだけの迷バトルを演じたか」
というのも含まれるのではないかと私は考えます。
格好良く強いスタンドを持ち、
手に汗握る名バトルを演じたキャラクターは
それだけ読者からの印象も良くなるというわけですね。
それを踏まえてプッチ神父の出てくるバトルを振り返った時、
私的にはあまり名バトルと呼べるものがなかったように思えてしまいます。
そしてその原因は、最終形態にしてインパクト抜群の
「メイド・イン・ヘブン」ではなく、
むしろデフォルトのスタンドであり
作中での活躍機会も最も多かったホワイトスネイクにあったのではないかと考えます。
では、ホワイトスネイクの何が悪かったというのか。
私はそれについて、ホワイトスネイクが
あまりにもジョジョのスタンドバトルのルールを
破りすぎていたことを指摘します。
「スタンドは一人一能力」というのは
スタンドの設定が初めて登場した
3部の序盤から説明されている超基本ルールであり、
このルールは応用とか進化とか付属品とかの
反則ギリギリの例外を一部挟みつつも概ね遵守されてきました。
しかし、あろうことにプッチ神父は
「強制睡眠」+「幻覚」+「記憶抜き取り」という
3種類の能力をホワイトスネイクという一つのスタンドで行使するという
言い訳しようのない反則行為をその初登場話でかましやがったのです。
その上この辺りの話ではプッチ神父に加えて
ジョンガリAという別のスタンド使いも絡んでおり、
「どこまでが幻覚でどこまでが現実なの?」
「え、それも幻覚なの?」
「エンポリオ助けた場面の格好良さはなんだったの?」
「ジョンガリの能力は?え!?幻覚でも現実でも同じ能力なの?」
といった具合に新シリーズの大事な導入部分でありながら
別紙に自分で話の構造を書き写して整理でもしないと
理解が全く追いつかないという凄まじい事態になっていました。
また、吉良のシアーハートアタックや
ジョルノの欠損再生能力など
物語の途中で能力にバリエーションが増える例は他の部でもありましたが、
プッチ神父のケースがそれらと比べて異常なのは
3つの能力間の関連性が応用の言葉ではカバーできないほど
バラバラのものであることです。
例えば五部に登場したギアッチョのホワイトアルバムは
空気を冷やす能力に加えて、
ジェントリーウィープスという弾丸を跳ね返す小さな氷の壁を
空気中に生成する技能を持っていましたが、
それは「空気中の水分を」「冷やす」という
能力の応用であり、きちんと理屈の通ったものでした。
また、同じく五部のディアボロは
時とばし(キングクリムゾン)と未来予知(エピタフ)という
関連性のない2つ能力を有していましたが、
こちらの場合は二重人格者であり、
そのため一人の人間が異なる二つの能力を持っていても納得はできました。
しかしプッチ神父の場合
そのような理屈の説明が一切ないままに
複数の能力を披露して見せたのだから違和感甚だしい。
一方この疑問に対し、
プッチ神父の本来の能力は記憶の抜き取りだけであり、
他の能力はDISCで一時的に他人の能力を借りただけなのでは?
という補足をする考察を見かけることもありますが
それならそのような説明が作中であって然るべきであり、
それがなかったということはやはり
荒木先生は3能力全てがホワイトスネイクの能力として
描いていたのではないかと私は思います。
そしてくどいようですが
原理的に能力のネタ切れが起こり得ない
能力初お披露目の回でルール違反をしたのは本当にひどいですね。
物語の中盤以降で、
能力のネタに困って仕方なく
とかならまだ多少は納得もできたのですが…
プッチ不人気の秘密 その4 プッチは(作者によって)保護されているッッッ
私の考えるジョジョの魅力の一つに
頭脳戦の駆け引きがあります。
一人一能力の前提のもと
バトルの勝敗が単純な努力や力の大小で決まらず、
逆に能力の応用や与えられた環境の利用など
咄嗟の機転や発想力の差で決するロジカルなバトル描写は
私がジョジョの奇妙な冒険という作品に
心惹かれた大きな理由の一つでした。
要するに、ジョジョのバトルには
どんなバトルでも勝ち負けの理由をはっきり提示する、
ある種の読者に対するフェアさがあって、
それが他のバトル漫画と一線を画する魅力となっていたわけです。
ところがプッチ神父は作中で
どんなに追い詰められようとも(エンポリオとの最終戦以外は)
その度に「運命が味方した」という
御都合主義感たっぷりな理由で
逃げ切りを果たしてしまい、
それが見ていて非常にモヤモヤの溜まるポイントでした。
具体的にはコミックス16巻で
ウェザー・リポートに血の槍と風圧で追い詰められた場面と
17巻で承太郎にフレームに突っ込まされた場面の2場面でのこと。
前者ではほぼウェザーの勝利が確定していたところ、
徐倫たちがヴェルサスに運転させていた車が突っ込んできて
プッチ神父はそのどさくさに紛れて逃走(ついでにウェザーも殺害)、
後者では承太郎に殴られたプッチが
偶然フレームに突っ込んだ後にC-MOONの能力体がフレームごと持ち上がり
これまた偶然に天国に行く方法の完成に必要な
新月の時と同じような重力の位置に到達してしまうというものであり、
そのどちらでもプッチ神父は「運命」「引力」という言葉で
自分の逆転を説明していました。
これらの描写は私からすると
「能力の駆け引きでの戦いに負けたくせに
作者の都合で無理矢理勝利したことになった」ようにしか見えず、
ジョジョのロジカルな戦闘に魅力を感じていた私にとっては
非常に萎える展開でした。
メタ的な視点から見れば、
六部のラスボスであり
物語を動かす原動力にもなっているプッチは
絶対に退場させられないという事情はあったかもしれないですが、
それならそれで、例えば四部の吉良が
自分の手を切り離してまで時間を稼いだ場面のような
単なる幸運ではない、起点と覚悟を見せた上での
逃げ切りであってほしかったものです。
プッチ不人気の秘密 その5 DIOに心酔しすぎて主体性が希薄。
プッチの最大のアイデンティティの一つである
DIOの親友という肩書きですが、
それがかえってプッチのキャラクターの
希薄さに繋がってしまっていたのではないかと私は考えています。
何をするにしてもDIO、DIO、DIO。
作中の全ての行動の根源にDIOの存在があるため、
プッチ本人の意思や信念といったものが感じられず、
終始DIOの遺志の代行者という印象しかありませんでした。
そういえば今回のテーマと関連しているかは微妙なところですが
画集JOJO 6251に荒木先生が次のような興味深いコメントを残していました。
『ジョジョ』で好きなキャラっていうと、やっぱり仗助かな。
それに承太郎とかDIO。あとはダービーとかンドゥールとか
それなりの美学をもっているキャラが好きです。嫌いなのは、イヤなヤツを描こうと思って描いたヴァニラ·アイス。
なんか、描いててイヤになってしまいました。
はっきりと明言しているわけではないですが、
荒木先生がヴァニラ·アイスが嫌いな理由は
"それなりの美学"を持っていない狂信者だからでしょう。
プッチはヴァニラアイスに比べば
まだ自分なりの美学や信念を持っていたように思いますが、
しかし他の歴代ラスボスと比べると
やっぱり一段見劣りするなぁというのが私の偽らざる感想です。
さいごに
以上、『ジョジョで最も人気がないラスボス、六部のプッチ神父説』でした。
この記事では終始プッチに対する批判を展開しましたが、
しかし六部のラストシーンに感動したという声があり、
それはプッチがいたからこそたどり着いた結末であるという事も事実です。
功罪共にあまりにも大きすぎたプッチ神父。
貴方はこのキャラクターをどう受け止めるでしょうか。