ジョジョリオンとは何だったのか?
先日Google Analyticsで
このブログのPVを分析していたところ
3年ほど前に投稿したこちらの記事のPVが
急に伸びていることに気づいた。
少し前にジョジョリオンが完結し、最終巻も発刊されたことで
改めて他の人の感想を知りたいという需要が増えたのだろう。
そこで本日は、
ジョジョリオン全27巻の内容を踏まえ、
私が「残念だと感じたポイント」と、反対に「ここは良かったと感じたポイント」の両方を
改めて箇条書きで書き出してみたいと思う。
…のだが、先に断っておくと、
評価の比率としては正直なところ
残念だったポイントの方が圧倒的に多い。
よかった点もなくはなかったのだが、
少なくとも私にとってジョジョリオンは
今までのシリーズの中で最も退屈な部だった。
いきなり手厳しい言い方になってしまって恐縮だが、
以下にその理由を一つずつ述べていく。
ここがダメだよジョジョリオン
残念ポイント1 : 未回収の伏線があまりにも多すぎ
ジョジョリオンについて
私がまず一番に突っ込みたいのは
作中で意味ありげに描かれながら
結局最後まで回収されなかった未回収伏線の数々だ。
以下に、私が思いつく限りの例を列挙する。
定助や康穂の体に出現した歯形は何だったのか?
集英社 荒木飛呂彦 ジョジョリオン 1巻より
物語の序盤、スタンド使いになった証として
定助、康穂、常秀の身体の一部に出現していた「人間の歯形」「だが、
上記の3人以後この設定が再登場することは二度となく、
なぜ歯形がついたのかという説明も最後まで一切なされなかった。
スタンド能力を齎す要素としては
過去に「弓と矢」や「悪魔の手のひら」が先行して登場していたが、
それらがそれぞれ「宇宙から来たウィルス」、「聖人の遺体の眠る地」
という説明が作品中でなされているのに対し、
この歯形については一切説明がないというのがなんとも落ち着かない。
また、定助に関しては後に登場した
融合元の仗世文と吉良が
既にスタンド使いであったために、
本来ならこのようなきっかけがなくとも
スタンドを操れていた可能性が高い点も微妙なところ。
このように途中で作者から忘れられた切り捨てられた
感マシマシの「歯形」設定だが、
しかしこの程度の矛盾は
ジョジョリオンではまだまだ序の口のなのだ。
定助の記憶に現れたロン毛の男は誰だったのか?
集英社 荒木飛呂彦 ジョジョリオン 1巻より
ジョジョリオン最大の謎にして、
今なお(一部の)読者の心を掴んで離さないのがこの「記憶の男」だ。
第1巻の笹目桜二郎の戦いの最中に
いかにもキーパーソンっぽく
定助の脳裏にその姿が浮かび上がった彼は
しかしその後作中で一切その存在が触れられることなく
気づいたらお話が完結していたという
冷静に見てかなり意味不明な存在であり、
図らずもジョジョリオンの行き当たりばったりぶりを象徴する存在となっている。
思えばジョジョでは過去にも
四部のリーゼントの少年や
五部のジョルノに助けられたギャングの男などのように
如何にも後で再登場しそうなキャラクターが
一回限りの登場で終わった例はあったが、
彼らは基本的に登場時の描写でその役割が完結しており、
別に再登場しなくてもそれはそれでそういうものだと納得することはできた。
しかし記憶の男の場合、
物語の主軸となる「定助の過去」にがっつり関与している描写であり、そんな彼がその後全く登場しなくなるというのは
一読者として見過ごすことができないほどに違和感が強かった。
おそらく、最初の時点では定助の過去に関わるキーパーソンとなる予定だったのものが、後に何らかの理由で物語の方向性に大きな路線変更があって出しどころを失ってしまったのではないだろうか。
それにしてもせめて過去編などで
吉良の知り合いなどのポジションで
軽く登場させるなどのフォローをしていてくれれば
もう少し違和感も和らいだようにも思うのだが…
壁の目とはなんだったのか?
集英社 荒木飛呂彦 ジョジョリオン 1巻より
第一話にて、「それは南北へ全長10kmにも及ぶのだ
海から来る何かを守るかのように」という
意味深なナレーションとともに紹介された壁の目。
しかし、この壁の目に関しても
結局最後までその正体や
「海から来る何か※」について語られることはなく、
戦術の記憶の男ほどではないがこちらも少々
説明不足感を感じるところだった。
(※強いて言えばロカカカは海を越えてやってきたが)
宝石の赤ちゃんとはなんだったのか?
集英社 荒木飛呂彦 ジョジョリオン 5巻より
記憶の男に次ぐジョジョリオン最大の謎キャラその2。
初(そして最後の)登場は第22話で康穂が調べていた
明治時代の古い新聞の片隅に載っていた小さな記事。
その内容は当時の杜王町に高価な宝石を首にかけた
身元不明の赤ちゃんが漂着したというもので、
おまけに新聞に掲載されていた赤ちゃんの見た目は吉良そっくりというこれまたいかにも意味ありげな
描写がなされながらやはりそれ以降二度と
触れられる機会のないまま物語が完結してしまった。
最終回が終わった今から見ればこの赤ちゃんの話は
本筋とは無関係な「昔起きた奇妙な事件」でしかなかったわけだが
メタ的に考えればやはり、記憶の男と同じく
とりあえず撒いてはおいたが使い所の見出せなかった
死に伏線の一つだったのではないかと思う。
「呪いを解く物語」とはなんだったのか?
集英社 荒木飛呂彦 ジョジョリオン 1巻より
第一話で提示された作品の主要テーマ
…だったはずだったのだが、
終わってみたら別にそんなことはなかった。
吉良と仗世文の融合が解除されたわけでもないし、
その他に何か作中に呪い的な要素も特になかったように思う。
第一話で作品のテーマを提示するというのは
7部でもやっていたことで、そちらでは
「マイナスからゼロに戻る物語」というテーマが
ジョニィのモノローグで語られていたのだが、
そちらが作品の結末と見事にリンクしていたのと比べると
ジョジョリオンのテーマはあまり上手く回収されなかったように思えた。
結局ホリィさん退院出来てなかったけどいいの?
集英社 荒木飛呂彦 ジョジョリオン 25巻より
物語の中盤、記憶を取り戻した定助は
「命の恩人であるホリィさん」を「劣悪な入院生活から救う」ことを決意し、
そのために等価交換で病気を治す力のあるフルーツである
ロカカカの争奪戦に加わったはずだったはずだったのだが、
最終決戦の過程で日本にあった全てのロカカカが失われ、
最後までホリィさんが退院することはないまま物語は完結してしまった。
一応、岩人間を倒す前のモルモット状態からは改善しているし、
最終話で定助がこの件について「南の島に行けばまだ見つかってない
ロカカカがあるかもしれない」といったセリフでフォローを入れてはいたものの、
客観的に見てホリィさんの意識が失われたままであることは否定できないし、
また高額な入院費をどう捻出するのかという問題についても
依然不明瞭なままだったので
読み終えたあとにものすごい消化不良感が残った。
必ずしもハッピーエンドで終わらない物語が
あっても良いとは思うけれど、
そこはもうちょっと読者の気持ちに
寄り添ってくれてもよかったんじゃないかと私は思う。
それとも、九部のジョジョランズ(仮)で
その後の話が補足されたりするのだろうか?
他にも気になる点はいろいろあったけれど…
他にも「あれは結局どうなったの?」
というポイントはいくつかあるが、
ひとまず大きなものは挙げ終えたので
今回はここまでにしたいと思う。
同じく本作を最後まで読んだ方には
共感して頂ける内容だったのではないかと思っているが、
あなたはどうだっただろうか。
残念ポイント2 : ラスボス(透龍くん)周りに魅力がなかった
次に取り上げるのは、本作のラスボスにして
TG大学病院を陰から牛耳っていた黒幕の透龍くんだ。
ジョジョではこれまでにディオやヴァレンタイン大統領など、
圧倒的な能力と強い信念を持ったラスボスが欠かさず登場し、
彼らの存在が時には主人公以上に物語を引っ張っていく原動力ともなっていたのだが、
ことこの透龍くんに関してはその伝統を悪い意味で裏切った存在だったように思う。
いくらなんでも登場が遅すぎ
これまでの全ての部のラスボスが
遅くとも物語中盤までにその存在が明かされている中、
ジョジョリオンのラスボスであるはずの透龍くんは
全27巻中の21巻という異例の遅さでの顔見せとなった。
これまでのシリーズにはない、
ある意味異例とも呼べるこの扱いだが、
しかし、今になって振り返ってみると
作品にとっては悪い影響の方が圧倒的に大きかったように思う。
その理由は、端的に言えば
活躍期間の短さから来るキャラの掘り下げの浅ささであり、
主人公との因縁の薄さだった。
やっぱり読者としては、ぽっと出のよくわからない悪役が倒されるよりも、
序盤から悪さをアピールして、
きっちりヘイトをためた悪役が倒される方が
大きなカタルシスを得られるものだし、
あえてそのセオリーを外すことは決して誰の得にもならなかったように思う。
どうしても倒さなければならないという必然性に乏しい
これまでのラスボスは世界征服を目論む不老不死の怪物だとか
街に潜む殺人鬼だとか、ギャングのボスだとか、
あるいは大統領といった分かりやすくスケールの大きい敵達だったのに対し、
透龍くんは地位も目的もキャラクターも全てが中途半端すぎて、
どうしてもこいつだけは倒さなければならないという必然性が伝わってこなかった。
また、先にも少し触れたことだが、
主人公との因縁がせいぜいヒロインの元カレ程度でしかないという
レオパレスの壁並みの薄さであったことも
最終戦の盛り上がり不足に繋がっていたように思う。
スタンド、ワンダー・オブ・ユーの能力自体は面白かったが…
透龍くんのスタンド、ワンダー・オブ・ユーは
自身を追うものに厄災が降りかかるという
歴代でも類を見ないほど防御に特化したスタンド能力だった。
それ自体は面白い試みだと思うし、
過去作でも例えば吉良吉影のバイツァ・ダストが
「自身を追うものを自動的に爆殺し証拠も残さない」という
似たような能力を持ちながら今なおファンの間で語り継がれる
名勝負を生み出したことを考えると
十分に面白いバトルになる余地はあったように思う。
だが、それでも私が本作のラストバトルを
いまいちだと感じた最大の原因は
詰まるところ「能力の攻略され方に対する納得感不足」だった。
作中で定助が透龍くんを倒す決め手となったのは
ソフト&ウェットの進化した能力である
「ゴービヨンド」だったが、これが「回転するひも」なので
因果を超えられる=ワンダー・オブ・ユーの厄災も超えられるという
科学的ではあるが直感的に理解しづらい理屈での勝利であり、
読んでいても「はぁ…」としか思えなかった。
また、土壇場で主人公が都合よく覚醒して逆転するのは
過去に例があったし(3、5、7部)
読者としてはそこに至るまでの流れが熱ければ
大体満足なので別に良いとしても、
直前の7部でやった「回転」ネタを
またしても持ってきたのが個人的にかなり残念だった。
しかも7部の場合は「ジャイロの死→最後のレッスン」という
最高にエモい流れからの覚醒だったのに対し、
こちらは特にそういうきっかけが描かれず
大した苦労もなく気づいたらボスのメタ能力に目覚めていた感があって
最初に読んだときには「え?そんなんでいいの?」と
かなり拍子抜けしたことを覚えている。
メインの攻撃手段が岩動物って…
前述したとおりワンダー・オブ・ユーは防御特化のスタンドであり、
作中では「岩動物」なる本作オリジナルの生命体を使役して攻撃を行っていた。
だが、これは言い換えれば
岩動物のストック分だけ一人で複数の能力が使えるようなものであり、
スタンドバトルの「1人1つの能力をどれだけ応用して闘うか」という醍醐味が完全に破綻しているように思える。
また、岩動物は人間の言葉をしゃべらないので
倒しても爽快感が薄いというのも個人的に良くなかった。
本人のキャラも薄い
最後に本体である透龍くんに視点を戻すと
これまでの歴代のラスボスの中で
彼ほど記憶に残らないキャラはいなかったのではないかと思う。
印象に残るエピソードと言えば
康穂へのセクハラ発言と遠隔充電の発明エピソードくらい。
金だけが目的の空っぽの人物として
今までのシリーズにない新たな悪役像を提示する狙いがあったのかもしれないが、
如何せん登場時期が短すぎて、その魅力を十分に伝えきれていなかったんじゃないかと思う。
残念ポイント3 : 全体的にスタンドバトルがいまいちだった
ジョジョリオン全体を俯瞰してみると、
過去の部と比べても一番面白いバトルが少なかったように思う。
同じようなシチュエーションのバトルが多すぎ
私が思い当たるその最たる理由は
同じようなシチュエーションのバトルが多すぎること、
より具体的に言えば、
1.正体不明の現象に襲われる
2.攻撃を逃れながらその性質を分析し、敵本体を探す
というパターンがあまりにも多すぎたことだった。
真っ当に本体が姿を見せて近距離で戦ったのは
ダモカンとエイフェックス兄弟くらいじゃなかっただろうか?
ほぼ主人公しか戦わないのでバトルに新鮮味が足りない
これは前回も指摘した点だが、
ジョジョリオンは仲間の層が薄く、またチーム戦も少なかったために
どうしても描かれるのが定助単独でもバトルのみになり、
結果バトル描写のマンネリ化、既視感に拍車がかかっていたように思う。
また、定助の「何かを奪う」という能力も
それを見越してどんな敵とでも戦えるように
あえて抽象的な能力に設定されたのだと思うが、
あまりに抽象すぎたために能力の適用範囲が
その場その場の都合で変わる「言ったもん勝ち」臭くなっていたのも
バトル描写が面白いと感じられなかった要因の一つだったかもしれない。
残念ポイント4 : 仲間との絆があまりにも希薄すぎ
本作は意図的だろうか
過去の部と比べてとにかく仲間キャラの出番が乏しかった。
そもそも康穂と憲助さんと豆銑さんくらいしか
信頼できるレギュラーの仲間がいなかったし、
その3人も康穂と憲助さんはサポート専門、
豆銑さんは登場が遅めで単独バトルなしと
バトルの定助偏重を解決するには不十分だった。
せめて第一話から登場していて
スタンド能力も応用性の高い常秀が
四部の億泰のようなポジションに収まっていれば
もう少しバリエーションも増やせたかもしれなかったのだが…
あと、これは7部辺りから顕著なのだが
サブキャラの死をもうちょっと丁寧に書いてあげてもよかったのではないだろうか。
具体的には虹村さん、豆銑さん、常敏の3人。
特に常敏はキャラも立っていて、
定助にも岩人間にも組しない
第三の勢力という美味しいポジションだったのに
あのあっさり過ぎる退場はあまりにもったいなかったように思う。
残念ポイント5 : 死んでも住みたくない街、杜王町
4部の杜王町は吉良やアンジェロみたいなのもいたとはいえ
読んでいてそこに行ってみたいと思わせられる魅力があった。
だがジョジョリオンで描かれた杜王町からは
一切そんな気持ちが湧き起こらなかったばかりか
むしろ死んでもここには住みたくないとさえ感じた。
その最大の原因は、
悪意に満ちた住民たちの人物描写だ。
一目でわかる!8部の杜王町住民たち
とにかく人の描写がギスギス、殺伐としすぎ。
8部の杜王町住民には先に挙げたような
現実の人間の嫌な部分を濃縮したような人物が多すぎて
読んでてとにかく気が滅入る。
加えてコマの片隅に描かれるセリフのない一般人についても
その多くが生気の無いマネキンみたいな表情で描かれているために
街が生きているという感じがせず、
読んでいてずっと居心地の悪い違和感を感じ続けていた。
もちろん4部にもシアーハートアタックの回の
吉良に絡んできたヤンキーコンビとかジャミラニートのように現実にいたら嫌なタイプの人々はいたのだが、
その割合は8部ほど多くはなかったし、
そのような人々でも表情が生き生きしていたので
ジョジョリオンのような不気味さを感じることはなかった。(ここは画風の変化の影響も大きいかもだが)
私が8部が再び杜王町を舞台にすると聞いた時、
心中で最も期待したことは、4部で魅力たっぷりに描かれた
杜王町の姿をもう一度見られるという部分だったので、
正直これはかなり残念な部分だった。
…もっともこの「法律が許すならおばさん」レベルまで突き抜けていると
これはこれで新手のギャグとして逆にありなんじゃないかとも思えてきたりする。
残念ポイント6 : あの内容で10年の連載は流石に長すぎた
10年!
日本からエジプトまでの旅を描いた
あの壮大な第3部※が3回はやれる年数だ。
(※三部の連載期間は1989年から1992年までで約3年)
これがもし3年とかの短期連載であれば
まだがっかり感も少なかったかもしれないが
10年もかけてこの感じだとさすがに辛い。
個人的には、失礼ながら長編はしばらくお休みして
露伴シリーズのような短編に注力された方が
良いのではないかと思った。
無いわけでもない。ジョジョリオンの良かったところ
スポットでは面白い話もあった
ここまで親の仇の如くに散々こき下ろしてしまったが、
ジョジョリオンにも部分部分では面白い所もあったと思う。
具体的に言えばミラグロマンや
常敏とのカブトムシ対決のような本筋と独立したエピソードは短編として比較的面白く読めた。
あと、個人的に地味にお気に入りなのは
憲助が自分のパフェ店のパフェを自慢するシーン。
こういう印象に残る小エピソードを書かせたら
荒木先生の右に出るものはやはりいないと思った。
魅力のあるキャラは少なくなかった
キャラクターの奇抜なファッションや性格もまた
人気の秘訣となっているジョジョだが、
ジョジョリオンにもそう言った面で
魅力的なキャラクターは決して少なくなかった。具体的には…
- ユーモアと父の頼もしさを兼ね備えた憲助
- 父への尊敬と反発の間で葛藤する定敏
- 一見クールだが内に熱さを秘めた吉良
- 天然だが純真で好感の持てる仗世文
- へんてこな見た目とそれに反したガチなスタンドを持つダモカン
などなど。
残念な点で挙げた岩人間たちも、
それぞれのキャラ付け自体は悪くなかったように思う。
問題は、今挙げたキャラの殆どが脇役や
本編の時間軸における過去の人物であり、
それに対して定助をはじめとするメインキャラが
彼らほど魅力的に感じられなかったことだろう。
特に主人公の定助をサポートする立場に
ポルナレフやブチャラティやジャイロのような
魅力的な"相棒"が不在だったことは非常に痛かった。
(康穂はどちらかといえば守るべきヒロイン的な存在だったし…)
新しいことをやろうという心意気が感じられた
ジョジョは部が変わる度に大きくその作風が変化する作品だが、ジョジョリオンからは特に過去に縛られない新しいジョジョ像を作ろうという強い意気込みが感じられた。
- 主人公の過去が全く分からない状態で始まるミステリ路線
- ラスボスがぽっと出
- セクシュアルな描写の増加
- 相棒ポジションのキャラがクズで覚醒もしない
- 人の命を守るのが仕事なはずの医者が敵役
- 善対悪の単純な構図を避けた三つ巴の展開
- 人類社会に寄生する岩人間というキャラクター
ジョジョにこういう要素を盛り込んできたのは新鮮だったし、
特に序盤のころはこれからどうなっていくんだろうという期待が結構あった。
それだけにその殆どが空回りしてしまっていたことが悔やまれるが…
次回作のジョジョランズはどうなる?
正直、昔のジョジョにあった魅力を
今の作品に期待してもしょうがないと思う。
次作の「ジョジョランズ」がどうなるかは不明だが、
私的には今まで以上に良くも悪くも好きな人だけが
追いかける漫画になっていくのではないかと思う。
その上で、何か一つ希望が叶うとすれば、
「岸辺露伴は動かない」シリーズみたいな短編が
もっと短いスパンで発表されたら個人的には幸せかなぁと思ったり思わなかったり。